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艦砲射撃の基本中の基本 − 照準




 「照準」 の必要性


世の中にはごく一般的なことについて、その様なことは一々言わなくても他の人も当然判っているだろう、と思っていると実は全く判っていなかった、ということを皆さんも沢山経験されていると思います。

艦砲射撃、砲術の世界でも同じです。 私達のように船や砲術に携わってきた者は、あまりにもその世界に長くいますと、一々説明するまでもなく当たり前のこと、と思っていることでも、世間一般の人には全く通じないと言うことが色々出てきます。 これからお話しする砲の 「照準」 ということも、どうやらその一つのようです。

つまり、拳銃・小銃に限らず、弓矢でも、石投げでも、あるいは野球においてさえ、物をある一点に当てる (投げる) ためには 「狙い」、すなわち 「照準」 が必要なことは、これはごく一般の人でも よく理解しておられるところでしょう。

では大砲の場合はどうなのか?  どうも艦砲射撃というものを、陸上での野砲などの射撃と混同している人がいるのではないか、と思うことが度々あります。

つまり、陸上戦闘における野戦砲兵や重砲兵などの射撃では、早い話、砲を水準器を使って水平に据え付け、地図上で砲の位置から目標の位置までの方位と距離 (それと高度差) を割り出して射撃計算をし、その結果を砲の旋回、俯仰として設定して、撃つ。

細かなことを除いて、ごく簡単に言ってしまえばそういうことになります。 艦砲射撃もそれと同じ感覚だと思っている人がおられるのではないでしょうか?

ところが、艦砲射撃では、自分の艦も目標 (相手艦) も動いています。 艦の動揺もあれば上下動もありますし、左右への振れ回りもあります。 つまりこれが何を意味するかというと、砲は発砲時に 必ず目標 (相手艦) を自分で 「狙う」、つまり 「照準」 している必要がある ということです。

“大正期以降 になって” 方位盤を装備するようになってからは (当然のことながら、これからお話しする明治期にはまだありません)、各砲での砲側照準に代わって方位盤一個所で照準 (=方位盤照準) するようになりましたが、それでもこれは、早い話が各砲側の照準器を纏めて方位盤に移したということに過ぎず、砲の射撃に 「照準」 が必要であるということには何ら変わりはありません。

これは大口径砲であろうと中小口径砲であろうと、また、砲塔砲であろうと砲廓砲、露天砲であろうと同じで、艦載砲の全てで 「照準」 が必須 ということです。 即ち、小銃や拳銃で射撃するのと同じことなのです。

したがって、この 「照準」 ということは、艦砲射撃の基本中の基本 であり、照準が正しくなければ当たるも何もありません。

どうもこの当たり前のことが判っておられない方がおられるようです。 いや、知らない、判らないままに本を出版された人が現実におられるわけですが (^_^;




 「照準」 の定義と意義


『艦砲射撃用語集 の中でも示しておりますが、ここでも改めて旧海軍史料に基づき 「照準」 及びこれに関連する用語の定義をしておきましょう。


照準線 望遠鏡照準器に在りては鏡軸の通視線、其の他の照準器に在りては照門と照星との通視線を言う。
目  標 目標とは射撃すべき物体を言い、仮標とは直接に目標を照準し能わざる時仮に照準すべき物体を言う。
照準点 照準点は目標 (仮標) 中照準線を指向すべき点を言う。
照  準 照準とは照準線を目標 (仮標) の照準点に指向するを言う。


したがって、「照準発射」 と言えば、上記の “照準” をして砲を発射することを意味します。  それでは、この 「照準」 は誰が行うのでしょうか?

これは砲側照準においても方位盤照準においても、「旋回手」 の協力動作の下で、「射手」 (=俯仰手) 行います。 もちろん、旋回手が配置されない (=必要がない) 小口径砲においては射手が一人で実施します。

次に、ではこの照準の 「精度」 はどれくらいが要求されるのでしょうか?  これは使用する砲種と、射撃する距離、目標の大きさを考えていただくと、概略のところはお判りいただけるでしょう。

例えば、初速 700mの12インチ (30センチ) 砲で、射距離6千mとします。 この時、目標の乾舷の高さ 7m、幅 25mの目標 (日露戦争当時の戦艦の船体中央断面よりやや大きい程度) の場合の 「命中界」 は 63m+25m、即ち 88mとなります。




この射距離差 88mは、砲の仰角に換算すると約9分、0.15度になります。 即ち、この目標艦の舷側上甲板ラインを照準して発砲する時には、発砲時にその照準が照準点から0.075度 以上上又は下にずれると全く当たらないことを意味します。

また、長さ 120mの目標が真横に向いているとするならば、この目標は 20ミリイ、即ち約1.2度の幅に見えます。 これも艦の中心を照準しても、発砲時に左右 10ミリイ (=0.6度) 以上ずれると当たらないことを意味します。

当然ながら、射弾の散布や測距誤差、指揮誤差などの問題が加わって、問題はもっと複雑ですが、ここでは話しを 簡単にするために、これらのことは取り敢えず除外します。

そして、この簡単な例示でも、何故旋回手でなくて俯仰手が射手となるのかがお判りいただけると思います。 そしてもう一つの理由が、照準線に対する目標の相対的な動きは、横方向よりも縦方向の方がダイナミック だからです。

上記のことはここでのご説明のために例示した条件での極めて大雑把な最大許容範囲に過ぎませんが、射手はどんなに大きくともこれ以内の誤差に納めて引金を引かなければならない、というところがお判り いただけると思います。

しかも、これを動揺や相互の艦の運動などにより、照準線に対して目標が上下左右に複雑に振れ回る中で、加えて風が吹く中、波・しぶきをかぶり、砲煙を浴びながら、です。 それも弾の飛び交う砲戦の間ずっ〜と。


( 明治37年12月制定の 『連合艦隊艦砲射撃教範』 より )


その上、砲の旋回、俯仰というのは、水平面に対してそれぞれ水平、垂直に動かす (動かせる) ものではありません。  常に揺れる艦の傾いた甲板面に対して旋回、俯仰するわけですから、正しい 「照準」 を維持するためには、旋回 (手)、俯仰 (手) の両方によって緻密な連繋操作をしなければなりません。

また、方位盤などまだ無かった時代の (そしてその後の時代でも砲側照準のときの) “照準する” とは、照準器だけを動かせば良いということではなく、“大砲 (砲塔) そのものを操作して” 行うものであることに注意してください。




 理解できない物書きさんがいる


さて、この艦砲射撃における基本中の基本である 「照準」 というものは、これの 良否 が “教育・訓練と経験による熟達であり、射手個人の才能・技能であり、精神力の賜” でないとすると、一体何なんでしょう?

したがって鎮海湾におけるあの猛烈な訓練の目的が、そして「天気晴朗なれども波高し」 の日本海海戦における艦砲射撃の基本が何にあったかは、充分にお判りいただけると思います。

・・・・ ところが、


艦砲の命中率とは、砲手が訓練をたくさんして、目を澄まして、心を沈着にし、狙いをつけても向上するものではない。 つまり、小銃の射撃訓練のようなことをして、練度をあげても弾はよく当たらない。 (p63) (p67)


艦砲で敵艦に狙いをつけるというのは、旋回手 (Trainer) と俯仰手 (Layman) の機械操作でしかなく、いずれもポイントを目盛りのどこにあてるかだけが課題である。 (p63) (p67)


引き金を引く砲手は、単にブザーに合わせるだけだ。 (p66) (p71)


近代砲術の世界では大中口径砲手の腕や目や神経は、命中率と関係がない。 いくら砲手を訓練したところで事故を防ぐことはできるが、命中率をあげることはできない。  6インチ砲や主砲を命中させることができるのは、砲術長、すなわち安保清種なのである。 (p269) (p278)


大口径主砲の砲手は、目盛り操作と弾丸装填のみに集中しており、敵艦をみるチャンスはない。 またみえたとしても目標は砲術長が決定するのが原則である。 (p270) (p279)


 安保は部下の砲手を機械の一部として活躍させたことについて、公言することを潔しとしなかった。 (p270) (p278)


などと、私達鉄砲屋からすれば呆れるばかりの “ウソと誤り”、いやもっとはっきりと言って“デタラメ” を堂々と書き連ねた本がこの 『別宮暖朗本』 であり、しかもこのことがこの本における著者の “主張の骨幹” に関わることなのですから、もう全く何をか況や、です。




 具体的な証明史料


それではこの 「照準」 について、『別宮暖朗本』 での上記の記述が “ウソ、誤り” であることを、旧海軍史料に基づいて具体的に実証しましょう。

日露戦争の最中、聯合艦隊は明治37年12月20日付けの 「聯隊法令第86号」 をもって 『連合艦隊艦砲射撃教範』 を制定、これを全軍に布告しました。


GF_manual-over_s.jpg

( タイプ印刷版の内表紙 )


この教範は全部で112ヶ条からなるものですが、その内の 「第1章 照準発射」 の37ヶ条、そして 「第2章 内筒砲射撃」 の27ヶ条とで合計64ヶ条、それに他の章にある照準に関する条項を含めると、実に全体の6割がこの射手の 「照準」 に関するものであり、射撃指揮や射法などについては残りの4割に過ぎないのです。

内筒砲射撃についてはこの後詳しくご説明しますが、これの最大の目的が射手の照準の訓練にあることは、容易にお判りいただけると思います。

(注) : 「とう」 の字は例によってパソコンの一般的なフォントにはありませんので、「筒」 で代用しました。 以下総て同じです。

即ち、如何に 射手の 「照準」 というものが “艦砲射撃の根幹” に関わるものであるか、と言うことです。

私の手元にあるのはキチンとタイプ印刷されたものですが、現在では当初の手書きのものが 「国立公文書館アジア歴史資料センター」 の次のURLで公開されていますので、まだご覧になっていない方はどうぞ。


http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/listPhoto?IS_STYLE=default&ID=M2009052815415934482



そしてもう一つ。 日露戦争中、旧海軍は 明治36年に全面改定された 『海軍艦砲操式』 の規定に従ってその装備する砲の操法を教育訓練し、実戦で使用しました。

この教範は日露戦争が終わった後、日露戦争での教訓などを採り入れた改正として、明治41年に 『海軍艦砲操式草案』 を試行 した結果を踏まえ、大正元年に新しい 『海軍艦砲操式』 として制定 されました。

その大正元年版の中 “でさえ”、例えば 「四十口径安式十二吋砲 (連装)」 についての規定では、次のとおりとされています。


(旋) ハ銃把ヲ握リ左右 照準 ヲ行ウ


(射) ハ銃把ヲ握リ食指ヲ引金ニ鉤シ上下照準 ヲ行ヒ ・・・・ (後略)


(右射) ((左射)) ハ右 (左) 砲ヲ発射シ次ニ (左射) ((右射)) ハ 「左(右)用意」 ト令ス ・・・・ (中略) ・・・・ (左射) ((右射)) ハ左 (右) 砲ヲ発射ス


(注) : (旋) とは旋回手、(右射) (左射)はそれぞれ右砲射手、左砲射手、(射) は左右両砲の射手を意味する略語です。

さて、一体どこに “射手の操作は単に機械の目盛に合わせるだけ” “ブザーに合わせて引き金を引くだけ” などとされているのでしょうか?

これは言い方を変えれば、艦砲射撃に日夜心血を注いだ全ての海軍軍人に対して、これほど侮辱し、無礼なことはないと言うことです。

「斉射法」 などと判ったようなことを独りよがりに振り回す以前に、たったこんな “初歩の初歩” さえキチンと調べもせず、また理解もできずに、ウソと誤りを書き連ねるようなことは、如何に砲術の素人とはいえやるべきでことではありません。

(注) : 上記の大正元年版 『海軍艦砲操式』 では、いわゆる 「交互打方」 が砲塔砲における発射法の規定であることにご注目下さい。 これもこの本のウソと誤りに関係することなのですが、これについてはこの後の項で詳しくお話しします。






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 最終更新 : 27/Jun/2011