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「機雷」 一般 (後編)



 自働繋維器について


 さて、この自働繋維器ですが、その原理は非常に単純で下図のとおりです。 現在の繋維機雷でも基本的には同じです。


moored_mine_theory_01_s.jpg


(A) 機雷を投下すると、(B) 〜 (D) 先ず海面に浮かんだままで繋維器に装備した深度索が下に伸びます。 この深度索の長さ (d) が、機雷缶の海面下の深度と同じです。

( 詳細なデータや図面が無いので確認できませんが、どうも小田喜代蔵が考案したものはこの深度索は展張式ではなく、繋維器に固定されたものだったようにも思えます。)

(D) 〜 (E) 深度索を伸ばし終わると、繋維器に注水して繋維器は繋維索を伸ばしながら沈みます。 この段階では機雷缶はまだ海面に浮いています。

そして、(E) 深度索の先端にある深度錘が海底に着くと、この段階で繋維器は繋維索を伸ばすのを止めます。 (F) あとは繋維器と一緒に海面上の機雷缶も深度索の長さ分だけ沈むことになります。

(G) すると繋維器が海底に着いた時には、機雷缶は深度索の長さ (d) に等しい海面下深度にあることになります。

即ち、深度索の長さ (=機雷缶の深度) さえ決めておけば、繋維索の伸ばす長さ、即ちそれの元になる敷設地点の水深は、予め決める必要もなければ、知る必要もありません。

まさに 「コロンブスの卵」 的着想であったわけです。

つまり、この様な極めて単純な原理のものでありながら、これによって事前に個々の機雷の敷設位置の水深や海底地形の正確な情報を確認する必要がなく、それによる繋維索の長さの調整も必要ありません。

敷設予定海面の概略の水深と底質など、即ち敷設に適する海底かどうかさえ判っていれば、それでも十分なわけです。

また実際の敷設位置やその水深に当初計画と誤差があっても、総ての機雷缶を正確な計画深度に “自動的に” 敷設することが可能となりました。

即ち、敵前の未知の海面にも大規模・迅速かつ適切な機雷缶深度で敷設することが可能 となったのです。 つまり機雷を 初めて “大規模” かつ “攻勢的” に使えるようになったのです。

これは 機雷戦の発展において、極めて重要な意味を持つ ことになることはご理解いただけると思います。 実に “偉大な” 考案だったわけです。

この肝心なことが抜けていると、日露戦争における旧海軍の旅順やウラジオストックに対する大規模な機雷敷設戦の実態について、


日露戦争が勃発すると、港内に潜み、たまにしか出てこない旅順艦隊の戦艦をなんとか一隻でも撃沈することはできないか、と小田は考えた。 現在からみれば、当然のように聞こえるかもしれないが、当時としては破天荒な考えだった。 (p183) (p191)

ペロトパブロフスク撃沈は、機雷戦術に新局面を開くものだった。 とにかく、機雷を攻撃的に使用するという発想はそれまでの世界の海軍界にはなかった。 (p187) (p194)



など、何の意味も無い文章であることがお判りいただけるでしょう。

「繋維機雷」 の一般について3回に分けてお話ししましたが、要するに、この 『別宮暖朗本』 の著者は当時の繋維機雷について肝心なことは何一つまともに述べていない、いやスッポリと抜け落ちていると言うことがお判りいただけたかと。

何も知らない、何も判らない、何も調べていない、で書いているからでしょう。







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 最終更新 : 06/Jan/2012