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「斉射」 のやり方




    射撃の手順
       (1) 測距と測的
       (2) 射撃計算
       (3) 射撃計算 〜
       (4) 砲台における調定と照準
       (5) 発 砲
       (6) 弾着観測
       (7) 射弾修正
    射撃指揮組織
       (1) 射撃指揮所
       (2) 測的所
       (3) 発令所



 射撃の手順


前項で 「打方」 という用語について説明しましたので、それでは 「一斉打方」 や 「交互打方」 においてどの様にしたら 「斉射」 が実施できるのか?  ということを解説したいと思います。

なお、本項で使用する 「一斉打方」 「交互打方」 という用語は昭和12年以降の定義によります。 それ以前は既に説明しましたようにそれぞれ 「斉発打方」 「一斉打方」 です。 念のため。

まず最初は、射撃の手順についてです。 つまり、射撃 (砲火) 指揮官 (通常は砲術長は主砲の指揮官で、副砲及び分火は別) の指揮の下に、どの様な手順によって射撃がなされるのか、と言うことです。

ごく単純に項目を列挙しますと、次のようになります。


(1) 測距と測的

(2) 射撃計算

(3) 各砲台へ発砲諸元の伝達

(4) 砲台における調定と照準

(5) 発砲

(6) 弾着観測

(7) 射弾修正

(8) 以後 (3) からの繰り返し、ただし (1) 〜 (4) はその間も連続して実施


各項目の内容については、ご来訪の皆さんには一々説明するまでも無いと思いますが、少し補足をしておきます。



 (1) 測距と測的


基本的には、測距儀による測距と方位盤による照準線をもって測的を行うことは既に 『04 艦砲射撃の基礎 −測的』 で説明したとおりですので、まだお読みになっていない方はまず先にそちらをどうぞ。

旧海軍では、この上記の方法に併せて、目視によって目標 (敵艦) の対勢、即ち照準線に対する向きと速力、を判定しました。 大正期以降は 「測的盤」 というものを使いましたが、方位盤やこの測的盤が無かった日露戦争期は、艦長や砲術長の “頭の中” で判定します。 (既に説明しましたように、まだ 「変距率盤」 さえありませんでしたから。)


sokutekiban_01_s.jpg

( 一三式測的盤 )


これに加えて射撃計算に必要なデータは、自艦の速力、風向風速、気温・湿度・気圧などです。 日露戦争期は、最期の3つはともかくとして、自速や風のデータは今日のような満足な計測機器が ありませんのでしたので、最終的には艦長や砲術長が射撃計算に使用する値を自分で決定しなければなりませんでした。



 (2) 射撃計算


射撃計算の理論と方法の詳細については、 『射撃理論概説 初級編』 で説明しておりますので、そちらをご参照ください。

測的の結果に基づいて射撃計算、即ち発砲諸元の算出を行いますが、ここで注意していただきたいのは、この射撃計算に使用する目標の現在位置データは手順 (5) の発砲時の値でなければならないということです。

つまり、手順 (1) の測距儀で計ったその時の値ではなく、その後の手順 (5) までの時間経過後に予測される目標位置でなければなりません。

したがって、測距時から、計算・伝達・照準器への調定が完了し引金を引くまでの所要時間 (費消時) が正しく設定できるかどうかは、射撃の成果に直接関わってきます。

この手順 (1) から手順 (5) までの費消時を、その艦のそれぞれの砲種についてどの様に見込むかも艦砲射撃における大きな要素の一つであると言えます。 そしてまたこれは、その艦の通信機器・設備や乗員の練度などによっても大きく左右されます。

そしてもう一つ注意していただきたいのは、手順の (1) の測距と測的は1箇所で実施したものが共通して射撃に使えますが、手順 (2) の射撃計算以降は全て “各砲種ごと” に異なる (別である) ということです。

これはそれぞれ弾道が異なりますし、砲種ごと発砲までの所要秒時が異なりますので当然のことです。 当然のことですから、射撃指揮において、この手順 (2) 〜 手順 (3) だけをとってみても、砲術長が主砲も副砲も、そして補助砲もその全てを一人で指揮・監督することは不可能なことがお判りいただけるでしょう。



 (3) 射撃計算 〜 (4) 砲台における調定と照準


これらについては射撃指揮というよりは、主として艦の砲戦関係機器・設備に関係してきますが、既に 『06 連装砲塔の発射法』『08 距離通報器について』『01 艦砲射撃の基本中の基本 − 照準』 などで説明しておりますので、詳しくはそちらをご覧ください。

ここで再度強調しておかなければならないことは、日露戦争期においては、艦橋 (司令塔) から各砲台への 「距離号令通報器」 でさえ主砲、副砲、補助砲併せて1艦で1系統 しかなく、後は伝声管、高声電話、メガホン、伝令、示数盤、 黒板などによって伝達していた状況であったということです。

したがって、『別宮暖朗本』 の著者が言う


砲術長は、主砲、左右舷側の6インチ砲といった4つ程度のグループに分け、計算結果を連絡し、それをうけたグループは全砲門をそれに従わせ、斉射をおこなった。 これが 中央管制(Central Fire Control)といわれるものである。 ・・・・ (中略) ・・・・ 中央管制は斉射法と表裏をなすものである。 つまり砲術将校 (=分隊長) を砲ごとにおくのは現実的ではない。  (p66) (p70)


射撃のタイミングについていえば、帝国海軍の艦艇には砲手のそばにブザーがあり、2回ブッブーとなると 「準備」、ブーと鳴ると 「撃てー」 を意味した。 そして旋回手や 俯仰手は、「準備」 の前に砲弾を装填した砲身を苗頭の指示をうけ、修正しなければならない。 引き金を引く砲手は、単にブザーに合わせるだけだ。 そして 「撃てー」 の合図で、どちらかの舷側の 6インチ砲は一斉に射撃した。 (p66) (p70〜71)


近代砲術の世界では大中口径砲手の腕や目や神経は、命中率とは関係がない。 いくら砲手を訓練したところで事故を防ぐことはできるが、命中率をあげることはできない。  6インチ砲や主砲を命中させることができるのは、砲術長、すなわち安保清種なのである。 (p269) (p278)


大口径主砲の砲手は、目盛り操作と弾丸装填のみに集中しており、敵艦をみるチャンスはない。 またみえたとしても目標は砲術長が決定するのが原則である。 (p270) (p279)



など絶対になるわけがない、全くのウソと誤り、いや総てデタラメだと言うことです。 仮に 「一斉打方」 や 「交互打方」 をやりたかったとしても、当時は物理的 “にも” 出来なかったのですから。



 (5) 発 砲


斉射における発砲は、単に 「発射よ〜い (用意)」 「て〜 (打て)」 の号令をかけ、それに併せて射手が引金を引けばよい、という単純なものではありません。 そうです、斉射は1回だけでは無いからです。

そこで問題となるのが 「斉射間隔」 です。 射距離、射法、砲機の能力、関係員の練度 (更には風向きや海象) などによって適切な斉射間隔で発砲して行かなければなりません。

測的や射撃計算には必ず色々な誤差が存在しますから、例え夾叉弾を得て適正照尺・苗頭を把握したといっても、時間の経過と共にその誤差の累積によって弾着が次第にずれてきます。

このため、これらの誤差は正確な斉射間隔による弾着観測によって把握し、射弾を修正していかなければなりません。 これは近代射法の基礎です。

またこれによって、目標 (敵艦) の僅かな変針・変速も迅速・確実に看破することができます。

適切な斉射間隔というものについては、機会があればまた別に詳しく説明することにしますが、簡単には、例えば飛行秒時30秒の射距離の時に30秒間隔で発砲していたのでは弾着と発砲時期が一緒になりますから、発砲の振動と砲煙で弾着を観測することができません。

弾着観測が正しくできて、それによる射弾修正が迅速に行われる。 これができなければ射法そのものが成り立たないのです。

したがって、発砲が弾着の前か後のいずれかに適度な秒時離れるような斉射間隔を設定しなければなりません。 それも同航・同速の場合のように射距離が常に一定ならまだ良いですが、そうでない場合には 射距離 (=飛行秒時) の変化に応じて変えていく必要があります。

特に、射距離が遠い場合や元々の砲種の発射速度が高い場合には、打ち方によっては、前 (あるいは2斉射前) の斉射弾が弾着する前に次の斉射弾を発砲する (これを 「空中弾がある」 と言います) ことになります。 すると、発砲時期と弾着時期が非常に錯綜してきますので、この 「適切な斉射間隔」 というのが益々重要になってきます。

( 因みに、近代射法が確立した以降では、「急斉射」 というのは空中弾があるような間隔で斉射を行うこと、「緩斉射」 というのは空中弾が無い、つまり前の斉射弾が弾着してそれを観測してから次の斉射弾を発砲することを言います。)

しかも、射撃指揮官による射弾修正が加えられなくとも、射撃手順の (1) に基づき時間経過と共に新たな (2) の結果が (3) 及び (4) として行われ、次の発砲の時には指定全砲が最新の射撃諸元 (当然ながら 発砲瞬時までの費消時が加えられたもの) に調定されていなければなりません。

そして、この斉射間隔は “砲種によって異なる” のは当然のことですから、「一斉打方」 や 「交互打方」 で斉射を行おうとするなら、それぞれの砲種ごと別個にこれを管制する者 (と設備) が必要になります。


ところで、既に 「連装砲塔の発射法」 などのところで、日露戦争期における発射速度による打方の区分として 「緩射 (徐射)」 「並射 (常射)」 「急射」 というものを説明しました。 これは発射速度を、 砲手の体力 (装填速度) や射手の照準の程度 (善し悪しのレベル)、射撃の効果などにより区分したものです。

日露戦争期の黄海海戦でも、また日本海海戦でも、この明治36年に全面改訂された 『海軍艦砲操式』 に従って射撃指揮を行っていたことは間違いありません。 例えば、日本海海戦における 「三笠戦闘詳報」 の砲銃の部の冒頭です。


mikasa_SOJ_gunnery_01_s.jpg


では、この3つの発射速度による打方の区分と、一斉打方や交互打方における斉射での 「斉射間隔」 との関係はどの様になるのでしょう?

そうです。 相容れないのです。

一斉打方や交互打方における斉射では、上で説明した条件にしたがって1箇所 (一人) で準備門数全門の発砲を管制します。 したがって、砲手の体力や照準の善し悪しなどによって、各射手がそれぞれ自分で自分の砲の発砲時期を決めるようなものではありません。

また、適切な斉射間隔というのは発砲時と弾着時との兼ね合いでもあると説明しましたが、これは即ち弾着観測及び射弾修正を行う射撃指揮官自らが決める必要があるということです。  「徐 (しずか) に打て」 などと令するだけで斉射間隔の決定を他の者に任せる、などと言うことは出来ないことなのです。

したがって、日本海海戦時にこの発射速度による打ち方の区分による射撃指揮を行っていたということは即ち、「一斉打方」 や 「交互打方」 による斉射は実施していないという証拠でもあるのです。



 (6) 弾着観測


「一斉打方」 や 「交互打方」 における斉射では、その斉射弾の弾着観測を実施する方法は、大きく分けて2つあります。 「距間観測」「比例観測」 です。

前者は弾着の散布界の中心 (射撃中心、射心) と目標位置の中心 (目標中心、標心) との距離を観測する方法で、これは4〜6千メートル程度の射距離であれば、檣楼上から何とか判定できる場合があります。  第1次大戦頃まではこの方法も各国海軍で一部用いられていました。

後者はその名の通りで、目標と弾着点との距離に関係なく、目標の前後にそれぞれ何発ずつ弾着したかを観測する方法です。 例えば、「全遠」 「全近」 「夾叉 (2近4遠)」 などと言うようにです。

斉射における弾着観測については、詳しく説明しますとこれまた大変に長くなりますので、別の機会にさせていただきますが ・・・・

何れにしても、正確な弾着観測を実施するためには、弾着観測を実施する者に、その砲種の発砲と弾着のそれぞれの時期 (瞬間)、そして発砲 (弾着) のその都度の弾数が伝わらなければなりません。  (斉射とはいっても、必ずしも毎回準備門数の全門が発砲する (できる) わけではありませんので。)

したがって、「時計射撃 (変距射法)」 や 「測距儀射撃 (測距射法)」 という近代射法において、「一斉打方」 や 「交互打方」 によって斉射を行おうとするならば、異なる砲種の弾着観測を一人 (砲術長又はその補助者) で実施できるわけがありません。



 (7) 射弾修正


いかに正確な測的をし (実際にはこれの誤差が大きいのですが)、正確な射撃計算をし、正確な照準に基づく発砲をしても、現実には必ず誤差が生じます。 ですから艦砲射撃というのはなかなか当たらない ものなのですが (^_^;

例えば風一つとってみてもお判りいただけるでしょう。 射撃計算に使用した風向・風速はある時点に自艦上で測定したものです。 風は “息” をしますし、ましてや自艦海面と目標 (敵艦) 海面のそれぞれで同じ風が吹いているとは限りません。 更には海面と上空の風とは異なります。

ですから、実際に打ってみて、計算と実際の弾着の差を修正し、「適正照尺」 「適正苗頭」 を把握しなければなりません。 これが試射を必要とする理由です。 これは射撃指揮装置が発達した現在でも同じことです。

したがって、射撃手順 (6) の 「弾着観測」 に基づきそれを修正していくことになりますが、ここで注意しなければならないことは、その修正値は手順 (1) の 「測的」 や (2) の 「射撃計算」 では加味されないということです。  つまり最新の測的データに基づいて手順 (2) の通常の射撃計算を行った後に、その都度その時の射弾修正値を加える必要があります。

これは、砲戦実施中は誰かが常に現在の修正値を把握し、射撃計算に付け加えていかなければならない、と言うことです。 しかもそれは各砲種ごと別個に。



以上簡単に説明しましたが、これら全てのことが 「一斉打方」 や 「交互打方」 で斉射をやろうとすると必要になってきます。 そしてこれらは機械・装置によって全自動的に実施し得ない限り、 誰かがやらなければなりません。

では誰がやるのか?  もちろん砲術長自身が一人でこれら全てのことをやっている余裕など無いことは、皆さんも十分にお判りいただけると思います。 したがって当然のこととして、そのための人員配置や 機器・設備が必要になってきます。




 射撃指揮組織


それでは、射撃の手順に従って 「一斉打方」 や 「交互打方」 において斉射をやろうとするときに、これらの手順を “何処で誰がどの様に” 実施するのか、という 射撃指揮組織射撃指揮系統 の話しです。

次の図は、大正9年に昼間砲戦における射撃幹部の組織を規定したものです。 「射撃幹部」 というのは、射撃指揮官 (砲術長など) 及びその下で射撃指揮の補佐として関わる者を言います。




そしてその時の主砲の射撃幹部の配員表です。





大正9年と言えば、既に大正6年の 「扶桑」 「金剛」 型に続いて順次方位盤が制式装備され、これに伴い大正2年に制定された 『艦砲射撃教範』 が前年の8年に改正されて、昭和期へと続く近代射法がほぼ確立してきた段階です。

したがって本表にはこの方位盤の関係員が示されていますし、また測距儀も4.5メートル及び3.5メートルの大型のものが既に導入されていますので、その要員も多くなっています。

しかしながらそれらの点を除いても、主砲だけでさえこれを管制して 「一斉打方」 や 「交互打方」 で斉射を実施するためには、これだけの組織と人員が必要になる、ということを理解していただけると思います。

そして、これらの組織・系統を結ぶ通報器や電話、伝声管などの通信装置の内、射撃指揮所と方位盤、測的所、発令所を結ぶものを 「射撃幹部通信」、発令所と各砲塔・砲廓砲を結ぶものを 「砲側通信」 と言います。

「射撃幹部通信」 と 「砲側通信」 とでどの様なものが必要になるのかは、近代射法が誕生した直後の明治45年当時のものを 『08 距離通報器について』 で既に紹介したところです。

当然ながら、副砲での射撃のためには同じ様な組織・人員・機器設備が全て主砲とは “別に” 必要になりますし、分火 (主砲又は副砲を2群に分けてそれぞれが別の目標を射撃すること) を必要とするなら更に増えることになります。

そして、上の図表をご覧になれば、上の 『射撃の手順』 で説明した、その射撃手順に従ったそれぞれの段階での機能分担が組織上も明確になっていることがお判りいただけると思います。



 (1) 射撃指揮所


「射撃指揮所」 は艦長の戦闘・砲戦指揮の下で、射撃指揮官が射撃指揮をする所です。 即ち目標の選択・指示を始めとする射撃全体の指揮の場であり、加えて先の射撃手順の (5) 及び (6) を行う場所でもあります。

主砲を指揮する砲術長が位置するのが 「主砲射撃指揮所」、副砲を指揮するのが 「副砲射撃指揮所」 であり、また通常それぞれには通常主用・副用 としての 「前部」 と 「後部」 の2箇所があり、 更には予備用があります。 特に分火の場合には、主・副の両方を同時に使用する必要があります。



 (2) 測的所


「測的所」 は先の 「射撃手順」 の (1) を実施するところで、主として測距儀と測的盤を運用します。 主砲と副砲とで同一目標を射撃する場合は一箇所でもよいですが、それぞれ別の目標を射撃したり、 主砲や副砲をそれぞれ分火するためにはそれぞれ用の測的所が必要になります。



 (3) 発令所


「発令所」 (初期には 「下部発令所」 と呼んでいました) は射撃計算と発砲の管制、並びに射撃指揮官の命令指示を砲側へ伝達し、また砲側の状況を射撃指揮官に報告するところです。

先の射撃手順で言えば (2) (3) (5)、及び (7) の射撃指揮官が令した射弾修正を (2) の 「射撃計算」 の結果に加えるところです。

当然ながら主砲と副砲用、そしてそれぞれの 「前部」 と 「後部」 があります。 この発令所を所掌するのが 「発令所長」 であり、また発砲を管制するのが 「号令官」 です。 当然ながら、分火をする 場合にはそれぞれの発令所が同時に機能しなければなりません。

皆さんお判りと思いますが、実はこの 「発令所」 の有無が近代射法実施上の重要な “カギ” の一つです。 即ち、射撃指揮系統・組織の中にこの発令所の機能がない、 ということは 「一斉打方」 や 「交互打方」 での斉射はやっていない、出来ない、という事なのです。



以上説明してきました組織とそれに必要な指揮・通信用機器・設備を定めたのが、先に出てきました明治45年に始めて制定された 『戦艦及一等巡洋艦砲火指揮装置制式』 です。 そしてこれは砲術とその装備の発展と 共に、大正4年 『戦闘通信装置制式』、大正12年 『砲戦指揮装置制式草案』、昭和7年 『砲戦指揮装置制式』 と順次改訂されていきます。

それでは、日露戦争期のこの射撃幹部に相当する指揮組織・系統はどうだったのでしょうか?

次に示しますのは、日本海海戦時 (正確には黄海海戦の戦訓により修正した時) の 「三笠」 のものです。




さて、これでどうやったら 「一斉打方」 や 「交互打方」 による斉射が実施できるでしょうか?

必要な人や物も、そしてその組織もまだありません。 これでは絶対に出来るわけがないことは、これまでのご説明でもう皆さん十分にお判りになると思います。


(注) : 本項で使用した画像の内、「三笠」 のものは防衛省防衛研究所が保有・保管する史料から、それ以外は総て本サイトが所有する旧海軍史料からです。







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 最終更新 : 02/Jul/2011