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「一液」 について




さて、関係者の大変な苦労により誕生した九三式魚雷ですが、実用化されればされたで色々欲が出てきます。 前項でお気づきの方がおられるかも知れませんが、その一つが 「第一空気」 です。

前述のとおり第一空気は乾燥空気ですので、その主成分のほとんどは窒素であり、九〇式魚雷の場合と同じく魚雷の推進には直接の役には立ちません。 そして純酸素と混ざるものですから、この乾燥空気の質の管理と気室の構造、そして空気圧の適切な保守整備など色々面倒なことが伴います。

そこで、この窒素を他の不活性の液状のものに置き換えて主機を起動できるようになるならば、第一空気そのもの (とそのタンク) が不要となるわけです。

つまり、純酸素だけを使用し、主機の起動の際には窒素に変わるその液体を調和器までの酸素の経路上に置いておいて、酸素通過時に霧吹きの要領でこれに混ぜれば良いのでは、とのアイデアが出ます。

そこで各種の実験によって四塩化炭素 (CCl4) で可能である結果を得ましたので、第一空気室を無くして、この四塩化炭素の液溜まり設け、これを 「一液」 と呼びました。 発明は横須賀海軍工廠造兵部から呉海軍工廠魚雷実験部に移った川瀬秀夫技師とされています。

ただし元々の第一空気は操舵装置の動力源としても使用しておりましたので、今度はそのための空気が必要になり、「操舵空気室」 というボトルが置かれました。 もっとも、こちらは第一空気のような厳密な質の管理と機構は不要ですので、普通の圧縮空気の扱いで良いわけです。

下の図がこの 「一液」 方式にした九三魚雷の構造略図です。




戦後になって、一部において発射直後の航走中に第一空気による航跡が数百メートル発生するため、これを無くすために四塩化炭素を使用したとする向きがありますが、もちろんこれは副次効果であって主目的ではありません。

その一方で、開戦後の戦術状況の変化により用兵者側から射程よりも炸薬量増加の要望が出された結果、これにより炸薬は780kgとなった反面、酸素室の容量が元の980リットルから750リットルとなり、射程は49ノットで1万5千メートルとなりました。

これが昭和19年2月13日内令兵第10号により兵器採用された 「九三式魚雷三型」 となります。

また同じ酸素魚雷で九三式の小型版と言える潜水艦用の 「九五式魚雷」 でも同様にこの 「第一空気」 を 「一液」 方式に替えたのですが、実用化は九三式よりこちらの方が早く、昭和18年9月1日内令第89号により 「九五式魚雷二型」 として兵器採用されています。


ところが、戦後になって中にはこの 「一液」 である四塩化炭素を、海水使用による酸素の管系統や加熱装置 (燃焼室) 及び主機内部に析出する塩分の除去のためであったとする説を唱える人がいます。

確かにこの塩分の問題は、九〇式魚雷での真水使用を九三式魚雷では海水に替えたために生じたもので、その解決が必要なことではあります。

しかしながら、これは起動時ではなく正常に航走を開始した後に生じることですから、一液の目的を考えていただければその塩分除去の役割は無かったことは明らかですし、そもそも四塩化炭素そのものにはその除去作用は有りません。

ではこの塩分除去はどうしたのでしょうか? これについては次にお話しします。







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 最終更新 : 25/Mar/2017