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連繋機雷について (1)



 『別宮暖朗本』 の記述


まず連繋機雷 (一号機雷) についての 『別宮暖朗本』 の記述からご紹介したいと思います。


(小田喜代蔵海軍中佐は) 一号機雷という特殊な浮標機雷をそのために発明していた。 一号機雷は全重量123キロ、炸薬量45キロ、 深度索長6メートルである。 浮標機雷とは 「浮き」 の下に小型機雷を吊したものである。 (p188) (p195)

(注) : ( ) は管理人の付記

小田は、ヒョロヒョロ魚雷による駆逐隊の戦果不振を一号機雷でもって打開することを提議した。 方法は、「二隻の駆逐艦が、700〜900メートル幅でロープを引き、敵艦の前方から突進する。 ロープの中央には2個の一号機雷をつなげる。 そして、その2個の中央を敵艦の艦首に激突させる。 駆逐艦はその瞬間にロープを放す。 敵艦は惰性で前に進み、機雷は敵艦の両舷側で炸裂する」 というものである。 (p188〜189) (p195)


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( p188 ) (p196)



(戦艦 「ナワリン」 撃沈は) 二つの駆逐艦でロープを張り、機雷二個をつなげ、そのまま前方に突撃する連繋機雷攻撃法が見事に成功した例だろう。 (188ページ参照)  (p323) (p335)

(注) : ( ) は管理人の付記


幅 700〜900メートル!!!  一体そのために全長何メートルのロープを使うつもりなのでしょう?  そしてその2隻の駆逐艦に一体何ノットで曳かせるつもりなんでしょう?  余程丈夫な太いロープが必要になりますし、余程の低速でない限りロープが海面上に飛び出てしまい、そして機雷も引きずられて海面に浮いてしまって波に叩かれることになりますが?  それとも一定深度を走るように機雷にフィンが付いていたとでも?

“海のこと” “船のこと” が少しでも解っていれば常識のことで、ちょっと考えれば余りにもあり得ない、出来もしない話しです。

またもし、敵艦の両側をたったの350〜450メートルの距離で、しかも数ノットの微弱な速力で真っ直ぐ走るなどしたら、それこそ沈めてくれと言わんばかりの、恰好の “射撃標的” になってしまいます。

そしてそもそも 「一号機雷」 とは何でしょう?  この 『別宮暖朗本』 が対象とする日露戦争当時、一号機雷というような名称の連繋機雷はありませんが。


ということで、そもそも 「連繋機雷」 とはどういうものだったのか、ということから入っていきます。



 連繋機雷とは


既に 『帝国海軍水雷術史』 でも公開していますように、「連繋機雷」 は浮漂 機雷4個をマニラ索で繋いだもので、これを搭載艦艇から敵艦艇前程の海面に “投下して敷設” するものです。 この著者の空想・妄想の産物とは全く異なります。

4個を長さ 100メートルの連繋索で繋ぎますので、全長 300メートルで1組とし、そして状況によっては2組を短い連結索で繋いで、機雷 8個、全長 600メートル (実際には連結索が約20メートルあります) として使うことも考慮されています。

また、日本海海戦時には旧ロシア駆逐艦の 「暁」 にこれを 8組搭載し、機雷 32個、全長約 2500メートルとして敷設することを計画しました。

しかも、明治37年10月に考案された当初のものは、「浮標機雷」 ではありませんで、機雷本体が海面上に浮いている 「浮遊機雷」 であり、しかも既存の球形機雷の缶体を利用したもので 「小型」 でもありません。




そもそも、この著者は 「浮遊機雷」 と 「浮流機雷」、「浮漂機雷」 と 「浮標機雷」 の区別さえもついていないと考えられますが ・・・・ これについてはこの後の第3話の一般機雷のお話しにて。

当初のものの実戦配備については、例えば10月24日付けの 「連合艦隊訓令」 (聯隊機密第1217号) を以て麾下全般に、そして具体的な搭載については 「聯隊機密第1208号」 (10月20日付) などによって出されています。 この時に本機雷を正式に 「連繋水雷」 と呼ぶこととされました。




そしてこの当初のものを製造して駆逐艦に実戦配備しつつ、38年1月、海軍大佐中村静嘉を委員長とする連繋水雷試験委員が指定され、これの改良実験が行われます。 ( 先の小田喜代蔵もその委員の一人 )

この改良実験の結果、38年2月に出来上がったのが、その後の6月に制式兵器採用されることになる改良連繋水雷です。 ( この兵器採用時に、その名称からする内容秘匿のために 「特種水雷」 という名称に変わりました。)

この改良型になって、機雷を海面下で爆発させるための 「浮標機雷」 になり、かつ連繋索が敵艦艦首に引っかかって機雷が舷側に引き寄せられた時に、水中で適切な姿勢と運動で艦体に衝突するような缶体形状と浮標への吊下方法になりました。




別の史料からもう少し正確な形状を示しますと下図のとおりです。


     

なお、この改良連繋水雷がその後の改良を経て大正10年に 「一号機雷甲」 と改称された時点での詳細は 『水雷兵器概説』 中の 「一号機雷甲」 として公開しておりますので、そちらをご参照下さい。

この改良型は直ちに製造、実戦配備に入り、38年4月には 「連繋水雷使用心得」 (聯隊機密第270号) として連合艦隊全体に知らしめるとともに、これを用いた戦術が連合艦隊戦策の改定により採り入れられます。

日本海海戦前に、この連繋機雷は先ず手始めに第三、第四駆逐隊の全艦に2組ずつ、及び一等水雷艇隊の各隊2〜3隻に各1組ずつ搭載され、その後製造・供給されるにつれてほとんどの駆逐艦及び一等水雷艇に搭載されたとされています。 また、実連繋機雷を搭載しない艦艇には、欺瞞用として 「擬水雷」 まで作製・搭載し、実機雷との同時・連係使用まで考慮していました。


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そして、日本海海戦の直前になって改定された 「連合艦隊戦策」 (聯隊機密第259号の3)によって 「浅間」、「暁」 を含む第一駆逐隊、及び第九艇隊による 「臨時奇襲隊」 を編成し、バルチック艦隊に対する昼間連繋機雷攻撃を計画しました。 (残念ながら、実際にはこれは荒天のためもあって中止となりましたが。)




その連合艦隊戦策の改定では、連繋機雷を用いた次の様な戦術が例示されています。


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( 図左上で、奇襲隊により敵艦隊の前程を取り囲むように連繋機雷を敷設します。)


そして、


機雷をロープでつないでも、海に落とせばグニャグニャになってしまいコントロール不可能である。 そのうえ予定戦場に機雷を落とすと味方被害の可能性がある。 こういった発想にもとづくものは、初めから武器にならない。 (p289) (p300)



この著者が何か勘違いしている 「連繋機雷」 という立派な武器になりました。

しかも、連繋機雷が想定した作動時間の範囲で、海の上でどうして “グニャグニャ” になるのでしょう? 海流の強い津軽海峡においてさえ実験の上で使用を計画したのに。 想像だけでものを言っており、海の上の実際のことは何も理解できていないことがよく解ります。 (連繋機雷による津軽海峡防禦については、後半でご説明します。)

加えて、敷設する艦艇自身及び味方艦艇、そして中立船舶に被害を及ぼさないように、「隔時器」 というものを組み込み、敷設後一定時間 (当初のものでは15分) してから作働状態になり、そして触雷起爆しなければ一定時間 (同じく当初のものでは、1時間ないし1時間半) 後に自動的に爆沈するように作られていました。


機雷をまくという海軍戦術は、どこの国の海軍にもない。 機雷とは径0.74メートル、400キロに達する大きなものであって、それを浮流させたならば簡単に発見されてしまう。 それゆえ海底の重しからワイヤーを伸ばして沈置する。 そしてコントロールできるものが魚雷なのであって、機雷まきが戦術になるのであれば、魚雷はいらない。 (p289) (p300)



こういう主張が出てくるのは連繋機雷というものを全く知らないどころか、 「浮遊機雷」 と 「浮流機雷」 との区別さえ判っていないからなんでしょう。



(注) : 本項で引用した各史料は、特記したもの以外は防衛研究所図書館史料室が保有・保管するものからです。 なお、赤線は説明の都合上管理人が付けたものです。




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 最終更新 : 27/Aug/2011