軍艦の速力




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 各種軍艦の速力


戦艦の速力は日露戦争当時までは約18ノットが標準でした。 独り伊海軍のみは当時既に21ノットの戦艦(V. Emanuele 1904)を建造しましたが、これは攻防力を犠牲とした二流のものであると言わざるを得ず、列国海軍の注意を引くに足るものではありませんでした。 

1906年に「ドレッドノート」が現れ、その優秀なる攻防力に加えて21ノットの優速をもってするに至り、各国海軍とも直ちにこれに倣って速力の標準も高くなりました。

ただし、「D」艦が高速を得られたのは当初からこれを求めたものではなく、船体の増大と蒸気タービンの採用による結果であると伝えられていました。

明治40年頃の列国海軍の 戦艦の速力 は次のとおりです。


  21
  21
  20.5
  20
  20.5
平均   20.6
  22.5
  23
全平均   21.2


即ち七大海軍国の全平均は21.2ノットですが、露はその防御力をある程度犠牲にし、伊もまた同様であると想像できる理由があることから、この2国を除くと平均20.6となり、これが当時における標準と見なせるものであり、かつ旧海軍の戦艦とほぼ同じとなります。 

装甲巡洋艦 は、英海軍の28ノットを最大とし、独海軍の25ノットがこれに続いていました。 この種の軍艦はその任務上高速が求められるものですが、とは言え戦艦に全く対抗し得ない程に攻撃力を犠牲にすることもまたできないことで、その一致点を排水量の増加に求めることとなった結果遂に戦艦以上の大排水量と高建造費の装甲巡洋艦が出現するに至りました。

二等巡洋艦 の当時の標準速力は26ノットでしたが、28ノットの装甲巡洋艦の出現によって既に低すぎるものとなり、もし完全にその基本任務を遂行しようとすると少なくとも30ノット以上であることが必要になります。


このため 秋山真之が「基本戦術」で説くところの1~2ノットの優速の要求では足りない とする批判も出ていたのです。 つまり、これらの小艦は耐波性が劣弱であり、荒天下の海上においてはその1~2ノット程度の優速は信頼するに足りないとの意見です。

駆逐艦 の速力は27~35ノットであり、標準としては30ノットとするところですが、これも二等巡洋艦と同様に低すぎると考えられ、露海軍並の35ノットが適切なものとされていました。







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初版公開 : 08/Apr/2018







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