砲 熕(3) 戦術上の要求口径の大小、その用途などの如何に関わらず、砲熕武器に対する戦術上の要求は概ね次の事項です。 ア.精度が良好であること イ.弾道が平底であること、即ち初速が高いこと ウ.撃勢威力、即ち弾量 x 存速が大きいこと エ.発射速度が高いこと ア.射弾の精度射弾の精度が良好であると言うことは、単砲と複数砲とを問わずその射弾散布界が小さいことを意味し、これが良好でなければ如何に射撃に熟練するとも良好なる命中率を獲得できないことは論を待たないでしょう。 一般的には、精度の良否は砲機の状態の精粗と砲員の熟否に依るものであり、通常は公算誤差を以てこれを比較し、公算誤差が小さいければ精度良好であり、反対に大きいものは精度不良となります。 当然ながら、公算誤差は同一の砲であっても射手の練度に左右されるものであり、その関係は hr = k なる式で表すことができます。 h は射手の練度、r は射弾散布の公算誤差、k は定数であり、いまこれを r ∝ 1/h と置き換えれば、この関係が一目瞭然でしょう。 したがって射手の練度によって公算誤差は小さくすることができることは勿論ですが、砲機の状態が不良であるならば到達し得しえるレベルには限界があることもまた明らかです。 戦闘距離が延伸するに伴い大口径砲が用いられるのは、威力の増大がその理由であることは当然ですが、一般的には口径が大きくなるに従い射撃精度も良好となることもその理由です。 例えば、水雷艇防御用として旧海軍においては3~5インチ砲ではなく6インチ砲を採用するのこのためです。 このことは当時の英海軍でのデータでも示されているところです。 ところが旧海軍においてはこれに反して口径が大きくなるに従い、反って公算誤差が大きくなる傾向が生じていました。 そしてこれが、単に射手の練度の差が原因でないことは、英海軍の検定射撃成績と比べても明らかであったとされています。 つまり、旧海軍における大口径砲の精度不良は、主としてその砲機の不良に依るものと言わざるを得ないという結論になります。 この射撃精度に影響する砲機の不良には、砲架の不安定、操縦装置の不備、弾丸の滑落、装薬の不良が主な原因として挙げられます。 これらの改良・改善は造兵者側の責任であるとは言うものの、砲機の使用に当たる者としても、砲機の構造・機能に精通し、その欠点を指摘し、使用上の要求を明らかにして、造兵者側にその改良・進歩を促すことも用兵者側の役目であると認識していました。 イ.弾道の平底弾道が平底であるということは即ち、目標に対する危険界(命中界)が大きいと言うことであり、したがって命中の公算を高めることになります。 明治40年代の使用砲熕武器において、標高10メートルに対する危険界を求めると次のとおりです。
この表で明らかなように、危険界を大きくするためには大きな口径と高初速に依らなければならず、また中口径砲以下では遠距離の射撃には価値が無いということがお判りいただけるでしょう。 ウ.撃勢威力撃勢が大きいと言うことは即ち破壊力が大きいと言うことで、同一の弾丸を用いるならば存速を大きくする必要があります。 鍛鋼榴弾(後の通常弾)の場合はその用途からして存速の大小をとやかく言う必要は無いのですが、徹甲弾においてはこの存速の大小が装甲板に対する穿徹力に直結してくることになります。 当時採用され始めた被帽弾を用いて8千m以上の戦闘において有効な撃勢を得るには、500~550m/秒の存速を保持する必要があるとされていました。 この存速の大小は、同一の弾丸においては初速の大小に、同一の初速においては弾量の軽重に比例してくることになります。 エ.発射速度発射速度が大であることは時間効力(命中速度)の発揮につながります。 射撃精度が高くても発射速度が遅いと、射撃精度が比較的低くても発射速度が極めて高いものに劣ることは明らかです。 (まさに太平洋戦争時における旧海軍と米海軍との戦例に示されるように) それでは、明治40年代当時から旧海軍の砲塔砲の発射速度が比較的遅かったのは何故なのか? 当時はその原因として、砲機の不備と射手の未熟の2つであると考えていました。 このうち後者については訓練により容易にこれを克服できるものですが、前者については用兵者側において克服することは不可能であり、技術者側の責任が大きいものであるとの判断です。 そして、当時の砲塔砲において発射速度を発揮することを妨げていたのは、揚弾装填装置の速度が遅いこと、旋回俯仰装置の動きが目標の保続照準に適さないことの2つであるとしていました。 揚弾装填装置については、用兵者側としては、当時の現用のものは機構が巧妙かつ脆弱で兵器としての主要性能に欠けるものであり、機構の堅牢さと動作の確実性を維持しつつ全力で迅速に作動するし得るように改良すること、また旋回俯仰装置については「ジョンネー」の「ユニバーサル・トランスミッション・ギア」などを装備して、保続照準に適するような滑らかな動きとなるようにする必要があるとしていました。 (結局のところ、これらは遂に太平洋戦争終結までに実現できなかったのですが。) 砲機の不備が如何に射撃に影響するかは、当時の検定射撃実施規定を見れば明らかです。 即ち、明治43年の同規定によれば、「香取」の10インチ砲の射撃規定時間は35秒であるのに比べ、「鹿島」では50秒、「薩摩」では実に1分30秒となっています。 つまりその時間でなくては射撃が出来なかったということです。 一般的には「香取」「鹿島」型と並び称されるものの、実際には「鹿島」 の戦闘力は「香取」に及ばないものであり、また「薩摩」の戦闘力は10インチ砲以上において「香取」と大差ないものの、6インチ砲を加算する時は却って劣るものとなることが疑われたのです。
以上のことから、結論として、戦術的な要求のうち射撃精度、撃勢威力、及び弾道の平低は主として大口径砲により得られ、また発射速度が高いことは専ら中口径砲に依って得られるもので、両砲種のこの特徴は戦闘に際してそれぞれ特殊な任務を果たすところであることから、これは当時の砲熕兵装の基礎となるものとされたのです。 初版公開 : 18/Feb/2018 最終更新 : 25/Feb/2018 |