現今の砲装の変遷既に砲熕の項で述べたように、中口径砲の口径が漸次増大し次いで遂にこれを廃止するに至るのは、1901年に竣工したイタリア海軍の戦艦「ベネデット・ブリン」(Benedetto Brin)が切っ掛けであるととされます。 当時の同世代の戦艦は、英海軍の「ダンカン」(Dancan)、米海軍の「メイン」(Maine)、ドイツ海軍の「ヴィッテルスバッハ」(Wittelsbach)、旧海軍の「三笠」、仏海軍の「レプブリック」(Republique)などであり、これら諸海軍がすべて12インチ砲4門と6インチ砲12~18門を搭載していたのに対して、独り「ブリン」級のみは12インチ砲4門、8インチ砲4門、6インチ砲12門、及び3インチ砲20門という新砲装であり、12インチ砲と6インチ砲の中間に8インチ砲を採用しました。
この「ブリン」級の砲装は列国海軍の学ぶところとなり、1904年には英米独日仏の戦艦は次の砲装を有するようになりました。
この表を見る限りでは独海軍及び仏海軍は特に「ブリス」級の模倣は見られないように思われますが、独海軍の6インチ砲を6.7インチ砲に、仏海軍の6.4インチ砲を7.6インチ砲に改めたのはこの変化に感化されたものであるのは明らかです。 そしてこの時、イタリア海軍は「エマヌエル」(Vittorio Emanuele)級(*)戦艦4隻を建造して中口径砲廃止の第2期に入っています。 同級の砲装は12インチ砲2門、8インチ砲12門、3インチ砲23門で、その艦型略図は次のとおりです。 (*) : 現在では「レジナ・エレナ」(Regina Elena)級として知られています しかしながら、この様な中口径砲に類似した砲種を連装砲とすることはその固有の性能を有効に発揮できないものであることから、むしろこの種の砲のすべてを廃止し、これに代わって門数は少なくなるものの有力な重砲をとするべきであるとの説もありました。 実際、「ヴィットリオ・エマヌエル」の設計者である Ouniberti 自身が早くからこの説を既に唱えており、1903年の『ジェーン海軍年鑑』(Jane's Fighting Ships)において『英海軍の理想的戦艦』と題して12インチ砲12門と3インチ砲12門を装備する1万7千トンの戦艦の計画を推奨しています。 このことからすると、彼は巨砲全装主義の先駆けであったと言えるでしょう。 この Ouniberti の唱える巨砲主義は、「将来の海戦は必ずや遠距離において戦われるものとなり、このため砲火の精度は信頼するに足らず、かつ弾丸の侵徹力も著しく減少することとなる」との前提に基づいたもので、「この様な状況においては中口径砲は全く無用となり、かつ砲火の精度の低下も著しく、弾薬の浪費を来すこととなる。 したがってこれを解決するには重砲を倍加する方法があるのみ」 と言うものです。 彼の設計による巨砲全装艦の理想とするところは、次の2点です。 ア.遠距離において決勝的効果を奏すること イ.近距離戦においても中口径砲を多数搭載する戦艦に対して有力であること このイ.については、彼の提唱する巨砲全装艦は単に重砲を装備するだけではなく、12インチ装甲も敵に優るが故に危険を冒すことなく近接して優勢なる砲火をもって敵を破壊することができるというものです。 しかしながらこれに対しては、中口径砲を多数装備する艦もまた同じく12インチ装甲を施し得るので、いわゆる “牽強付会” であるとの反論もあったことは確かです。 その後の英海軍の新戦艦はほとんどこの Ouniberti の説を容れたものと考えられ、「キング・エドワード」(King Edward)以降漸次変遷して遂に「ドレッドノート」に至って巨砲全装艦を実現することになりました。
「ドレッドノート」に対しては多くの反対論が出たにも拘わらず列国海軍は競ってこれに倣い、明治40年代においては「D」型の多少が海軍力比較の唯一の標準となるに至りました。 しかしながら、用兵者側からすると、これまでの海戦により得られた貴重な教訓が漸く忘れ去られた観があったことも確かです。 「D」型より更に倍々発達させようとする要求は、遂にいわゆる“超ドレッドノート”型(Super Dreadnought)なるものの建造を見ることとなり、12インチ砲は13.5インチ砲、あるいは14インチ砲となり、排水量は1万8千トンから2万3千~3万トンに及んで、ほとんど止まることがない様相となりつつあります。 「D」型に始まる戦艦の変遷は次のとおりです。
また装甲巡洋艦の変遷は次のとおりです。
(*) : 後の「タイガー」(Tiger)のことと考えられますが、当時の旧海軍が得た情報では13.5インチ砲10門とされていたようです。 初版公開 : 25/Mar/2018 最終更新 : 01/Apr/2018 |