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2-4-2.メキシコ マンザニヨ




 ハワイ → マンザニヨ


昭和49年6月29日(土)午前10時 ハワイ真珠湾を出港してメキシコのマンザニヨ (Manzanillo) に向かいました。


出港した翌日は6月30日(日)ですが、ハワイ寄港前の6月23日に既に日付変更線を超えておりますので日本では7月1日(月)になります。 したがって、当日は定期昇任日となり、練習艦隊司令官は海将に昇任されましたので、「かとり」 のマストには桜二つの海将補旗から桜三つの海将旗に。





サイクロンの影響を避けるため途中で針路を南にとった他は概ね平穏な海面状況であり、遠洋航海で第1回目となる訓練発射を7月5日(金)に、翌6日(土)に水上・対空訓練射撃を実施しました。




(「あおくも」 のボフォース発射 )


実習幹部は相変わらず訓練と当直に明け暮れる日々でしたが、とはいえ単純な航海の気分転換の意味もあって、乗員も一緒になっての (というより、乗員のためのものに手空の実習幹部も参加) 後甲板でのバレーボール競技、隊歌演習、盆踊り大会の練習など色々と工夫されており、また、一週間を超える航海ではその間に1回の夕食後の飲酒許可がありました。




 マンザニヨ寄港


計画では7月9日(火)にマンザニヨ港の外港の給油桟橋で給油の後、一旦港外に出て仮泊し、翌10日(水)に改めてマンザニヨ港内港の一般岸壁に横付けすることになっていましたが、その当初計画とは異なり、給油後はそのままその給油桟橋にマンザニヨ出港まで係留することなり、給油桟橋入港前に礼砲交換だけは実施しました。




( マンザニヨ入港前の記念写真  左から二人目に思い出の懐かしい顔が (^_^; )

しかしながら、そこはやはり “アスタマニアーナ” のお国柄です。 この給油桟橋に係留したまま、入港行事などは当初の予定通り翌日の7月10日(水)に。




( メキシコ海軍の兵学校生徒 ? )


 マンザニヨ


ところで、メキシコ西岸 (太平洋岸) のマンザニヨ (Manzanilllo) と聞いて “ああ、あそこか” と直ぐピンとくる一般の方々は少ないのではないでしょうか? 実は私も遠洋航海に出る前には “えっ、それってどこにあるの? 観光地のアカプルコなら聞いたことがあるけど” という知識レベルでした。


後で調べて、メキシコの首都メキシコシティ (Cuded de Mexiko) から西南西へ約550km、西海岸のコリマ州 (Colima) にあり、メキシコ西岸最古の貿易港で、遠洋航海当時でも人口約40万人の街であるとか、メキシコ海軍の太平洋艦隊とその隷下の第6海軍区 (Sixth Naval Region Center Pacific) の司令部が置かれているそれなりの規模の基地があるとか、いろいろ知ったのですが ・・・・






( 現在のマンザニヨ市全景 赤丸が給油桟橋地区 青丸が海軍基地で、その対岸の大きなコンテナ・ヤードなどはまだありませんでした )



( 茶色の大きなタンカーが横付けしているところが当時と同じ給油桟橋 練艦隊はこの桟橋の反対側の位置に横付け 右手の細長い桟橋などはまだありませんでした )



( 当時の絵葉書より )


とは言っても、当時の絵葉書にあるようにマンザニヨを海側から見ると小さな古い港町なんですが (^_^)






( 入れ違いで内港より出港する米海軍掃海艦 MSO-446 Fortify )



( 夕暮れのマンザニヨ ネガのカビがちょっと (^_^; )


結果的に一日早い入港となりましたので、両艦の乗員は当初予定より一日多い自由上陸となりました。 もちろん、外港の給油施設のあるところはマンザニヨ市の南の外れの小さな町で、市のメインの市街までは遠くてなかなか行けないのですが。 それでもバスやタクシーなどで出掛けた者もいるようです。


私達実習幹部も研修などは計画されていませんでしたが、7月10日(水)の入港諸行事に続き10日・11日の艦内公開の案内役や艦上レセプションのホスト役に駆り出されたり、停泊当直実習があったりして、自由上陸での市内散策ができたのは半日間1回でした。


そして、10日か11日かのどちらかの夜か忘れましたが、両艦乗員、実習幹部などは近くの公園でメキシカン・ハット・ダンスなどでの歓待がありました。 これはなかなか楽しめる面白いものでした。




( メキシカン・ハット・ダンス  「かとり」 遠航アルバムより )


 市内散策など


マンザニヨ滞在のどの日だったのかは記憶がありませんが、仲間と連れだって半日市内散策をしました。


もちろん、半袖の制服を着て歩いてですから、近くのスペイン風の家並みが残るところを。 これはこれでいわゆる古き良き雰囲気が残るメキシコの街で、大変に面白かった記憶があります。


そして、同僚と何かメキシコらしいものの食事をということで、散策途中で見つけた名も無い小さなレストランへ。


レストランと言うよりは普通の食堂と言った方が良いところで、室内はちょっと薄暗いところでしたが、多分家族でやっているのでしょう、皆さん和気あいあいとして大変に親切で、しかも小さなお嬢さんが出てきて愛想を振りまいて色々相手をしてくれました。


その注文の品が出来上がるの待っているとき、ハエや虫なども全然居ない割りと清潔なお店だよね〜 っと室内を見渡し、ふと天井を見上げると大きな羽根の扇風機がゆっくり回っていました。 ところが何とその扇風機の羽根をよく見ると、羽根の先端に黒いハエが沢山。 ハエ達もよほど暑いのかと (^_^)


私はロブスターの焼いたものを注文したのですが、出てきたのは日本では見たことも無いような大きなロブスターで、それを2つに割って味付けして焼いたものでした。 そしてこれが大変に美味しくて、いまだにロブスターを食べるときにはこの時に美味しかったことが思い出されるほどです。


食事の後はまた市内散策しましたが、夕方は早めに艦に帰ったと思います。 不案内なメキシコの小さな街中で、夜暗くなって制服を着たままで飲み歩くのはちょっと不安もありましたので。 そして実習幹部の帰艦時刻 (いわゆる門限) は乗組の幹部や曹士よりは早かったような ・・・・  ( もちろん司令部や両艦の幹部は手が空いた時には自由上陸、それもいつもどこでも私服で (^_^; )



ところで、マンザニヨでは真水補給の搭載もありましたが、水質検査の結果大変な大腸菌群が含まれていることが判明し、飲用には不適ですので真水タンクへの給水は中止となり、かつ雑用水としてもその搭載が制限されました。 これほど当地の真水の質は悪かったと。

これもあってかどうか判りませんが、外出時の飲食に伴うものと考えられるマンザニヨ出港後の下痢などの症状により医務室に受診した者が約70名もおりました。 これは練艦隊全乗員の1割、つまり10人に1人という高率です。 幸いに私達のグループのお腹は何でもなかったんですが (^_^)



 マンザニヨ出港


マンザニヨは結果的に当初計画より1日多い実質3日間の寄港となり、7月12日(金)午前9時 に出港してパナマ運河を通狭、そして南米ベネズエラのラグアイラへ向いました。


で、出港時にはマリアッチのチームの演奏と、多くの現地の人や日系の人達の見送りを受けながら。



    



始めてのメキシコで、古い街並みの雰囲気が残る港町でしたが、これはこれで良かったと思います。 軍事施設などの研修があるわけでは無く、また近傍の市内には著名な見どころとなるような建物などもありませんでしたが、極々普通のメキシコ、中南米の港町とは、というものを堪能しました。


次はいよいよ目玉の一つでもあるパナマ運河を通狭してカリブ海・大西洋へ。







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最終更新 : 16/Apr/2023