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2-4-10.ポアントノアール |
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9月19日(水)朝9時に 欧州最後の寄港地スペインのバルセロナを出港して、ジブラルタル海峡を抜けて大西洋に出て南下、赤道を通過して南半球に入り、アフリカのコンゴ共和国ポアントノアール Pointe-Noire (Point Black、黒い点)を目指します。 世界一周の遠洋練習航海もいよいよ後半の帰り路に入ります。
これは、当時は第4次中東戦争終とその結後の処置(残置機雷に対する米海軍などによる航路啓開など)のためにまだスエズ運河が通航止めとなっていたため、アフリカ喜望峰周りとならざるを得なかったためです。
ジブラルタル海峡は9月21日(金)の朝通峡しましたが、今度は何とか見えました。
また、海峡を哨戒中の英海軍の部隊にも遭遇しました。
ジブラルタ海峡を出て大西洋に入っても平穏な海面状況が続き、9月22日(土)午前に訓練発射を、続いて9月28日(金)午前には練艦隊の幹部・海曹士総員による小火器射撃を実施しました。
9月30日(日)赤道を通過(12時37分、緯度0度0分、経度0度0分丁度)したことに伴い、練習艦隊の両艦ではそれぞれ赤道祭を行いました。
赤道祭はいわば “船乗りとしての儀式” のようなものですので、これはこれで面白かったですし、私達実習幹部もそれなりに参加できました。
しかしながら、その他の艦内行事などはいわゆる “乗員のための” もので、実習幹部は “手の空いた者は参加できる” というものですので、例えば9月23日に後甲板で行われたいわゆる土産物交換会の「のみの市」などは私達は全くの無参加で。
その一方で、特に私が関心があったのは、南半球では本当に水の排水口などで渦巻の方向が逆になるのか、ということでしたが、南半球に入ってから暫くして確認のためにやってみましたが ・・・・ ちゃんと理論どおりに反対の “時計回り” でした。
因みに、世界一周の遠洋航海でもあり、日本出発時までに予防接種の類などは全て済ませたのですが、コンゴ・ポアントノアールと次のモーリシャス・ポートルイスの寄港前にマラリア予防のキニーネを飲まされました。
経験された方は良くご存じと思いますが、このキニーネ、こんな苦いものが世の中にあるのかと感じる程で (^_^)
翌10月2日(水)午前には対空・水上訓練射撃を行いました。 まあ、Mk-63と3インチ連装砲による風船射撃と航空機用の小型曳航水上標的ですし、実習幹部は見学だけですので ・・・・
10月3日(木)午後13時半、コンゴのポアントノアール沖に仮泊しました。 そして早速午後18時〜20時、在ガボン大使館参事官と在コンゴ在留邦人代表によるアフリカ・コンゴ情勢の講話が「かとり」実習員講堂において行われました。
ご存じのとおり、コンゴ共和国はコンゴ王国がフランスの植民地となっていたものが、1960年にコンゴ人民共和国として独立したものですが、隣接する元ベルギー領のコンゴ民主行国、ポルトガル領のアンゴラとともにいわゆる東側諸国寄りの政治体制が続いていました。
しかしながら、ポアントノアールはコンゴ共和国としてのみならずアフリカ大陸の大西洋側でも有数の貿易港であり、かつフランスとの関係が極めて強く、かつ在留フランス人が多かったことから、寄港中には政情的に不安などを感じることはありませんでした。
ただしそれは当時のポアントノアールの主要部というごく狭い範囲に限ったことであり、そこから内陸部の状況については見ても行ってもおりませんので全く判りません。
要するに、ポアントノアール寄港の最大の目的は、喜望峰周りのためにバルセロナから14日間の航海で、燃料と真水(特に飲料水)の補給の必要性にあったと言え、また実際に基本的にそのためだけのものでした。
ポアントノアールでは10月4日(木)朝7時半に仮泊地を抜錨、登舷礼により礼砲を交換しつつ入港し、朝9時 に所定の岸壁に横付けしました。
ポアントノアールでは私達実習幹部は在泊2日間は特になく、入港時の諸行事以外では、艦上レセプションに駆り出されたくらいでした。
艦上レセプションは入港2日目の5日(土)の夕方に行われ、私達実習幹部もホスト役で駆り出されましたが、街自体が夕方以降は見るべきところがほとんどありません(と言うより、夜は道の明かりがほとんど無く、制服を着て安心してブラブラ気軽に出歩けるようなところではありませんでした)ので、むしろ積極的に参加して (^_^)
艦上レセプションは流石に在留フランス人が多数来艦されました。 私はその中のフランス人ご夫婦と綺麗な二十歳くらいの娘さんの三人家族のお相手をしたのですが、大変楽しい一時でした。
ただ、副長付などの指導官からは「実習幹部は “絶対に” 飲み食いするな」との厳命が出ていましたので ・・・・
寄港した日の4日(金)は入港諸行事が終わった後、私は真水搭載により洗濯をしてからゆっくり上陸しましたが、郵便物発送のために切手を求めて郵便局に行った時には窓口前は両艦乗員や実習幹部達で長蛇の列。 この郵便局では1年間分の切手がこの日の数時間で売り上げてしまったとのことでした。 (この郵便局も現在では運営されておらず、建物はマーケットのようなものになっているようですね。)
郵便局の直ぐ脇に立派で大きなコンゴ・オセアン鉄道の駅舎がありました。 現在ではコンゴ国内唯一ともいえる首都ブラザビルとポアントノアールを結ぶこの鉄道は運航を停止しており、駅舎は既に使われないまま廃墟のようになっているようですね。 (駅舎は今では倉庫やレストランとして使われているとも聞きます。)
街はフランス領時代にフランス人が多く居住してたこともあって当時の雰囲気が色濃く残っていますが、メイン・ストリートでも平屋か精々が二階建てが並ぶ程度で、それ以外はまだ林(森?)の中に民家が点々(部落?)と。
ほとんど舗装されていない道々の両側には現地人が大人も子供も朝から手持ちぶたさにたむろしているような ・・・・・ それに黒色人種とはいえ肌は見事に完全な真っ黒です。 夕方以降はその辺に座ってジッとしているとほとんど気付かずに判らない(見えない)ほどで。
もちろん観光地ではありませんので土産物屋らしいものも僅かしかなく、ほとんどが路地販売です。 乗員や実習幹部の中にはいつ作られたのか判らないような大きな黒檀の木彫りなどを買った者もいましたが、中には艦に帰って後からキチンと見たら、ひび割れたところがチューンガムで埋められていて、全面に黒の靴墨が塗られていたような物があったとか。
また剥製などは練艦隊寄港を聞きつけて急いで作ったようなほとんどが生乾きのもので、安いからとこれを買ったものの出港後には早くも酷い匂いが生じ。 航海中に後甲板などで結構沢山日干ししていましたが、結局それらのほとんどは海中処分となっていました (^_^)
私自身は結局このポアントノアールでは土産物は何も買いませんでした。 これはと思うようなものは特にありませんでしたし、そもそも大きな木彫りや剥製などは実家でも置くところがありませんでしたので。
ポアントノアール寄港は補給だけとも言える2日間で、10月6日(日)朝9時に出港し、喜望峰を回ってインド洋に入り、マダガスカル島東方の小さな島国 モーリシャスの首都 ポートルイスを目指します。
最終更新 : 18/Jun/2023