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「触雷」 : 航空機の場合




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( 九一式魚雷の構造詳細図 )



さて、では航空魚雷の場合はどうなのでしょうか? 水上艦艇はともかくとして、潜水艦の場合よりも触雷の可能性は低いのでしょうか?

まず空中雷道を考えてみて下さい。 魚雷を左右の翼下に並行に吊下して同時投下するとしても、着水まで雷道上左右0.5度の狂いもなく、かつ雷道曲線と全く同じ姿勢で着水可能でしょうか? そして全く同一の射入雷道となることは可能でしょうか?

少しお考えいただけば、その様なことは全くあり得ないことは容易にお判りいただけるでしょう。


九一式魚雷では、空中雷道において魚雷の姿勢が落下する雷道の切線に近くなる様に、次の様な 「框板」 と呼ばれる木製のものを尾部に装着していました。


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( 元画像 : 「海軍水雷史」 より )



この框板によって魚雷の空中雷道の姿勢が安定することにより、射入時に適切な落角となるような母機の機速と投下高度の範囲を求めることが出来る様になりました。


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( 同 上 )



これに基づき、例えば九七式大艇の場合、開戦直前の東港空の戦闘準則では、全速にて距離3000mから雷撃コースに入り、高度100m、射距離1000mで九一式魚雷を投下することと規定されていました。

ただし、この框板のアイデアは必ずしも旧海軍ばかりではなく、例えば米海軍でも同じように考えており、Mk-13 魚雷でも下図の様な木製の Stabilizer が付けられています。


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( 元画像 : 米海軍資料より )



( 高速着水時の衝撃を緩和するために頭部に木製の Drag Ring が付けられていますが、九一式魚雷の場合は頭部を10ミリ厚のゴム被帽で覆っています。)

しかしこれよって空中雷道における魚雷の振れや揺れを減少させることはできますが、ゼロにはすることができないことは申し上げるまでもありません。

そして次ぎに問題となることは、水上艦艇や潜水艦に比べれば遥かに高速で海面に射入し、急激な減速と姿勢の変化をもたらすことです。 これが水上艦艇や潜水艦からの発射に比べて、雷道の不安定、不規則な運動の原因となります。

例えば、空中雷道における魚雷の縦軸方位が雷道より0.5度でも左右にずれるならば、高速での着水時にこれによって屈曲度が生じます。

また、航空魚雷の場合は縦舵機のジャイロは投下直後に発動するようになっていますので、投下時からジャイロの整定までのタイムラグによっては投下方位 (射線) との方位誤差が生じる要因となります。

要するに、せいぜいが数mの狭い装備間隔で複数の魚雷を同時投下すると、水上艦艇や潜水艦と比べて触雷の可能性が低いと考えられる点は何も有りません。 むしろその逆で、触雷生起の可能性は高いと見るべき であることを表しています。

ですから、旧海軍では九七式大艇においてこれの有無も含めた用法実験・研究を行っていたのです。 残念ながら開戦により中断されたため、遂に 終戦に至るまでそのデータは得られませんでした が。


なお、航空魚雷の空中雷道の問題は、『航空魚雷ノート』 (九一会編、昭和60年、非売品) 中に当時の九一式魚雷の開発関係者によって詳しく説明されていますので、興味のある方はそちらをご参照下さい。


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( 「航空魚雷ノート」 表紙 )



ところで、旧海軍の航空魚雷及びその射法の発達についてはその公式記録である 『帝国海軍水雷術史』 に詳細に残されているところです。


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要約するならば、

大正6年に 「ショート式水上機」 により 「朱式三十六糎魚雷」 を使用して初めて発射実験に成功し、以後航空雷撃の研究が進み、そして大正11年になって魚雷教練発射が始まりました。

大正13年に 「一三式艦上攻撃機」 により初めて3機編隊の発射訓練を行い、次いで15年には水上部隊との協同による 「鳳翔」 飛行機隊による応用教練発射が成功裏に実施され、これにより航空機による雷撃が艦隊の戦力の一部として研究が促進されることになります。

ただし、使用する魚雷は 「九一式魚雷」 が現れるまでは水上艦艇用の魚雷を改造したものであり、昭和年代に入ってもまだ 「四四式魚雷二号」 を改造したものが航空魚雷として使用されていました。

また、航空機は単発搭載であり、将来構想としての複数本搭載はともかくとして、この 複数本搭載魚雷の用法などについては現場においては全く頭に無かった ことは言うまでもありません。


そして、専用の航空魚雷である 「九一式魚雷」 が開発されたのは昭和7年12月であり、大型機への複数魚雷の搭載が実現したのは昭和13年1月制式採用された 「九七式大艇」 が初めてのことです。

これにより横浜航空隊において九七式大艇による九一式魚雷の 「用法」 の実験・研究が始まったわけですが、その途中で開戦を迎えたことは既にお話ししてきたとおりです。

つまり、旧海軍の航空魚雷においてはそもそも複数本の魚雷による 「触雷」 の生起が問題となるような状況・段階には至っていないのであり、航空魚雷の 複数本装備時の用法として “同時投下が原則” などがあるわけがありません。

某巨大掲示板でこれを主張された人は、何か単純に 「複数本搭載 = 同時投下」 の意味であると勘違いをしているか、あるいは 「用法」 というものを理解していないためと考えられます。


さて、これにて今回のお話しは一応終わりですが、当サイトへも巨大掲示板をご覧になっている方々がこちらにご来訪いただいているようですので、次ぎに当該議論についての私の見解を纏めて見たいと思います。







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 最終更新 : 03/Mar/2014