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第1話 多田 vs. 遠藤論争 |
多田智彦氏と遠藤昭氏のお二人については、どちらも艦艇に関する世界では有名な方ですので、ここに来ていただける皆さんでお名前をご存じない方はおられないと思いますが、多田氏はエンジニア出身の防衛技術研究家であり、また遠藤氏は旧海軍艦艇の研究家です。
ここで採り上げる多田氏と遠藤氏との論争とは、月刊誌 『 軍事研究 』 上で行われたもので、その経緯は次のとおりです。
まずその発端は、多田智彦氏が 『 軍事研究 』 の平成17年11月号において、“ 科学的史実に基づかない素人砲術論の間違いを正す !! ” として 『 日本海海戦勝利の真実 』 と題する24頁の論文を投稿しました。
内容は、遠藤昭氏が学研の歴史群像太平洋戦争シリーズ48 『 日本軍艦発達史 』 に掲載した 『 日本海海戦勝利の真因 東郷長官の真の決断 』 と題するコラムの他、別宮暖朗氏の著書『「坂の上の雲」では分からない日本海海戦』などについて、その内容に多くの異論を唱えたものです。
学研の遠藤氏のコラムは、元々はご自分が主催する 「 戦前船舶研究会 」 が出している会報誌 『 戦前船舶 』 の号外として平成16年10月に出したものの中にある同名の論文に基づいた内容になっています。
この多田氏の異論に対して、遠藤氏が 『 軍事研究 』 平成18年1月号にその反論 『 多田論文を読みて 英士官来日が「SALVO」を決断させた 』 を掲載しました。 もっとも反論とは言ってもたった2頁であり、しかも多田氏を “ 子引き孫引き論者 ” とした上で僅か5項目のみチョロチョロと述べただけで、あとの半分は多田氏の異論とは全く関係のないご自分の自慢話に過ぎませんが ・・・・・
そしてこの遠藤氏の反論に対して、多田氏が 『 軍事研究 』 の2月号で 『 遠藤反論を受けて 改めて日本海海戦勝利の疑問点を提起する!』 と題する4頁の更なる異論を提示したものです。
ただし、この多田氏の主張の全体を理解するためには、同氏が 『 軍事研究 』 の平成13年3月号に投稿した 『 日本海海戦の勝因と射撃指揮 』 と題する16頁の論文も読んでおく必要があります。
2007.04.07 追補 : 丁度身辺あわただしい時に本項を書き始めましたので確認が不十分でした。 本項で取り上げた月刊誌 『軍事研究』 上での “多田 vs. 遠藤論争” は、実際には更に平成18年4月号に両氏の最終主張、反論が掲載されて終了となっております。
従いまして、本項も当該4月号までを含めたものとする必要が出てきたことと、 掲示板やメールを通じて多田氏ご本人より直接極めて真摯な対応をいただきましたことを併せ、これにより既存分を若干修正して今後の話を続けて行きたいと思います。
と言いましても 『軍事研究』 当該号に掲載されたものはそれぞれ僅か2頁づつのものであり、かつ内容的には全く新しいものは出てきておりません。 特に遠藤氏の記事は“(多田さんの質問の)回答は
「会報の調査報告」に全てあります” とのことだけで、最後まで多田氏の提示する主張及び疑問には全く答えずに終了しました。
しかしながら、そもそもこの 『戦前船舶』 号外 (遠藤氏ご本人はこれを 「調査報告」 と称していますが)、そしてそれを元にした学研掲載記事には、砲術について何一つ満足のいく説明が書かれていないからこそ多田氏の疑問と
なったのです。
『軍事研究』 誌上における遠藤氏のこの姿勢には当の多田氏ご本人は勿論のこと、読者の多くも全くの肩すかしを食ったような状態となり、不信感に近い感想を持たれたのではないかと思います。
英海軍の一下級士官の来日というたったこれだけのことを元にした単なる想像 (空想?) を活字にして、それをもって旧海軍砲術史の新たなる “真実”
“真相” と 声高々に叫ばれた上に、それに対する疑問には何一つまともに答えない (答えられない?) ままでは、これが後生に禍根を残すことの無いよう現代の鉄砲屋の末席に身を置いた者として
キチンと正す必要があると思っています。
2011.06.23 追補 : 第06項をUPして以降時間が空いてしまいましたが、この間にブログの方で別宮暖朗氏の著書のウソと誤りを指摘しつつ全62回にわたって艦砲射撃の基礎を含めてお話しし、これによって日露戦争期の旧海軍の砲術の姿を皆さんに明らかにすることができました。
しかしながら、ブログでは他の記事と一緒に一連で流れるため、この記事だけを取り出して眺めるには大変に不便で面倒ですので、これらの記事をこの 『砲術の話題』
の第2話として1つに纏めることといたしました。
つきましては、この第2話の中には当初本第1話で予定していました第07〜14項も総て含まれますので、これらを第1話の項目から削除することとしましたのでご了承下さい。
上記の論争での “素人砲術論” や “子引き孫引き論者” などといった文言はともかくとして、両氏の論点を整理すると下表のようになります。 実は、これらの項目のほとんどは、砲術を論ずる上で重要かつ基本的な事項を含んでいるのです。 その事が第1話で採り上げる理由です。
したがって、この多田 vs. 遠藤論争を題材にして、皆さんに “ 砲術とはなんぞや ” の一端を理解していただけるように、これらの項目を順次ご説明していきたいと思います。
01 19世紀末に戦艦主砲の口径が小さくなった理由 | |
02 速射砲とは | |
03 武式1米半測距儀 | |
04 英海軍 Thring 大尉の来日 | |
05 変距率盤について | |
06 距離時計について | |
07 射距離と照尺 | 第07〜13項は 第2話 『日露戦争期の旧海軍の砲術』 の中で詳しくお話しします。 |
08 砲撃に必要な諸データ | |
09 射法と打方 | |
10 射撃諸元などの伝達法(艦内通信) | |
11 艦砲操式と艦砲射撃教範 | |
12 当時の日本海軍の砲術 | |
13 日本海海戦当日の実際の射撃状況 |
最終更新 : 03/Jul/2011