艦砲射撃において、初弾を発砲するときの照尺の決定は極めて重要で、これの適否がその後の射撃の流れと成果に直接影響を及ぼすものです。 本項では次の内容でその初照尺の精度について検討してみたいと思います。
初照尺の精度とは艦が建造されて新たに就役した直後の射撃ならばともかく、ある程度経過すると搭載する武器の特性や使用するコツも判ってきて、そして射撃の練度も上がってきます。 そうすると、射弾の散布も勿論ですが、射撃開始の初弾の精度もある程度統計値とするに足る程度に纏まってくるのが普通です。 特に、同型艦があって同じ武器システムを使用する場合には、検証データの母数が多くなりますから、より正確に把握できるようになります。 したがって、初照尺の精度もこれを初弾弾着の偏倚量 (=誤差) として公算誤差で取り扱える ことになります。 即ち、「初弾偏倚公誤」 とは、毎回の射撃での初弾だけを取り上げ、その初弾の弾着の偏倚量がどのような状況になるのか (=散布をするのか) を表す公算誤差のことを言います。 例えば、某隊で11回の射撃を実施したところ、その時の11回の初弾の偏倚量が次のようになったとします。
このデータによる公算誤差は、下の様にピータースの公式を用いると 200m となります。 したがって、この隊で今後射撃をする場合には、初弾の偏倚は下図の様な割合で生じるであろうことが予測し得ることになります。 要するに、初弾偏倚公誤は初照尺の精度を表すものですから、射撃の実施においてもし初弾が夾叉とならない場合に、その初弾の弾着が標的からどれくらい離れているかを推定するデータとして利用できることになります。 即ち、初弾以降の射弾の修正をどの様にしたら良いのかを決定する射法上の重要なデータ となるものです。 初弾偏倚の原因初照尺の誤差、即ち初弾偏倚の原因の主なものは、次のとおりです。 1. 測距誤差 1.の測的誤差の詳細については次の項で説明します。 また、6.の射心移動については前述の通り、一応別個に取り扱うことが可能です。 測距離の精度 (測距誤差)(1) 測距儀の測距精度 測距儀による測距には、測距操作の段階で 「測距中心誤差」 と 「測距散布誤差」 の2つがあり、またそこで得たデータを処理する段階で、距離平均に際しての誤差と、費消時見越の誤差などが生じます。 測距中心誤差は、測距儀の調整を正確に実施することで、誤差無しの状態にすることも可能ではありますが、調整が不十分であると測距儀固有誤差として残ることになります。 この測距中心誤差が、一般的にその様な状態で存在していたかについては、残念ながら旧海軍の統計資料が残されておりませんので不明です。 測距散布誤差は、測距手の技量を表すもので、旧海軍における戦技での成績から求められたデータは次のとおりです。
この角度誤差データを基に、各種基線長の測距儀における測距散布公誤 (r4) を求めると、次の様になります。
なお、個々の測距儀そのものに起因する精度については、『測的武器』 の 『測距儀』 の項で具体的に示しますのでそちらをご覧いただくことにします。 ただ、ここで重要なことは 測距儀の場合は距離の2乗に比例して変化するので、遠距離では誤差が急激に増大 すると言うことです。 このため所要砲戦距離付近で測距散布が大きくなって 測距射法の適用が困難 であることから、旧海軍においては 変距射法万能の慣習を作る原因 ともなりました。 (2) レーダー (電探) の測距精度 レーダー (電波探信儀、電探) を使用した測距においても、測距中心誤差と測距散布誤差があることは同じですが、測距儀と最も異なるところは、どの様な距離であってもその誤差は変わらないと言うことです。 このため、レーダー測距ではその測距散布公誤が距離に影響されないことから、測距射法の適用が可能となったわけですが、残念ながら旧海軍ではこれを十分にものにするには至らないうちに終戦を迎えることとなりました。 旧海軍における初弾偏倚公誤データ(1) (遠近) 初弾偏倚公誤 (r1) 昭和11年から同16年までの6年間の戦闘射撃成績から求められたデータとして、次のものが残されています。
(2) 左右初弾偏倚公誤 昭和11年から同16年までの6年間の戦技成績から求められたデータとして、次のものが残されています。
初弾偏倚公誤から判ること初弾偏倚公誤のデータを得ることによって、次のことが判ります。 1. 公誤が小さい程、初弾は目標近くに弾着し易い。 (当然ですが) 2. 初弾偏倚公誤は、初弾を発砲する前に予想する 「目標存在公算 (事前公算)」 に等しい。 3. この目標存在公算(事前公算)と、夾叉公算又は全遠公算と組み合わせると、初弾を発砲する前に、その初弾が夾叉弾となる公算 (予期夾叉公算 (事前公算))、あるいはその初弾が全近弾となる公算 (予期全近公算 (事前公算)) を計算可能である。 4. 初弾の弾着を観測した後で、初弾が全遠 (又は全近) だったという観測事実を組み合わせると、目標がその初弾弾着点よりどれだけ近 (遠) 方向に存在するかという 「目標存在公算 (事後公算)」 を計算可能である。 次の項で、初弾偏倚公誤を具体的にどのように利用するのかをご説明します。 初弾偏倚公誤の利用法(1) 予期夾叉公算 (事前公算) 次の例によって初弾発砲前の予期夾叉公算 (事前公算) を求める手順をご説明します。 斉射弾数 : 3発、 戦闘公誤 : 100m、 初弾偏倚公誤 : 200m まず、夾叉公算 (Pk) は、Pk = 1−(全近公算 (Ps)+全遠公算 (Po) ですから、これを 『戦闘公誤』 の項中の 『(2) 斉射弾の全遠 (全近) 公算及び夾叉公算』 でご説明したものと同じ次の図と表を使用して求めることが出来ます。
n=3 の欄から、 Pk( 0) = 1−(0.1250+0.1250) = 0.7500 となり、射心と標心が一致している場合の夾叉公算 (Pk(0) が 75%であり、また射心と標心が戦闘公誤の1倍、即ちこの例では 100m離れている場合の夾叉公算 (Pk(1r) は 56%であることになります。 次に、初弾偏倚公誤 = 200mですから、射心を中心とした目標存在公算 (事前公算) を 「公算表」 から求めると、下図の様になります。
即ち、初弾の射心前後 ±50mの区間に目標が存在する公算は 13.39%であり、その外側の 50m〜150mまでの区間に目標が存在する公算は遠、近方向ともに 12.66%となります。 〔公算表の使い方〕 : この例の場合、@ 区間の公算は x/r = 50/200 = 0.25 ですから、公算表から 0.1339 が得られます。 次に、A’〜射心〜A 区間の公算は x/r=150/200=0.75 ですから、公算表から 0.3871 が得られます。 これから、A 区間の公算は、(0.3871−0.1339)/2=0.1266 になります。 以下同じ。 (注) : この様に次々と等間隔に区間を区切っていきますが、細かい区間に区切れば区切る程正確な値が求められますが、手間がかかるので、通常戦闘公誤(r)の幅で区切るのが一般的です。 勿論、現在ではこの様な面倒くさいことをしなくてもパソコンで簡単に計算することができるわけですが、旧海軍時代にその様なものが有ろうはずはありませんから、この様にやっていたという雰囲気を掴んでいただきたいと思います。 このようにして、斉射弾数 (n) 及び初弾偏倚公誤 (R) を変えて それぞれの公算を求めておくことにより、次のような一般的な 予期夾叉公算 (事前公算) の表を作成 することができます。
(2) 予期全近 (全遠) 公算 (事前公算) 初弾発砲前の予期全近公算及び予期全遠公算も、上の予期夾叉公算のも方法と同じやり方で求めることが出来まから、上の例と同じ条件で予期全近公算を計算してみましょう。 n=3 ですから、全近公算 (Ps) の値は次のとおりです。 Ps(−2r) = 0.0007
先の理由と同じで、計算を簡単にするために、目標がその区間のどこにあっても全近公算はその区間の中心位置における値を使用するものとします。 以下同様にして各区間の公算を求めていくと、次の様になります。
即ち、本例題の場合の初弾発砲前の予期全近公算は 約35% であり、これは同じく予期全遠公算も同じ値 約35% でもあります。 この表の右欄に記載しましたものは、求めた予期全近公算に対する各区間ごとの割合です。 これについては次の (3) 項で説明します。 逆にこのことからも、前項で算出した予期夾叉公算 (事前公算) が 100−(35+35)= 30 (%) であることを求めることもできます。 このようにして、斉射弾数 (n) 及び初弾偏倚公誤 (R) を変えて それぞれの公算を求めておくことにより、次のような一般的な 予期全近 (全遠) 公算 (事前公算) の表を作成 することができます。
(3) 初弾観測後の目標存在公算 (事後公算) 上の (1) 項及び (2 )項でご説明しました初弾の夾叉公算及び全近 (全遠) 公算は、何れも初弾の発砲前の予想 (=事前公算) であって、初弾を発砲した後でその弾着が全近又は全遠であったという事実を確認した後に、目標の存在位置を求めるのが 「目標存在公算 (事後公算)」 です。 (2) 項において各区間毎の全近公算を計算しましたが、それではその全近 (全遠) という “事実” を生じさせた原因をどこの区間にその疑いを負わせれば良いか、即ち目標がどの区間に存在したためにそうなったのか、と言うことになります。 これは、当然のことながら全近となった公算が最も高い区間にその疑いがあるわけで、逆に公算が低い区間には目標が存在した可能性が低いと言えます。 i言い換えれば、各区間の全近 (全遠) 公算が予期全近 (全遠) 公算に対して占める割合 (%) が、即ちそのまま目標が当該区間に存在したであろう公算 であるということを意味します。 これが 「目標存在公算 (事後公算)」 で、この考え方は確率統計学では 「ベイーズの定理」 と言われているものと同じです。 (2) 項の予期全近公算を計算した表の右欄を基に作図すると、次の様な目標存在公算曲線が得られます。 (4) 初弾に対する修正弾が反方位弾となる公算 上の例で初弾が全近弾となった場合で、仮に次弾を 400mだけ遠距離に照尺を修正 (=高める) した修正弾を発射したとします。 すると、この高め修正弾が初弾と反方位の全遠弾となる公算を求めるには、この修正弾の射心が目標から Xm離れたところに弾着した時に全遠弾となる公算 Po (X) を各区間毎に求めて行けば良いわけですから、これは (2) 項でご説明した全近公算と同じです。 即ち、次の値です。 Po (−1r) = 0.0156 これと先の (3) 項で求めた目標存在公算とによって、各区間毎に、そこに目標が存在した場合に修正弾が全遠となる公算を求めれば、次の様になります。
即ち、初弾に全近を観測して、高め 400mの高め修正弾を発射したときに、その射弾が初弾と反方位の全遠となる公算は 49%です。 このように、初弾が全近又は全遠で、それに対する修正弾がその反方位である全遠又は全近となった場合 に、これを 「目標を捕捉した」 と言い、目標を捕捉することは 旧海軍の艦砲射撃において公算射法を実施する上で極めて重要な射弾指導理念 です。 (5) 捕捉公算曲線 因みに、この修正弾の照尺修正量を 400mから 500mにした場合、600mにした場合、等々修正量を変化させて、それぞれの全遠 (全近) 公算を計算すれば、修正量対反方位弾公算の表を作ることが出来、更にこれを図に表せば 「捕捉公算曲線」 が得られることになります。 例えば、砲数6門、初弾偏倚公誤が戦闘公誤の2.5倍である場合の捕捉公算は次の様になります。
これをグラフにすると次の様になります。 ただし、この曲線のうち、実用する部分に限ると直線と見なすことが可能ですので、略算式として Pη = m(L−D) の型式となります。 m 及び D はそれぞれ初弾偏倚公誤及び弾数によって決まる定数です。 参考までに、上の例では次の式となります。 (6) 修正弾が夾叉弾となる公算 上の (4) 項で修正弾が全遠となる公算を求めた場合と同様の方法によって、修正弾が夾叉となる公算を求めることが出来ます。 この場合、全遠公算 Po を使用する代わりに、夾叉公算 Pk を用いれば良いのですが、算定手順の例については省略しますので、興味のある方は各自で試してみて下さい。 最終更新 : 21/May/2015 |