水中部の防御水線甲帯は水面下僅か5~6フィートまでに過ぎませんので、これより下は何らの特別な直接防御は施されておらず、専ら船体内縦横の隔壁による防水区画と防水機関とによる消極的防御に頼っていました。 日露海戦において両海軍の機雷による数多くの艦船の亡失は、その後の魚雷の進歩、潜水艇の発達と相俟って大いなる脅威をもたらすこととなり、以後建造される軍艦はこの従来の消極的防御に加え、多少の甲鈑による積極的防御を加味するようになりました。 しかしながらこれによる重量の増加も少なくなく、「薩摩」では310トン、Temeraira では実に600トン近くとなり、同艦が「ドレッドノート」と同型であるにも関わらず排水量が増加したのは、主としてこれによるものと推測されていました。 近い将来は水中弾道を軽視することができなくなることが予測され、このため水中防御は更に一層の複雑なものが求められることになるのは明らかでした。 防水区画を形成する隔壁には次の3種があります。 ア.水平水密甲板 イ.二重底 ウ.垂直縦横隔壁 ア.は寧ろ足場となることを主目的とし、同時に水防の役割を果たすものです。 イ.は大凡高さ3.5x長さ16~20、幅16フィートの区画に分かれていて被害を局部に制限するのに効果があります。 水雷及び砲弾の水中被害に対して最も重要なのがウ.の縦横隔壁からなる防水区画で、縦隔壁は通常2個で石炭庫の内外隔壁を形成し、炭層と相俟って被害をここに制限しようとするものです。 この縦隔壁の一例を示すと次のとおりです。
「香取」及び「鹿島」に見られる様に外板と合わせて3枚の壁をなすものの到底防御の目的を達することは出来ず、仏及び露海軍の軍艦には早から既に隔壁のいずれかに厚板を用いる方法が採られており、「石見」は Minas Geraes と略同型であり、内壁に1.5インチの甲鈑が使用されていました。 Temeraire に至ってはこの防御に最も意が払われており、内壁の厚さは舷側からの距離の大小に応じて次の表のようになっています。 これは爆発の威力が伝搬する距離の二乗に反比例するとの原理に基づくものです。
横隔壁の間隔はどれほどにするべきか、即ち一区画の容積をどれほどにすべきかについては、まだ明確に示されたものはありませんでしたが、軍艦においては最大区画の2個が満水となっても安全を確保できることを標準とし、これと同時に艦首又は艦尾の一区画が満水となってもツリムに大きな変化を生じないように計画されていました。 縦横隔壁の主眼とするところは専ら舷側に対する防御ですが、海戦の教訓からは更に弾薬庫の防御が必要であることが認められたことによりその底部をも防御することとされ、「薩摩」では次のようになっています。
「薩摩」でも甲鈑の厚さは舷側からの距離に応じたものとなっていることは同じです。 なお、内壁を厚くするよりも寧ろ舷側を厚くして積極的防御の砲身とするべきとの説もありましたが、当時としては採用になっておりません。 排水機関は漸次有力なものを装備するようになりましたが、それでも起こり得る被害に対して、その浸水を排出することは到底不可能でした。 仮に水面下12フィートのところに2フィート四方の孔が開いたとすると、これより浸入する錘量は1時間に 5,688トンに達しますが、この様な浸水量に対して当時の大型艦が装備する全ポンプの容量は毎時 6,000トンであり、全力を以てしてもこの浸水量を排出するのがせいぜいで、もし魚雷の命中を被って直径16フィート以上の大破口を生じたならば、この排水機関によって艦の安全を保持することは不可能です。 したがって、防水区画が極めて重要であることが明らかです。 当時、露式に倣った Main Drain 式から大区画毎に1台の排水電動機を据え付ける方式の採用に換えつつありますが、それでも幾分かの排水量を増加し得るに止まっており、これを十分に信頼するにはまだまだ足りないものがありました。 初版公開 : 01/Apr/2018 |