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艦砲射撃の基礎 − 照準と射撃計算 |
先の 「照準」 ということについて、補足の意味も兼ねてもう少し説明します。
艦載砲が目標を射撃する為に必要なデータを 「射撃諸元」 と言います。 この射撃諸元は 「方向、目標、左右苗頭、上下苗頭、照尺距離、信管秒時、仮標、及び仮標角」 からなります。
(注) : これらの各用語の意味についても、 『射撃関係用語集』 にありますので参照下さい。
この内、通常の水上射撃で必要なデータは 「方向、目標、左右苗頭、照尺距離」 です。
方位盤など無かった時代、「方向」 と 「目標」 は砲の射手が照準器によって目標上の定められた照準点を照準する 「照準線」 (Line of Sight、LOS) によって直接実現されますので、 砲そのもので調定 (設定) するデータは 「左右苗頭」 と 「照尺距離」 の2つ ということになり、かつこの2つは射撃計算の結果として、砲に与えられるデータです。 ( では、誰がこの計算をするのか、という問題はまた後にします。)
(注) : なお、射撃計算の理論と方法については、『射撃理論解説 初級編』 をご覧下さい。
それでは、この 「左右苗頭」 と 「照尺距離」 は何 (どこ) を基準にして調定するのかといいますと、お判りのとおり “照準線に対して” です。 即ち、「照準線」 に対して、「砲 (筒) 軸線」 (Bore Axis、≒ Line of Fire (LOF) ) を左右、上下にどれだけずらすのか、言い換えれば どれだけの角度を持たせるのか、と言うことになります。
(注) : 「筒」 の字は例によって替え字です。
実は、これを実現するのが 「照準器」 なんです。
( 四十口径安式六吋砲に装備された照準器の例 )
( 照準望遠鏡無しの照準器の詳細 四十五口径安式四吋七砲の例 上図の6インチ砲の照準器もほぼ同じ構造 )
砲側照準器は、照尺距離 0 メートルならば、照準線が砲軸線と完全な並行になるように取り付けられています。 そして、照尺距離と左右苗頭の値をこの照準器の目盛に調定すると、照準器が動くことにより照準線 (上の図の場合では照門の位置) が上下、左右にずれて砲軸線と所定の角度を持つようになります。
( 照尺距離の調定の場合の例 )
ところが、“照準をする” とは射手が “砲そのもの” を動かして実施しますから、砲を動かして照準器の照準線を目標の照準点にピタリと合わせると、その結果として逆に砲の砲軸線が所要の方向を向くことになります。
このことはお判りいただけますでしょうか?
したがって、「照準」 ということと、砲に (即ち照準器に) 射撃計算結果である 「照尺距離」 と 「左右苗頭」 を調定すると言うことは、“全く別の行為” であり、かつ照準が正しくなければ、いくら正確な射撃計算をして射撃諸元を砲に調定したところで、弾が当たるわけがありません。
そして何度も繰り返しますが、この 「照準」 とは 「射手」 という “人” が、目で見ながら照準線を目標の照準点に合わせるように、砲そのものを動かすことであって、照尺距離や左右苗頭を照準器に調定するような機械的な目盛操作ではありません。
たったこんな事さえ “知らない、判らない、調べていない” のが 『別宮暖朗本』 の著者ですから、
元来、艦砲の狙いとは左右 (Bearing) と高低 (Elevation) でしかない。 そして、これは機械の目盛りで決定される。 (p63) (p67) |
などという “ウソ、誤り” が堂々と書ける。 ( そもそも 「Bearing」 って。 砲の旋回方位 (角) は 「Train」 ですね。 )
既にお話ししてきましたように、この 『別宮暖朗本』 の著者は、「照準」 ということについて全く理解できていません。 それは前項の 「艦砲射撃の基本中の基本」 でお話しした、艦砲射撃というものの本質がどういうものなのか全く判っていないからです。
いったい射手による 「照準」 なしにどうやったら射撃そのものができるとこの著者は思っているんでしょう? これについては 『別宮暖朗本』 の中にで全く書かれておりません。 それはそうでしょう、判らずに書いているんですから。
したがって、この 「照準」 が判らないために、次のようにも書いています。
日露戦争のころ、砲術における三種の神器とされたのは、照準望遠鏡、測距儀、トランスミッターの三つで、このうち照準望遠鏡はあまり重要ではない。 (p74) (p77) |
照準望遠鏡 (Telescopic Sight) とは、狙撃手が小銃の上につけるスコープと同様のもので、単眼望遠鏡であるにすぎない。 つまり砲手の目で照準をつける 水雷艇対策の12ポンド砲 (ロシアでは75ミリ砲) で有効な武器である。 (p74) (p77) |
あまりにも馬鹿馬鹿し過ぎてコメントを付ける気にもなりません。 この 「照準」 という問題については既にくどいまでに説明してきましたので、もう改めて申し上げる必要もないでしょう。 正確な 「照準」 のためには、優れた照準望遠鏡、すなわち優れた照準器が必須なのです。
( 四十口径安式六吋砲用照準望遠鏡付き照準器 )
「照準」 が判らない、だから照準望遠鏡についても判らない、したがって “単眼望遠鏡であるにすぎない” というこんな文章にならざるを得ないのです。 つまり、この著者には何故 「大和」 「武蔵」 に装備された 「九八式方位盤」 の様な “超高級” な照準装置が出来たのか、などは理解不能なことでしょう。
更に大きな問題点は、この 「照準」 ということが判らないので、必然的に艦砲射撃全体の記述が訳の判らない推測・想像による “トンデモ本” になってしまっています。
例えば、「照準」 すら判っていないので、同じく目標をキチンと “測る” という 「測的」 についても全く出てきません。 いや出てこないのは当たり前で、この著者は 「測的」 というものを 全く知らない、判らないからです。 判らないからこそ、「苗頭」 の所でもとんでもない説明をしているわけです。 ( この 「測的」 「苗頭」 についても、後の項で詳しくお話しします。)
いったい、「測的」、つまり目標の 「方位の測定」 と 「測距儀による測距」 がなくて、どうやって目標の的針的速が得られるのでしょうか? これがなければ正確な射撃計算などは不可能なことです。
艦艇の速力も遅く、運動見越などがある程度ラフであっても、その誤差が目標の大きさの中に収まってしまうような近距離射撃の場合ならともかく、それ以遠の射距離になる場合には、 この測的結果に基づいて正確な射撃計算をし、それを各砲に調定する必要が出てきます。
もしその測的とそれに基づく射撃計算が “1ヶ所” でできないとするなら、即ち各砲台毎に実施していたのでは、今日でいう 「斉射」 はできないと言うことになります。
それはそうでしょう。 そうでなければ、後の (=日露戦争以後の) 近代射法上の要求を満たすほどの、一斉射ごとのまともな 「散布界」 など得られるはずはありませんから。
この著者はさも判ったように次のことを書いていますが、
斉射法を実行するに当たって、日露戦争時代の5000メートルから1万2000メートルの砲戦でインプットすべき要素は、敵艦速度・方向、原始位置 (距離)、自艦速度・方向に限られる。 (p72) (p75) |
「原始位置」 とは何のことかというツッコミはともかく、ではその敵艦の速度・方向は “何処で” “どうやって” 得られるのでしょうか?
これこそが 「測的」 であって、砲術にとっては重要な問題の一つです。 ですから、後になって 「方位測定」 と 「測距」 のデータに基づく的針・的速 (=目標の針路、速力) の解析し、対勢 (=自艦からどの方位、距離にどの様な向きでいるのか) を判断する 「測的盤」 が発明されたのです。
そして更なる精度向上のために、測的盤の改良と共に、長基線の測距儀が作られて測距精度を上げ、方位盤による正確な照準を利用して方位測定精度を上げる方策が採られるなどにより、 徐々に正確な測的が可能になり、これにより長射程における正確な射撃計算ができるようになってきたわけです。
『別宮暖朗本』 の著者は、この肝心な、そして近代砲術発展上、いずこの海軍でも苦労したこの 「照準」 「測的」 という艦砲射撃において基礎的な大問題を全く判っておらず、それ故に “如何にしたら射撃のための正確なデータが得られるか” という肝心要のことは完全スルーとなっています。
「照準」 さえまともにできない、射撃計算のための正確なデータが得られない ・・・・ で、一体どうやって射撃をするつもりなのでしょうか? この様なことは艦砲射撃の根本問題です。
まさか、当時既に自動追尾の射撃用レーダーを備えた射撃指揮装置があったとでもいうのでしょうか? それとも安保砲術長が自ら総てやっていたなどと言いたいのでしょうか。 あの 「三笠」 の露天艦橋で? (^_^;
これらの問題を抜きにしては、「打ち方」 や 「射法」 などといったものは決して語ることができないのですが、それを 「斉射法」 や 「優れた砲術というソフト技術」 などという訳の判らない言葉を振り回して “読者を煙に巻いている” のがこの 『別宮暖朗本』 と言えます。
最終更新 : 27/Jun/2011