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第3話 日露戦争期の機雷の話し



 はじめに


『水雷の話題あれこれ』 の第3話 『日露戦争期の機雷の話し』 は、第2話に引き続き、私の 『桜と錨の気ままなブログ』 で、別宮暖朗著 『坂の上の雲ではわからない日本海海戦』 (改訂文庫版 『日本海海戦の深層』 ) (以下両書を合わせて 『別宮暖朗本』 と称します。) のあまりの酷さに、その内容のウソと誤りを根拠を示してご説明してきたもので、ブログ形式では日付順で流れて読みにくくなっていますので、改めて纏め直してこちらで掲載し直すものです。

当該書の指摘の始まりについては、『砲術の話題あれこれ』 の 第2話の冒頭 に書いてありますのでそちらの方をご覧いただくこととして、こちらでは重複になりますので省略いたします。

この第3話においては、機械水雷 (機雷) とは何かについてその一般的な基礎をご説明するとと共に、日露戦争において史上初めて日露海軍双方による機雷原の構築、そして旧海軍による攻勢機雷という用法が何故可能になったのかをお話しします。

そして、小田喜代蔵という人物や、旅順口沖での 「ペトロパフロフスク」 触雷・沈没について、世間一般で流布されている誤った話しについても、根拠を示して解説します。 

ただし、機械水雷の歴史全般や、日露戦争期以外での機雷及びその使用については第3話で必要な範囲に止めておりますので、それらについてはまた別の機会にということにいたします。

また、最後に前回の 『第2話 連繋機雷 (一号機雷) の話し』 とこの第3話において 『別宮暖朗本』 のウソと誤りを指摘した個所を纏めて提示いたします。 この機雷というたった一つの項目についてさえ、最小限の引用文でもこれだけの量があるということを。

(注) : 以下の頁において背景を灰色で記述する引用文の最後に ( ) で示す頁数は、黒字が 『坂の上の雲ではわからない日本海海戦』 、緑字が 『日本海海戦の深層』 のそれぞれ該当頁です。) 




 目 次



 「敷設水雷」 について
 「機雷」 一般 (前編)

          繋維機雷について

 「機雷」 一般 (中編)

          浮流機雷とハーグ条約

          繋維機雷の敷設法

 「機雷」 一般 (後編)

          自働繋維器について

 小田喜代蔵と機雷 (前編)

          小田の発明考案について

 小田喜代蔵と機雷 (後編)

          小田の真の功績について

          機雷原について

 「ペトロパブロフスク」 の撃沈 (前編)

          旅順口沖の機雷敷設

 「ペトロパブロフスク」 の撃沈 (後編)

          「ペトロパブロフスク」 撃沈の真相

 (付) 『別宮暖朗本』 機雷関係指摘個所一覧







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 最終更新 : 07/Jan/2012