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2-4-4.ポーツマス |
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昭和49年7月25日(木)朝9時 南米ベネズエラのラ・グアイラを出港して、次はいよいよ北大西洋を横断して欧州最初の英国ポーツマスですが、この横断には13日間の航海です。
バージン諸島とリーワード諸島の間を抜けてカリブ海から北大西洋に入り、幸いにしてあとの大西洋横断中は平穏な海象・気象が続きましたが、練艦隊としての大きな訓練作業としては、対空・水上訓練射撃の他はほとんど無く、個艦訓練が主体となり、かつテキーラ祭りや盆踊り、カラオケ大会など気分転換のための催しが結構ありました。 もちろんこれらは乗員のためのものであり、私達実習幹部は手の空いているものが参加することができた、というものですが (^_^;
その中で、7月30日(火)には訓練視察のため司令官はハイランイで 「あおくも」 に移乗、同日夕刻再度ハイラインにて「かとり」に復帰されました。
大西洋横断中の最も大きな訓練として、8月1日(木)には第2回目の対空・水上訓練射撃を実施しました。
しかしながら、北に登るにつれて気温が段々と下がり、昼間はとても炎天下には居られないほど暑かったラ・グアイラでの気候から次第に厚着が必要に。 この変化のため風邪をひく者も結構いたと思います。
そして8月7日(水)午後1時、北大西洋横断を終え英国ポーツマス沖に仮泊しました。
ポーツマスはご存じのとおり英国海軍の古くからの軍港ですが、当時既に民間のヨットのメッカともなっており、ポーツマス沖では停泊する英海軍艦艇に混ざって多数のヨットがセーリングをしていました。
この仮泊中にポーツマス入港要領や寄港中の諸行事などの調整が行われます。
8月8日(木)午前9時半 仮泊地を抜錨し、私達も冬の礼装に着替えて登舷礼により陸上と礼砲を交換しつつ、午前10時ポーツマス軍港に入港しました。
横付け岸壁は「ビクトリー」号の直ぐ脇の最高の場所です。
入港して歓迎行事などの後、早速実習幹部は「ヴィクトリー」とポーツマス市議会堂の「ギルドホール」に分かれて研修でした。
私はギルドホール研修でしたが、ここは大変に格式の高いところで、なかなか中に入ることのできないとされており、貴重な経験でした。
しかしながら、ポーツマス在泊中はその他の海軍施設の研修は無かったように記憶しています。 ( 10日の午前にごく一部(約20名)の実習幹部がノルマンディー上陸作戦時の連合軍司令部跡の研修を行ったと聞いていますが ・・・・ )
私的にはポーツマスの海軍工廠としての諸施設や、対岸のバーロウの砲術学校、ゴスポートの潜水学校などに興味があったのですが、残念ながらこれ等についても全くその機会はありませんでした。
ポーツマスに入港した翌日の9日(金)は借上げバスに分乗して一日ロンドン方面の研修でした。 公式記録では朝8時半に出て、帰ってきたのは日付が変わった午前1時となっていますが、ポーツマスからロンドンまで片道1時間半ほどですので、これですと午後23時過ぎにロンドンを出たことになるのですが、この日夕刻以降ロンドンにいた記憶がありません。
夕方にはロンドンを出たように思いますが ・・・・ ? 夜中にポーツマスに帰るとなると、ロンドンでの食事は昼食と夕食の2食になりますので、昼食は艦から持参のお弁当をバスの中で食べたとしても、夕食は ・・・・?
いずれにしても、ロンドンとはいっても広いので、市内でバスを降りて見学したのは数か所で、後はバスの中からでした。 皆さん良くご存じの有名なところばかりですので、順不同で写真のみのご紹介を。
バッキンガム宮殿では制服を着たまま一般の観光客に混ざってかの有名な衛兵交代の写真を撮りまくったりして、まあ “研修” とは言っても、実際にはお上りさん然の観光だったわけですが (^_^;
ただ、このロンドン研修で私的にもっとも興味深かったのはグリニッジの英王立海軍大学校でした。 ここは1983年に閉校となり現在では既に博物館や学校などになってしまっていますが、広い校庭の丘の向こうには有名なグリニッジ天文台も望めまして、大変に印象深いところでした。
ロンドン研修から戻った8月10日(土)と11日(日)は実習幹部は研修などは特に無かったと思いますが、両日のどちらかで艦内公開の案内役に、また夜の艦上レセプションにホスト役で駆り出されたりした記憶があります。
そして、多分10日の午後は半日の自由上陸で「ヴィクトリー」の見学とポーツマス市内を散策したと思います。
ポーツマスに入港した日の研修では私はギルドホールでまだ「ヴィクトリー」は見ておりませんでしたので、ここは是非見ておかなければと。
「ヴィクトリー」の一般見学は午前と午後の2回に順に案内人が付いてのグループ分けでしたが、流石に週末で一般見学者が外で長い列を作って順番を待っておりました。
で、私達もその列の最後尾に並んでおりましたところ、係の英海軍下士官が飛んできて 「海軍士官は並ばなくてよいのでこちらへ」 と別の入り口から艦内へ。 お陰でゆっくり見学することができましたが、残念ながら艦内はカメラの撮影禁止になっておりました。
「ヴィクトリー」の見学の後は、歩いてポーツマス市街の散策に出ました。 夕方になって、飲みながら何か食べようよ、とそれなりの大きさのパブに行きました。 話しに聞く大衆酒場である英国の有名なパブで、これも有名なフィッシュアンドチップスなどでも食べながらビールをジョッキでガブガブ、ワイワイやってみたいなと思ったわけです。
ところが、入口のところで店員さんが 「ここは海軍士官さん達はダメです。二階のサロンへどうぞ。」 と中に入れてくれません。
え〜、英国ならやっぱり“パブ”を楽しんでみたい、と思ったものの、ここはポーツマスでもありやはり制服を着た三等海尉(海軍少尉)ではダメかと。 で、わざわざ高級酒場たるサロンに行くまでもないか (それにペーペー少尉の分際では多分高いだろう) と思ってこの時は止めにしたのですが、今考えるとサロンも経験として入ってみた方が良かったかなと、これはちょっと惜しかったです (^_^)
たぶん11日(日)だったと記憶しています。 9日の借上げバスでのロンドン研修では買い物などをする自由時間はほとんどありませんでしたので、ゆっくり中心部を散策してみたいと思いました。
ポーツマスからロンドンへは定期バスが出ており電車よりは早いので、発券の窓口でロンドンまでを告げましたら、 「死にに戻ってくるのか?」 と。 ??? クイーンズ・イングリッシュですから 「to die」 ではなくて 「today」 ですね。 往復乗車券を買ってバスでロンドンへ。
ロンドンではそれこそ市民や観光客の集まる有名なところをウロウロしました。 もちろん制服のままで (^_^)
ついでにお土産もあれこれ。 ブログの方ではお話ししましたが、これにはまだ見ぬ未来の伴侶のためのものも。
遠洋練習航海での実習幹部としての自由上陸があった機会から考えると、多分ディオールのスカーフとシャネルの香水・石鹸などはこの英国のロンドン散歩の時ではなかったかと。
この時のスカーフ2枚と香水・石鹸の類は無事に今の家内の手に渡りました。 ただ、スカーフは柄が気に入らないのか全く使ってもらえず、ずっと箪笥の肥やしになっているままです (^_^;
そして、確かウェッジウッドのコンパクトを買ったはずなのですが、帰国後に実家に置いている間にいつの間にか行方不明に。 ロイヤルブルーと言われるお馴染みの典型的な薄水色の円形の地に白の透かし彫りの模様がついたもので、私的には気に入っていて、かつそれなりの値段のものであったと記憶しているのですが ・・・・ ?
あとこの時の買い物で今でも現物が残っているものが一つ。 私の制服用の黒色の生地です。 名だたる紳士の国の英国ですから良質の生地を、と散策途中で見つけた洋服屋さんで選んでもらって一着分を。
ところがこれは、帰国して馴染みの制服屋さんで作ってもらおうと持って行ったところ、「流石に大変良い生地とは思いますが、裁断・仕立てで失敗できませんので特注品となって通常よりかなり高くなりますが、それでもよろしいですか?」と。 そこまでするつもりはありませんでしたので、その後もそのままとなり、現在でも押入れの隅で眠ったままになっています。 結婚の時にこの生地で礼服を作っておけば良かったかと (^_^;
ポーツマス寄港は4日間で、8月12日(月)朝9時 に出港しましたが、ポーツマスを出たところで先に出港した英艦隊と一緒になりました。 これは英海軍が練艦隊を見送りのために外で待っていてくれたのかどうか、などは判りません。
そして、英艦隊が先に出撃していった後、練艦隊はジブラルタル海峡を抜けて地中海に入り、フランスのツーロンに向かいます。
最終更新 : 30/Apr/2023