軍艦の砲装




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  砲 装 論



 艦 型 論


艦型をどの様なものにするのかは砲装と直接関係することは言うまでもありません。 即ち、巨砲全装主義を採用する場合であっても、米海軍の「サウス・カロライナ」(South Calolina)の様に12インチ砲8門で18.5ノットとするならばその排水量は1万6千トンですが、「デラウエア」(Delaware)の様にこれを10門、21ノットとするならば2万トンを必要とすることになります。

勿論、先に排水量を決めてから砲装を考える方法も一つです。 しかしながら、艦型の大小は攻撃力、防御力及び速力の3要素の兼ね合いであり、これらの3要素は時代に応じて一定の要求の標準があります。 このため始めに排水量を決めてしまうとこれら3要素の全て、あるいはその一部を自ら一定の範囲に制限してしまい、時代の標準に達し得ないものとなってしまいます。

したがって、当時のスウェーデンやデンマークなどの2、3等海軍国のような消極的防備で甘んずるところは別として、日本を含み進んで1等海軍国に列して積極的な国防を全うしようとするところは、先に排水量を決めて、しかる後に優秀なる軍艦を求めようとすることは考えも及ばないことであるのは明らかです。

即ち、先ず3要素を仮想敵国あるいは他の諸国海軍のそれに比して同等以上となるように適切にとり、この条件の下に排水量を最小となるように建造方針を定めるべきとされていました。

このため、艦型の標準もまた時代の要求に応じるものであって、何年も一定不変のものであることはありません。 例えば、日露戦争当時では戦艦の排水量は1万2千 ~ 1万5千トンでしたが、その後に約1万6千トンとなり、「D」型の出現により約2万トンとなり、そして超「D」型の時代に入って2万3千 ~ 3万トンに達してきたようにです。

この様な排水量の激増は、当然ながら巨額の資力を必要とするものであり、列強海軍国においても等しく苦悩するところとなりましたが、それでもいわゆる “今日一日の逡巡が他日に噬臍の悔いを残す” ことになるのを虞れて、鋭意海軍軍備の増強に努めたことは歴史の示すところです。

例えば日露戦役においては、旧海軍の戦艦及び装甲巡洋艦は時代標準の最高位を占めたものである一方、露海軍の同種艦は標準の最下位近くのものであり、この優劣が直接及び間接に勝敗に影響を及ぼしたことが如何に大きなものであったかということを認識したと言えます。

これにより、旧海軍として建造すべき軍艦は、日露戦役における 「三笠」 級が世界の最良戦艦であったのと同じように、時流の一歩先を行くものであることが求められたのです。



「ドレッドノート」が出現した時、これに対する論評には次のようなものがありました。

まず小艦論者の意見は、


ア.価格が極めて高価であり、沈没の場合の損失は大きい

イ.艦自体が高価であるのみならず、これのために港湾・船渠(ドック)などの施設を改修するために巨費を必要とする

ウ.最近の魚雷の発達は特に「一兵卒もボナパルト将軍を射るの機会あり」という警語実現の機会を増加している

エ.無数の駆逐艦は一夜にして「ドレッドノート」艦隊の戦闘力を奪うことが可能である

オ.巨艦は第一流海軍国の贅沢品に過ぎず、財政が豊かではない国にとっては全力を僅かな隻数に集中することは不可能である


これに対する大艦論者の意見は、


ア.戦勝の要は攻撃力の集中にある。 砲装が強大である戦艦は戦線を短縮し、運動力を増加し、攻撃力の集中を容易とする

イ.小艦は砲装と速力を犠牲とせざるを得ず、したがって大艦と対抗するためには隻数の増加を必要とし、隻数の増加は戦線を延長して集中攻撃を不可能とする大きな不利益があり、同時に艦隊の運動力を阻害し、かつ敵の魚雷攻撃に対する危険界を増加する

ウ.戦艦は必ずしも常に魚雷攻撃に対して暴露するものではない。 ましてや駆逐艦の艦形増大は一層これの発見を容易とし、かつ魚雷はその速力と射程の増大にも拘わらず、これを搭載する艦の耐波性の脆弱によりその能力の大半を失うことは海洋戦の常である


以上のことは、単に艦型の大小に関する諸家の説ですが、小艦論者の主張するところは全て消極的であり、専ら財政・経済上の見地に基づいたものであって、戦略及び戦術上の絶対的見地に基づくものは全く無いと言えます。 旧海軍ではこの所見については軍備制限論と規を一にするものであり、優勝劣敗、適者生存の原則に反するものであると見ていました。

これに対して、大艦論者の主張は戦術上の要義に則るものであり、上記のア.及びイ.は艦型に対する根本的な解決、ウ.は魚雷攻撃に対する意見であると考えていました。 したがって、旧海軍としては消極的な戦艦の建造では国防を全うできるものではなく、次々に巨艦を建造して仮想敵国に遅れをとらないこととすべきであるとの意見でした。


かつて英蘭戦争が数年にわたり継続した際に両国の財政は疲弊の極みに達し、庶民もその闘志無く、ただ平和克復のみを臨むようになりましたが、英国政府はなおも鋭意建艦の建造に努力して続々これを海軍の麾下に送り、“必ずや敵を屈服せざれば已まん” との意志を持ち続けたのに対し、蘭国政府は資本家の怨嗟を制することが出来ず、旧艦を補修し、あるいは商船を武装して僅かに戦列艦を補充するに止めた結果、両軍の将帥の能力は互いに優秀ではあったものの、遂に回復しえないほどの大打撃を被り、かつての海上王はたちまち凋落の運命を辿り、以後再び起つことができないまでに至りました。

このようなことは遠くはポエニ戦争においても同様であり、歴史は消極的な軍備が国家の衰退あるいは滅亡に繋がることを繰り返し実証してきたというのが旧海軍用兵者の所見です。







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初版公開 : 25/Mar/2018







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