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2-4-9.バルセロナ



 ナポリ → バルセロナ


昭和49年9月14日(土)朝9時 イタリアのナポリを出港して、いよいよ欧州最後のスペインのバルセロナです。


最短航路を採るためにまたボニフォシオ海峡を通りますが、今度は東から西へ、15日朝に抜けました。


そして9月月16日(月)朝6時半 短時間一旦バルセロナ港外で仮泊し、寄港中の調整とパイロットの乗艦を行いました。



 バルセロナ寄港


9月16日(月)朝8時 約1時間半で仮泊地を抜錨、登舷礼で礼砲を交換しつつ朝9時にバルセロナの商業桟橋に横付けしました。




( Google Earth より  当時より港湾がかなり近代化されて変わっていますが、赤丸 が練艦隊の2隻が横付けした桟橋 )



( ムンジュイック城堡塁より望む港内  正面鉄塔の右側に練艦隊2隻のマストが見えます )


入港日の16日(月)は、朝9時に横付けして入港諸行事があった後、早速実習幹部は借上げバス4台に分乗して午後14時まで市内研修です。


翌17日(火)は艦旗掲揚後の朝一番で在スペイン大使によるスペイン事情の講話が「かとり」実習員講堂で行われました。 その講話の後、これまた借上げバス4台に分乗して午後15時まで SEAT 社自動車工場(当時はイタリア・フィアットの出資・技術による国策会社)などの研修が行われたことになっていますが ・・・・ これは全く記憶がありません (^_^;


入港3日目の18日(水)は私達実習幹部は特に研修などは無く、一日自由上陸であったと思います。 (ただし半袖の制服であることはもちろんですが)



 バルセロナ市内研修


バルセロナは特に1993年のオリンピックを契機として市内や港湾が大きく変わってきてしまっていますが、50年前はまだ古き良き時代の面影を残す都市でした。 また、ここには元々スペイン海軍の大基地があり、練艦隊が横付けした桟橋の北側には縮小されたとはいえまだそれが残っていました。


しかし残念ながら、研修として借上げバスで市内を回った場所は多くはありませんでした。



まずは有名なサクラダ・ファミリアです。


ここはご存じのとおり今でも延々と建築が継続されていますが、当時も工事中で外から眺めるだけでした。





スペイン村。 ここの南側はオリンピックで大規模な競技施設ができるまでは綺麗で広い公園が拡がっていました。 そのため今ではこのスペイン村は何か片隅に追いやられたようなあまり目立たない形になってしまいましたが、一か所にスペイン各地の昔ながらの家並みを再現した大変に良いところです。




( Google Earth より )






広い公園の南側の丘にムンジュイック城 Castell de Mountjuic。 ここは博物館になっており、城壁内の通路にもあちこちに鎧・兜や武具などの展示コーナーがありました。 そしてページ冒頭の写真にあるように、南東側の堡塁上からは港内が綺麗に見下ろせます。 (当時、この堡塁には有名な28センチ榴弾砲の実物が置かれていました)




( Google Earth より  当時よりかなり綺麗に整備されています )


最後に係留岸壁の付け根近くに現在では大きなバルセロナ図書館の一部となっているバルセロナ海洋博物館がありますので、ここで借上げバスは終りです。




( Google Earth より  赤丸 がバルセロナ海洋博物館 )



( 実物大のガレー船の復元モデルが展示されていました )


( 同上の船尾 )


( このサイズのものは沢山 )


海洋博物館の直ぐ隣りのコロンブス記念塔がある広場の岸壁で、現在「ポート・ベル」という海上遊歩道が出来ているところから北側の岸壁はまだスペイン海軍の基地でした。





コロンブスの旗船であった「サンタ・マリア号」の実物大の復元船が直ぐ近くに係留されていましたが、係留位置はその時その時で港内をあちこち転々としていたようです。 これはまだ現在もどこかにあるのか ?





そして、バルセロナ寄港2日目に SEAT 社の巨大な自動車工場などを研修したとなっていますが、これについては全く記憶がありません (^_^)  如何に世界一周の遠洋練習航海とはいえ、スペインのバルセロナまで来て、如何に他に見るべきところが無く、かつ近くにあるからと言って、わざわざ自動車工場を研修に行ったのか、と ?




( Google Earth より  現在ではフォルクスワーゲン社傘下の子会社となっています )


 バルセロナ散策


バルセロナでは入港3日目に、私達実習幹部もナポリに引き続きまたまた一日自由上陸となりました。


スペイン寄港ですから、日曜日の昼のみの闘牛は無理としても、夜は有名なフラメンコを楽しもうと考えるのは当然ですが、ところがこのフラメンコ、夜の20時くらいから始まるのですが、夜中の2時頃でないとどのお店も真打の演技は観られないとのこと。


そこで指導官たる副長付などに、このフラメンコを楽しむために実習幹部も帰艦時刻を遅くしてくれとヤイノヤイノと申し入れをしまして、何とかこのバルセロナの時だけはやっと夜中の24時までとなりました。




( 当時の絵葉書から )


当日は朝ゆっくり上陸して歩いて市街散策に出掛けたのですが、途中で船舶用品などを扱うお店に立派な帆船模型が飾られているのを見かけました。 お店の人に尋ねたところこれらも売り物だとのこと。 戦列艦のようなゴツイものでなければ値段もそれほど高くはありませんでしたので、ついスマートなものをこれこれと購入してしまいました。 全長1メートルくらいの大きなもので、持ち運び用の木の枠が別に付いていました。


で、取り敢えずこれを艦まで運ぶことにし、同僚達にはあとで再度合流するからと。 そしてこれを持って艦に戻ろうとえっちらおっちらと歩いてましたら、途中で在留邦人が練艦隊を見学に行く途中だからついでにと車に乗せてくれました。 まだ大分距離がありましたので、これには助かりました。


「かとり」の実習幹部居住区の自分のベットの上に一旦置いてから再度上陸し同僚達と合流。 市内をあちこち散策して、一緒に夕食をレストランで。


ところが、私はメキシコで食べたロブスターが忘れられずそのつもりだったのですが、どうも間違えてシュリンプ、つまり車エビを頼んでしまったようです。 で、出てきたのは大きなお皿に山盛りの車エビの茹でたものが。


一応それなりのレストランで、しかも私達は白の制服ですから、この車エビをフォークとナイフでどうやって食べたら良いのか ?  悩んで暫し周りのテーブルを見回していましたら、何のことはない、現地の人は手で摘んでむしっていましたので、そこでやっと安心して私も。 フィンガー・ボールはこのためにあるのか、と初めて実感 (^_^)



夕食の後、ブラブラしながらフラメンコのお店を探したのですが ・・・・ 結局帰艦時刻24時では23時頃にはお店を出なければならず、本当の真打の演技が見られずに中途半端になってしまいますので、結局皆で相談して止めようと言うことになり、夜の市街をブラブラしながら艦に戻りました。 後から考えたら、やはり前座とはいえ本場のフラメンコを観ておくべきだったかと (^_^;



この時の木枠入りの帆船模型、「かとり」の汚物処理室のタンクと隔壁の隙間にピッタリ納まりましたので、帰国までここに置いておくことに、 ここには既に乗員のお土産品も沢山置いてありました。

この帆船、帰国後に実家に飾っておき、家を二世帯用に建て替えた後は家内のピアノのレッスン室となっていた部屋の飾り窓に置いていたのですが、帰国後からずっと長いこと何十年も手入れもせずに放りっぱなしにしておりましたのであちこち痛んできたこともあり、転居の時に市の焼却場に持って行って処分してしまいました。

市の職員さん達に “えっ、それ焼くの? もったいない” と言われましたし、手を入れればまだまだだったのでしょうが、この時には転居先では置く場所も無いであろうと思いましたので。 う〜ん。

ところが、です。 この大きな帆船模型のちゃんとした写真が全く残っていないのです (^_^;  これ ↓ が精々かと。 こういうものでした。




 バルセロナ出港


欧州最後のバルセロナ寄港は実質3日間で、9月19日(木)朝9時に出港し、ジブラルタル海峡を抜けて大西洋に出て南下、赤道を通過して南半球に入り、アフリカのコンゴ(共和国)第2の都市 ポアントノアールを目指します。


バルセロナも一般商業港でもあることから、出港時は岸壁から在留邦人など沢山の人達に見送られてでした。


世界一周の遠洋練習航海もいよいよ後半の帰り路に入ります。







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最終更新 : 11/Jun/2023