トップ頁へ 砲術あれこれメニューへ



「九三式魚雷」 の機関系統について




九〇式魚雷のように圧縮空気を用いる方法では、空気の組成の大部分を占める窒素は魚雷の推進には役に立たずにそのまま排出されるわけですから、この窒素を除いた純酸素を用いることができれば、機関系統全体の効率は格段に向上することになります。 これが酸素魚雷の原理のメインです。

下図が九三式魚雷の機関系統の略図です。 これも極めてシンプルなものにしておりますので、先の九〇式魚雷のものと比べてみて下さい。




九〇式魚雷までの圧縮空気を純酸素に置き換えましたので、窒素が無くなっただけ気室の容量を小さくでき、逆に容量が同じなら燃焼持続時間を長くし航続距離を大幅に伸ばすことができます。 しかしながら、純酸素は摩擦や熱で簡単に爆燃してしまうものですから、大変に危険でかつ扱い難いものです。

したがって主機の起動時からいきなり100%の濃い酸素を使うわけには行きませんので、どうしても最初だけは酸素濃度が薄い通常の空気が必要になります。 それも単なる圧縮空気ではなく、水分と油分を取り除いた乾燥空気でなければなりません。

この乾燥空気によって主機を起動してから徐々に濃度の高いものにしていくため圧縮空気の小さなタンクが設けられています。 これがこの酸素魚雷の最大のミソになります。 旧海軍では酸素魚雷であること、そして起動用に乾燥空気を使用することを秘匿するために、この起動用の空気を 「第一空気」 (一空)、純酸素を 「第二空気」 (二空) と呼びました。

そして九〇式魚雷では燃料の噴射に真水を用いていましたが、酸素を使うことにより射程距離が長くなるとそれだけ大量の真水 (= 大きなタンク) が必要になりますので、これを海水に置き換え、海水を取り込むポンプを装備することにしました。


最初に起動弁を開いておき次いで発停装置を開くと、まず第一空気 (乾燥空気) が調和器、加熱装置を経由して主機に送られ、ピストンを起動します。

そして第一空気室の圧が第二空気の酸素の圧より低くなると、不還弁によってその分だけ第二空気室から第一空気室に酸素が送られ、次第に濃度の高いものとなります。 また、第一空気の一部は緩衝器に送られて中の水を押し出し、この水が燃料室の燃料を分離器を通して加熱装置に送り出します。

主機が回転を始めると海水ポンプが運転され、海水が緩衝器に送られます。 緩衝器ではこの海水の圧力と空気 (次第に酸素) の圧力とが釣り合うと、最初の真水に続いて海水が燃料室と加熱装置に送られます。 加熱装置には逐次酸素濃度の高い空気と燃料及び水が送り込まれますので、頃合いをみて火管で点火して熱走に移ります。

緩衝器は海水ポンプが十分な海水圧を作り出すまでの間燃料室と加熱装置に真水を供給することと、海水圧を調和器の圧とつり合うようにバランスをとって脈動を防止するとともに 、余分な海水を海中に排出する役目を持っています。

燃料室にある分離器は、魚雷がローリング (横回転) しても最後まで燃料を送り出すためのものです。

そして加熱装置での燃焼後に残るのは、海水の塩分などわずかなもの以外はほとんどが二酸化炭素と水分です。 この二酸化炭素は水に極めてよく溶けますので、第一空気を使用する航走初期を除けば排出ガスとしてほとんど残ることのない、ほぼ無航跡とすることができます。 この点は魚雷として大変大きな利点になります。 もちろんこれは酸素魚雷とする主目的ではなく、純酸素を使うことによる副次効果ですが。

これらによって、九三式魚雷は520馬力、炸薬量490kg、49ノットで2万メートルのものとなりました。  九〇式魚雷 (炸薬量376kg、46ノットで7千メートル) は勿論のこと、当時の列国海軍の魚雷に比べて格段に優れた性能です。


・・・・ と理屈は簡単なんですが、酸素は油分や摩擦を嫌いますし、気密保持のためのパッキンは使えない、適切に燃焼させないとすぐに爆燃を起こす、などなどその対策に大変なものがあったわけです。

例えば、加熱装置内で燃焼が終わらなければ、加熱室 (燃焼室) 下部や弁が炎で焼かれますので、酸素、燃料、海水それぞれの噴霧器の構造に細心の工夫が必要になります。

ここまでの開発経緯も興味深いものがありますが、詳細はまた別の機会として今回は省略します。


この酸素魚雷の開発は昭和5年に艦政本部から呉海軍工廠に実験通牒が出され、大八木静雄造兵中佐が研究・設計に当たっておりましたが、昭和7年に試製魚雷庚となって試作され、これが九三式魚雷の予備実験になったと言われています。

そしてまず巡洋艦用に九〇式魚雷を改造して酸素化したものを開発することとなりました。 これが試製魚雷Aで、担当は艦政本部の朝熊利英造兵中佐と楠厚技手でした。

昭和8年 (皇紀2593年) に発射実験を行って 「仮称九三式魚雷」 となり、昭和10年11月28日内令兵第50号によって 「九三式魚雷一型」 として兵器採用されました。

とは言っても、兵器採用後に各部の色々な手直しや改善を加えて、実際に部隊に配備されたのは 「九三式魚雷一型改二」 です。







話題メニューへ 前頁へ 頁トップへ 次頁へ

 最終更新 : 25/Mar/2017