|
||||||||
二号機雷 |
水上艦艇より敷設する対水上艦艇用機雷で、明治36年6月に兵器に採用されたものです。 日露戦争において大量に使用された繋維機雷のほとんどは本機雷で、旅順港外においてロシア太平洋艦隊マカロフ司令長官座乗の 「ペトロパブロフスク」 を撃沈 したことでも有名です。
本機雷は、二号機雷と名付けられておりますが、旧海軍における繋維機雷の国産第1号です。 開発の経緯及び以後の改良などの詳細については、『極秘帝国海軍水雷術史』 の 『第6編第6章第2節 機械水雷の発達』 中の 『第1項第1目 明治37、8年戦役以前』 に掲載しておりますので、そちらをご覧下さい。
(注) : 本機雷については、一部のインターネット記事などでは 小田式機雷 などとしているものもありますが、本機雷の考案者は上記旧海軍公式史料でも示されていますように 武部岸郎 です。 小田喜代蔵は本機雷でも使用された 円錐形自働繋維器 (小田式自働繋維器) の考案者ではありますが、彼自身は機雷そのものを発明したことはありません。 したがいまして小田式機雷なるものは存在しません。
機雷缶缶体直径 | 球形 740 mm |
同 高さ | 740 mm |
同 厚さ | 4.7 mm |
機雷缶装備全重量 | 174.2 kg |
同 浮量 | 45.4 g |
繋維器 | 円錐形自働繋維器 |
炸 薬 | 下瀬六稜火薬 31.9 kg |
発火装置 | 既成電池電路啓閉器式 |
安全装置 | 砂糖断縁器及び隔時器 |
信 管 | 機雷電気信管 |
導火薬 | 下瀬火薬 1 kg |
整深装置 | 分離式 深度調定装置は無し |
敷設最大海深 | 170 m |
敷設深度 | 7 m |
最終更新 : 03/May/2010