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「敷設水雷」 について




先の第2話において旧海軍の 「連繋機雷」 についてご説明しましたので、今度は一般的な機雷についてお話ししたいと思います。 その為にはまず、「敷設水雷」 というものから始めます。

ただし、「水雷」 というものの起源と語源などについては省略いたします。 それこそ火薬が発明されてそれを軍事的に使用され始めたときに存在するともいえるからです。 例えば、1585年のオランダ独立戦争でのアントワープの戦いにおいて、火薬船を流してパーマ (Parma) 橋の破壊を企てたことを以て 「浮遊水雷」 の始まり とも言うことが可能です。

( 今日においては 「敷設水雷」 は 「機雷」 の中に分類されますが、本項では一応日露戦争当時の旧海軍に焦点を当てていますので、当時の分類により 「敷設水雷」 と 「機雷」 (機械水雷) とは用語を分けてお話しします。)

本来 「水雷」 というものは、その性質によって大きくは次の2つに分けることができます。


非可動水雷 : 一般的に 敷設水雷 と呼ばれるもの、いわゆる 「機雷」 などもこの中に入ります
可動水雷   : 「魚形水雷」 (魚雷) など


もちろん、水雷というものはその形式も機能も多種多様ですので、これを厳密に分けることは不可能ですし、あまり意味がありません。 例えば旧海軍の 「牧村水雷」 の様な沈置浮揚式のものはどうするのか? 浮遊機雷はどちらに入るか? などです。

ただし、『別宮暖朗本』 では


防禦水雷とは攻撃水雷 (魚雷や爆雷) に対する言葉  (p179) (p186)



といっておりますが、これは誤りです。 もちろん旧海軍には 「防禦水雷」、「海防水雷」 という用語があり、また 「攻撃水雷」 という言葉もありますが、だからといって 「攻撃水雷」 という名称の兵器があった訳でも、またその様な区分があったわけではありません。 もちろん 「爆雷」 を 「攻撃水雷」 などと言ったこともありません。

そもそも 「防禦水雷」 の “防禦” は “攻撃” に対比させた意味ではありません。 単にその当初に港湾防禦用として使用したのでそう呼んだだけのことで、しかも制式用語でもありません。

もちろん、水雷を防禦的に使うか、攻撃用に使うかは、単に用法上の問題であって、水雷兵器そのものにそのような区分や違いがある訳ではありません。 これは例えば、「三四式魚雷」 などを港湾・海峡防備に使用したのを考えてみただけでお判りになるでしょう。

しかしながら魚雷が導入されたあと、水雷術を教育する時に便宜的に機雷と区別して、教育課程の中で 「防禦水雷」 「攻撃水雷」 という科目を設けたことが一時期ありました。 ただしそれは水雷兵器としての名称でも区分でもなく、単に教育課目上の都合だけのことです。


さて、この 「非可動水雷」 を明治期の旧海軍では次のように区分していました。


管制水雷   : 「敷設水雷」 あるいは 「有線水雷」 と呼ばれるもので 「海底水雷」、「浮漂水雷」、「電気触発水雷」 に細分されます。
非管制水雷 : 「機械水雷」、即ち 「機雷」 と呼ばれるもので、「機械的機械水雷」 と 「電気的機械水雷」 に細分されます。


また 「海底水雷」 と 「浮漂水雷」 はその発火方式として 視発水雷 に分類されますが、「電気触発水雷」 もこの視発方式で使用することが可能です。


日露戦争のころの防禦水雷は大きく3種類に分けることができる。 @ 視発水雷、A 電気水雷、B 機械水雷である。 (p179) (p186)



先にも述べましたが、日露戦争当時ではもう既に 「防禦水雷」 などとは呼んでおりません。 「敷設水雷」 です。

また、「電気水雷」 などという用語はありませんし、これでは何のことか判りません。 「電気触発水雷」 です。 もちろんこれを 「電気水雷」 とは略しません。


(視発) 水雷には二通りあり、海底水雷と浮標 (ふひょう) 水雷がある。 だいたいのことろ電線をつなげ、それで発火させるのが普通である。 (p179) (p187)

(注) : 青色文字は管理人が付加


「浮水雷」 ではありません 「浮水雷」 です。 そして 「浮標水雷」 は 「浮漂水雷」の一種です。 当然、浮標を用いない 「浮漂水雷」 もあります。

「だいたいのことろ電線をつなげ」 って、管制用の電纜が繋がっていない視発水雷などありません。 当然のことです。


@ 視発水雷とは字のごとく、哨兵が見た上で爆発させるものである。 たとえば海峡などに爆発物を設置し、衛所(見張り場)で敵艦が侵入してきたならば、その真下の水雷を爆発させるわけである。  (p179) (p187)

また安全を期して、衛所を二ヶ所以上設け、目撃が合致した場合のみ爆破させることもできる。  (p179−180) (p187)



ではどうやって視発水雷を管制するのか? 「甲衛所」 「乙衛所」 の違いは何か? 「視発弧器」 とは何なのか? この著者はそんなことは全く判っていないのでしょう。

目標 (敵艦) の位置を甲、乙2箇所の衛所で 「視発弧器」 (いわゆる 「照準器」 の一種と考えていただけるとよろしいかと) で方位測定をして 「クロス・ベアリング」、即ち2つの方位線の交点をとって決定し、敷設水雷との位置関係を求めるのです。 そして、目標位置と水雷位置とが合致したところで、その水雷を最終的に 「甲衛所」 で発火させます。

当然ながら、決して “安全を期して” やるために2箇所で管制するわけではありません。 そしてこの2箇所で管制するのを1箇所で実施できるように考えられたのが 「単衛所視発弧器」 です。


海峡突入に当たり敵艦が手前で砲撃をおこない衛所や砲台を事前に破壊することが予想される。 その場合、敵の砲撃位置をあらかじめ予想し、視発水雷を設置することは極めて有効であり、これを大前進水雷と呼んだ。  (p180)(p187)



いいえ、「大前進水雷」 などというものはありません。 しかも “大前進” の意味も全く違います。

日清戦争後に、例えば広島・呉の防禦のために防禦水雷の敷設線を広島湾から豊後水道に “大前進” させることを検討しました。 これには敷設水雷はもちろん海防用魚雷の使用も含まれていましたが、この方式を 「大前進水雷」 などと呼んだことはありませんし、もちろんその様な名称の水雷もありません。


電気水雷は電線を海底にはわせる必要があり、発見されやすい欠陥がある。 (p180) (p187〜188)



「電気触発水雷」 だけですか? 同じ管制機雷である 「海底水雷」 や 「浮漂水雷」 はどうなのでしょうか? そもそも 「発見されやすい」 とはどういうことを指すのでしょう? これでは全く意味不明ですね。 水雷本体が? それとも電纜、衛所? あるいは、敷設作業がでしょうか?

水雷本体は例え 「浮漂水雷」 であっても、余程近づかなければ判りません。 それに、電纜や衛所などを “隠蔽” することや、敷設作業を “秘匿” することは当たり前のことです。

この著者には、管制水雷がどのようなもので、どの様に敷設し、どの様に管制するのかという “実際” を全く何も判っていないからこういうことを突拍子もなく言い出すのでしょう。


外国では防禦水雷 (Mine) を大きく管制型と接触型 (コンタクト・マイン又は発明者からハーツ・タイプ) に分類する。 日本でいう電気水雷と視発水雷が管制型であり、機械水雷が接触型である。 (p180) (p188)



「防禦水雷 (Mine)」、「接触型」 って何でしょうか? こんな用語さえキチンと使えない。 “外国では” などとさも判ったようなことを言う以前の問題です。 しかも先にもお話ししましたように 「電気触発水雷」 は 「管制水雷」 であると同時に 「触発式」 でもあります。


薩英戦争では薩摩藩が錦江湾に、日清戦争では清国が旅順湾口に、電気水雷を敷設した。 (p180) (p188)



薩摩藩が敷設したのは明治期になって言うところの 「海底水雷」 の一種であって、「電気触発水雷」 ではありません。 「電気水雷」 などと誤った言葉を使うからこうなるのです。 それとも、もしかするとこの著者は 「電気触発水雷」 がどの様なものなのか知らずに書いているのでしょうか?

また、日清戦争では、旧海軍は佐世保、長崎、呉 (広島湾口)、東京湾口、横須賀、竹敷に 「電気触発水雷」 を含む敷設水雷を敷設していますが、日露戦争における機雷を語るのに何故こんな肝心ことが出てこないのでしょうか?


米西戦争でスペインがマニラ湾に (電気水雷を) 敷設したが、爆発しなかった。 (100ページ参照) (107頁参照)  (p180) (p188)

(注) : 水色文字は管理人が付加


US_old _mine_01_s.jpg   US_old _mine_02_s.jpg

( 左 : 米国独立戦争当時のブッシュネル (Bushnell) 考案の 「Keg Mine」  右 : 南北戦争において南軍が使用した敷設水雷 (機雷) )



もっとも、もしスペイン側が敷設したのが 「電気触発水雷」 だったとしても、それは船が当たらなければ爆発しないのは当然のことです。 スペイン側が 「電気触発水雷」 を敷設し、それが “当たったのに” 爆発しなかったという記録でもあるのでしょうか? 例によって何等の根拠も示されていませんが。

その一方では、何故かこの著者は言及していませんが、この時の海戦でスペイン側は2発の敷設水雷 (管制水雷) を発火させています。 遠すぎて当たりませんでしたが。 こちらの方はハッキリしています。 ( 「A History of Naval Tactics from 1530 to 1930」 (S. S. Robison、USNI、1943) などによる。)

海戦史をキチンと調べていればこのような片手落ちの記述にはならないはすですが ・・・・

それ以前の問題として、何の脈絡もなく突然としてこのような米西戦争の事例が出てきますが、日露戦争以前の敷設水雷の例を挙げるなら、何故米国の独立戦争や南北戦争での活躍が出てこないのでしょう?

そして少なくとも以上ご説明してきたような機雷に関する基本的なことをしっかりと調べて押さえてさえおれば、この著者による日露戦争における敷設水雷や機雷の使用について、突拍子もない主張にはならないはずです。

( もし旧海軍における日露戦争期以前の詳細についてお知りになりたい方がおられましたら 『水雷講堂』 で順次公開中の 『帝国海軍水雷術史』 の中にありますので、そちらをご参照下さい。)


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(参考) : 現代では、当時の 「敷設水雷」 の類も総て 「機雷」 として取り扱われ、次のように分類されるのが一般的です。

(1) 水中状態による分類

「繋維機雷」 (moored mine)
「沈底機雷」 (grounded mine)
「浮遊機雷」 (drifting mine)

(2) 発火方式による分類

「触発式」 (Contact) :
    a.電気化学を応用のもの (electro-chemical)
    b.海水電池を利用したもの (galvanic)
    c.機械的装置を利用したもの (mechanical)

「感応式」 (Influence) :
    a.磁気式 (magnetic mechanisms)
    b.音響式 (acoustic mechanisms)
    c.水圧式 (pressure mechanisms)

「管制式」 (Controlled)
「複合式」 (Combined usages)

(3) 敷設機関による分類

a.水上艦艇より敷設するもの
b.潜水艦より敷設するもの
c.航空機により敷設するもの



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なお、上記の内容について、ブログの方にてHN 「清水浩行」 氏より次の様なコメントをいただきました。


(視発) 水雷には二通りあり、海底水雷と浮標 (ふひょう) 水雷がある。 だいたいのことろ電線をつなげ、それで発火させるのが普通である。 (p179)
(注) : 水色文字は管理人が付加

>「浮標水雷」 ではありません 「浮漂水雷」 です。 そして 「浮標水雷」 は 「浮漂水雷」の一種です。 当然、浮標を用いない 「浮漂水雷」 もあります。

別宮さんもひどいが、この日本語も頂けない。 「浮遊水雷 Drifting Mine」 という処を 「浮標水雷」 と誤っている様に思います。 所説が御尤もなだけに、僅かな瑕疵が本旨を損なうことを惜しみます。


しかし残念ながら、何か勘違いをされたようです。

「浮漂水雷」 という用語は、2通りに使われることがあります。 即ち一般的な 「浮遊水雷」 と同じ意味で使われる場合と、固有名詞として特定のものを示す場合です。

前者の場合はその文字のとおり、敷設後は完全に “浮遊” (drift) (=浮流) するものを意味します。 そして明治期の文書にはこの意味で使われているものも “中には” あります。

しかしながら、後者の場合は 「管制水雷」 の一種としての名称ですので、缶体そのものは確かに浮き漂うものの、管制用の電纜が接続されており、いわばその範囲でしか自由度がありません。

日露戦争当時では単に 「浮漂水雷」 と言ったときは、ほとんどの場合がこちらの意味です。

したがって、ご指摘の箇所は 「管制水雷」 (視発水雷) の区分を言っておりますので、「浮遊水雷」 では誤りであり、「浮漂水雷」 でなければなりません。 またこれは 旧海軍の制式名称 でもあります。

そして細かいところですが、ご指摘された 「浮」 ではなく 「浮」 でなければなりません。 これも明確に区別して使う必要があります。






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 最終更新 : 05/Jan/2012