Home へ

2-4-11.ポートルイス



 ポアントノアール → ポートルイス


スエズ運河が通行止めで通れないためアフリカ大陸の南端を回ってインド洋に出なければなりませんので、10月6日(日)朝9時にコンゴのポアントノアールを出港し、本遠洋航海において最長の15日間をかけて次の寄港地、というより次の補給地であるモーリシャスのポートルイスに向かいます。


ポアントノアールを出港して5日目の10月11日(金)の夕刻にケープタウン沖を通過しました。 遥か遠くにケープタウンの南側にある有名なテーブル・マウンテンやライオン岩 (Lion's Head) が微かに望めましたが、とても私のカメラでは撮れませんでした。


因みに、アフリカ大陸の南端を回ることを一般的に “喜望峰回り” と言っていますが、正しくはアフリカ大陸の南端はアグラス岬 (Cape Agulhas) で、ケープタウンから約50km南側にあるケープ半島先端の喜望峰 (Cape of God Hope) はこの大陸最南端のアグラス岬から西北西150kmのところにあります。 とは言っても、昔西欧諸国の船が大西洋からインド洋に出るには喜望峰は一つの良い目標であったと言えるでしょう。


アフリカ大陸南端の偏西風帯の海域は、昔から通年を通して荒海であることで良く知られている有名なところで、このため当該海域では練習艦隊としての大きな訓練なども予定されていませんでした。 しかしながら、幸いにして極めて平穏な好天続きで、却って少々拍子抜けしたような (^_^) 


その代わりに、マダガスカルに近づくにつれて高気圧からの吹き出しの風を強く受けましたが、特に海が荒れたということはありません。 実際のところ、ポートルイス沖仮泊2日前の10月19日(土)には 「かとり」 の後甲板では運動会が行われました。


そして10月21日(月)午後14時、モーリシャスのポートルイス沖に仮泊しました。 この仮泊中に私達実習幹部はモーリシャス情勢に関する講話などは無く、その他も特に何も無かったと記憶しています。




( ポートルイス遠望 )


ご存じのとおり、モーリシャスは1638年オランダ領、1715年フランス領、そして1814年にイギリス領となったのち、1968年に英連邦王国の一つとして独立したばかりでしたが、練習艦隊寄港時にはまだまだ情勢は不安定であるとされていました。 (現在のモーリシャス共和国となったのは1992年のことです。)

しかしながら、アフリカ大陸の南端を回って大西洋からインド洋に出る航海としては、コンゴのポアントノアールから15日間が真水 (飲み水)、生糧品、燃料等 (特に随伴艦の 「あおくも」 にとっては) 一応限度ともいえ、そのための寄港地、というより実際には補給地としては、マダガスカル、モーリシャス、レユニオンなどの内、モーリシャスのポートルイス港が最大かつ最適であったと言えるでしょう。





 ポートルイス寄港


10月22日(火)朝7時半に仮泊地を抜錨、登舷礼により礼砲を交換しつつ、8時半ポートルイス港の最奥にあるトルー・ファンファロン港(Trou Fanfaron Harbour)に入港しました。




( Google Earth より  )



( 当時の絵葉書より )


ポートルイスは、当然と言えば当然ですが今では50年前とはすっかり変わってしまい、港は拡張・埋め立てによって当時の姿とは一新した近代的な観光・貿易港となり、街並みも綺麗に整備されて近代的な高層ビルが多数立ち並ぶなど、島国の小国とは言え、その一国の首都に相応しい姿となっています。




( Google Earth より 市街も港湾も当時の姿からは大きく変貌しています  赤丸 が当時の練艦隊の係留位置 )



( Google Earth より 上の拡大 )



( 1982年版のポートルイスの地図より )



 近郊島内研修


寄港した翌日の23日(水)は朝7時から12時まで、実習幹部は借上げバスに分乗してポートルイス周辺の島内研修でした。


まず最初は近くの日系企業の魚工場見学です。 カツオやマグロなどの加工工場で、作業に当たっているのは現地の若い娘さん達ばかりでした。 確か彼女達の日給は1米ドルで、これを1ドル半にするのだと聞いた覚えがあります (^_^)




( 魚工場見学の様子  「かとり」のアルバムより )


魚工場見学の後は、また貸切バスに分乗してポートルイスの近郊を回ります。 この時に今回の遠洋航海の全研修の中で2度目となるガイドさんが乗ってきましたが、現地のお嬢さんで日本語ではなく英語での案内。 しかしながら、回るところはサトウキビ畑が延々と拡がる中のあちこちの自然景勝地と言われるところばかりですので、どこをどの様にまわったのかのハッキリした記憶はありません。


残っている写真で見ると、まずポートルイスから南へ下り、モーリシャス第2の街であるキュールピップを通って直線で約20kmほどのところまで ?




( キュールピップの街を見下ろすトルー・オークス・セフス休火山の丘から ? )



( 同上から ?  本遠洋航海で初めて女性 (ガイドさん) とのツーショット )



( 背景はタマリン滝 (Tamarind Falls) ? )


貸切バスでの島内研修の最後は、ポートルイスから北東へ20kmほどのところにある有名なパンプルムース (Pamplemousses) 植物園に向かいます。


途中で、これもモーリシャスでは著名なピーター・ボス (Pieter Both) 山の脇を通ります。 この山の山頂にはモーリシャス島の一つのシンボルとも言える遠くから良く見える “今にも落ちそうで落ちない” 岩があることで知られています。




( ピーター・ボス山の山頂の “今にも落ちそうで落ちない” 岩 )


パンプルムース植物園は多数の珍しい植物を集めたところとしてモーリシャスの観光地の一つとなっています。 現在では 「シール・セイウッドザーギュール・ラングーラム植物園」 (Sir Seewoosagur Ramgoolam Bostanical Garden) という長い名前で60エーカーという大変に広い植物園として整備されてきています。


当時はまだ今ほど整備されていませんで雑然としたところでしたが、それはともかく、ここでは何はさておいてもこれだけは見なくては、と。 世界一大きなハスがある有名な池です。





園内には珍しい植物が沢山あるとされていますが、別に案内板などがある訳でも無く、植物園と言うよりはむしろ “市民の公園” のようになっていています (した)。 もちろん添乗のガイドさんも植物などに詳しいわけではありませんので、いつものようにバスを降ろされて “後は勝手に見て回れ” と。 したがって、 まあ後はバスの出発時刻まで時間つぶしと言うことで (^_^)







  
( 何の花 ? )


で、貸切バスに分乗しての半日の島内研修はこれで終り。 ポートルイス市内の著名なアデレード (Adelaide) 要塞跡や自然史博物館、寺院、市内が一望のもとに見下ろせる信号山 (Signal Moontain) の頂上などの目ぼしいところの見学は一切ありませんでした。 う〜ん、折角添乗のガイドさんもいるのに、です。



 ポートルイス近郊散策


ポートルイス寄港3日目の24日(木)は、私達実習幹部も一日自由上陸でした。 とは言っても、事前にポートルイス市内の目ぼしいところの話しなどがあるわけではありませんので (乗員達は寄港前に科員食堂で寄港地講話をやったようですが)、同僚と “一日、どうする?” と。


と言うことで、結局同僚4人でタクシーを借上げて、前日の研修で借上げバスに乗って回ったところなどをもう一度行ってみることに。


モーリシャス第2の街キュールピップで降りて暫し散策したり、休火山の丘に行って眺めを楽しんだり、そしてドライバーさんの推薦でどこかのホテルのレストランで軽い昼食を摂ったり。


どこかの小さな町を散策している時に、綺麗な貝殻を沢山持った物売りの子供達が寄ってきましたが、べらぼうな値段を吹っ掛けてきた上に互いに値引き交渉の仕方が良く判らず、結局大きなもの数個だけ買わされました。 拳大くらいの色が綺麗な巻貝と白くて大きな角が沢山あるもの等です。


これらの貝殻は、帰国して建て替える前の古い我が家に置いておいてのですが ・・・・ 現在のところへ転居するまでにいつの間にか無くなってしまいました。


後は、ただただ延々とサトウキビ畑が続く中の田舎道を走った事は良く覚えています。


結局、ポートルイス市内は昼間も夜も散策しないままでした。 日本帰国後の後になって、あそこも見ておけば良かった、ここも行っておけば良かった、と判ったわけですが (^_^)



 ポートルイス港停泊中のハプニング


確か私はポートルイスに入港した日の22日(火)が停泊当直実習 (副直士官勤務) だったと思います。 上陸員も皆帰った後の頃、前部の正規の舷門ではなく仮設の舷梯をかけた後部の舷門で艦の当直員達と立直していました。


その時に、舷梯下に一人の現地警官がやってきまして 「ちょっと、ちょっと」 と手招きをします。


寄港地では、軍港以外の一般商用港では現地の警察が陸上周囲の警備に当たることになっていました。 ポートルイスでも横付け岸壁周囲の陸上であちこち数名の警官が分散して警戒をしてくれていました。


まあこういう時は下手な英会話しかできなくとも実習幹部の方が良いかなと、舷梯の下へ降りてみまして 「何?」 と。 そうしましたら、彼が 「 “マガジン” があったらくれないか」 と言います (^_^)


そこで私もピンときて 「若い女性の写真が一杯載っているやつ ?」 と。 彼はニコッとして 「そうそう、そういうやつ」


私 「皆で読みまわした捨てる前のような古いやつならあるけどそれでもいい ?」  彼 「それでもまったく構わないよ」


じゃあ探してくるから、と言って一旦艦内に戻り、まだ起きている者がいるいくつかの実習員居住区を回ってそれこそ中にはボロボロになったものまで含め数冊を集めて再び彼のところへ。


私 「深夜だから今すぐにはこんなものしか集まらないないけど、これでいい ?」  彼 「そうそう、こういうのこういうの !」 と満面の笑顔。


で、「じゃあ、代わりにこれを」 と彼は腰に下げている拳銃を抜いて渡してくれようとします。 これにはこちらがビックリして 「とんでもない、そのうち捨てるような大したものではないから、お返しなどいらないよ」 と丁重に断りました。


インド人系の市民で熱心なヒンズー教信者も多い、多民族・多言語・多宗教の小さな島国では、そこは警官とはいえやはり若い男性達にとっては、と思った次第です。 後姿がいかにもルンルン気分なのが判るくらいそれら古い雑誌を抱えて仲間のところへ戻って行きました。 おそらく英語が最も上手い彼が代表で来た (行かされた) んでしょうね (^_^)



 ポートルイス出港


ポートルイス寄港は3日間で、10月25日(金)朝9時に出港、インド洋を横断しつつ再び赤道を横切り、いよいよ世界一周の遠洋航海最後の寄港地、マラッカ海峡入り口に位置するマレーシアのペナンを目指します。








「砲術への想い」リストへ 前頁へ 頁トップへ 次頁へ

最終更新 : 22/Oct/2023