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終わりに (日露戦争期の砲術の話しを終えて)




私のブログ 『桜と錨の気ままなブログ』 に 『別宮暖朗本』 をネタにして全62回にわたって連載しましたものを纏め直し、『艦砲射撃の基本中の基本−照準』 から 『安保清種の砲術』 までを14項目に分けて 日露戦争期における旧海軍の砲術について解説してきました。 これにて取り敢えずこの話題は一応の終わりにいたし思います。

極力、旧海軍史料などの根拠文書を示しながら、艦砲射撃の基礎から日本海海戦における 「三笠」 の砲戦までを説明しましたので、お読みいただいた方々には当時の旧海軍の砲術がどの様なものであったかをご理解いただき、納得していただけたものと考えております。

砲術の大家黛治夫氏の著作や 『海軍砲術史』 (同編纂会編) にも書かれていない内容であり、当時の砲術についてこれだけ詳細に解説したものは他にはないものと自負しております。

勿論、日露戦争期における砲戦については、黄海海戦、旅順やウラジオストック砲撃、そして肝心な日本海海戦、特に東郷ターンや丁字戦法、等々採り上げるべきものは沢山ありますが、これらはそれぞれのテーマを設けて改めて別の機会にすることにいたしたいと思います。

実は、この日露戦争期のことは私が本当に書きたいことのホンの “序章” に過ぎません。 「本編」 はこの日露戦争後の近代射法誕生以降のことであり、旧海軍が世界に誇った砲術であり、それに基づく砲戦術の話しです。 それが本サイトの目的の一つでもあります。

したがって、この第2話での話しはその近代射法誕生以前の砲術がどのようなものであったのかを理解していただくためのものであって、この内容を前提として本来の話しへ続けたいと思います。

とは言え、照準を始めとする射撃基礎の問題については、これ以前も以降も同じであり、これを近代射法誕生以降どのような形で解決していくのかもテーマの一つになりますので、砲術・艦砲射撃におけるキー・ポイントとして充分にご理解いただきたい重要な点です。

そして、本第2話において最も強調したい点は、日露戦争期には旧海軍は 「一斉打方」 も、そして 『別宮暖朗本』 の著者の訳の判らない造語である 「完全斉射法」 なども実施していなかったことを、多くの視点から多くの史料を使って立証したことです。

今後二度と出版物やネットにおいて “日本海海戦において連合艦隊は一斉打方を世界に先駆けて採用して勝利した” などと全く根拠のないことを言う人が出てこないことを願う次第です。

とは言え、私の調査・研究もまだまだ途上です。 当時の細部については判らない点も多々あります。 したがってもし、“この点は” というご意見をお持ちの研究家の方がおられましたら是非ご教示いただき、あるいは議論しましょう。 確たる史料を示して頂いた上でのものならいつでも大歓迎です。




 『別宮暖朗本』 について


本第2話の元々の始まりは、私のブログにおいて 『別宮暖朗本』 のウソと誤りを指摘し始めたことにあります。 

当該書については、 『砲術の話題あれこれ』 の第1話である 『多田vs.遠藤論争』 の公開をし始めた頃は、それこそ砲術や艦砲射撃については初歩の初歩、基礎の基礎から間違っていて、採り上げる程の価値もないものとしてきました。

しかしながら冒頭の 『始めに』 でも書きましたように、残念なことにウィキペディアを始めとしてネット上の書き込みでこの本を根拠とする記事が見られるようになり、また当該書の書評でも高評価をつける素人さんが現れるに及んで、鉄砲屋の末席に位置する者としても看過できない状況となったことがその切っ掛けです。

結局のところ、『別宮暖朗本』 の砲術についての記述は総てウソと誤りでしかない、という驚くべき内容であることは、この第2話での説明で充分にお判りいただけたと思います。

当該本の記述について、著者が砲術に関しては “素人だから割り引いて考えるべき” とかと評する読者も中にはいるようですが、それで済ませられるような話しでは決してありません。 素人であろうと無かろうと、この著者が全く “知らない、判らない、調べていない” だけのことで、そしてそれを棚に上げての “空想・妄想” を書き連ねているだけです。

素人なら “知らない、判らない、調べていない” でウソと誤り、いやもっとはっきり言って “デタラメ” を羅列して出版してもよい、などと言うことが許されるはずもないことは言わずもがなです。 ましてや自ら “歴史評論家” と名乗っている人物が、です。

「照準」 と 「目標指示」 との区別 “すら” ついていない、「照準」 と 「照尺距離及び苗頭の調定」 の違い “さえ” 判っていない ・・・・ これらの問題を抜きにしては、「打ち方」 や 「射法」 などといったものは決して語ることができないものであることはもう皆さんにはご理解いただけたと思いますが、それを 「完全斉射法」 だの 「優れた砲術というソフト技術」 などという訳の判らない言葉を振り回して “読者を煙に巻いている” のがこの 『別宮暖朗本』 と言えます。 まさに 「講釈師、見てきたような ・・・・」 を地で行っていると。

いや、この本、実はこれら砲術のことはほんの序の口に過ぎないんです。 そしてそれ以上の問題として、

皆さんご存じのとおり、司馬遼太郎氏は 『坂の上の雲』 の執筆にあたり、自ら当時の可能な限りの史料・資料に当たるとともに、海軍のことについては元海軍大佐の正木生虎氏 (海兵51期) などに教えを請い、海軍というものの実際・実態を細部まで理解する努力をキチンとしています。 例えそれが学術書ではなく、歴史小説であっても、です。

したがって司馬氏が 『坂の上の雲』 で描く艦上の戦闘シーンなども、司馬氏が執筆時点で参考とすることができた当時の史料の状況などを考えれば、決しておかしくはありません。  むしろ 小説 としては、正しく、リアルに描かれてると高く評価できます。

それに引き替え、この 『別宮暖朗本』 の著者は、元々が艦砲射撃どころか、海軍や艦艇について何等の素養も無いことに加えて、司馬氏が利用することのできなかった豊富な旧海軍の原典史料さえオープンになっている現状にも関わらず、それらを全く “知らず、判らず、調べもせず” に、既に明らかにしてきたようなウソやデタラメを書き連ね、机上の空想と妄想を “これが史実だ、真実だ” と得意気になって滔々と述べています。

『別宮暖朗本』 で著者が引用を明らかにしているのは雑誌記事の類や小説ばかりで、その他には根拠とするに足る史料名などは全く出てきません。 特に肝心要の部分ではその根拠すら全く明らかにしていません。 その上で、滔々とこれが史実だ、事実だと主張する。  お粗末と言えば、余りにもお粗末。 これでどこが 『坂の上の雲では分からない 云々』 などと言えるのか。 

その上で、司馬氏や旧海軍軍人達などに対して全く謂われの無い暴言の数々 を吐いています。 それも “出版物” という活字にして。 これはハッキリ言って許されざる行為です。

司馬遼氏や旧海軍軍人達を貶めることによって、自己の見識の高さ (と自分では思っている) をアピールしようとするためならここまで言うのかこの著者は、と。 これで 『別宮暖朗本』 の出版が単なる著者の売名のためのものでなくて何だというのでしょう。 酷いものです。 

そして更に言うなら、このようなものを、何等の裏付けも取らずに安易にそのまま本にして世に出す 「並木書房」「筑摩書房」 の出版社としての姿勢も当然問われて然るべきでしょう。



なお、本題2話において 『別宮暖朗本』 のウソと誤り、いやデタラメな記述を明らかにした引用個所を次項 『(付) 『別宮暖朗本』 砲術関係指摘個所一覧』 で一覧掲示します。 これらはこの第2話で説明の必要上の “引用として最小限の部分” であり、それ以外の文や個所は含まれません。 それにしても、たったこの日露戦争期の 「砲術」 ということだけに限っても、一体何頁をウソとデタラメで埋め尽くしていることかこの本は、と。

もちろん砲術以外のことについても、私のブログ 『桜と錨の気ままなブログ』 において、この 『別宮暖朗本』 のウソとデタラメについて順次その根拠を付して明らかにしているところです。 この本を読まれた初心者の方々が、この著者の単に歯切れの良いだけの口調に惑わされて、史実・事実を勘違いをしないようにとの想いから。

ブログの方はまだまだ続きます。 それでももう既にかなりの量になりましたが ・・・・ それくらいの “トンデモ本” なんだとご理解ください、この本は。







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 最終更新 : 05/Jul/2011