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4-1.初めての射撃指揮官 |
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1等海尉に昇任した翌年に、江田島の第1術科学校に 「幹部中級射撃課程」 学生として入校しました。
第3話でお話ししましたように、すでに “鉄砲屋” になることは決まってはいましたが、ここまではミサイルやシステム関係ばかりやっておりましたので、実際に “大砲” を勉強するのは初めてでした。
この中級課程は1年間の教育ですが、その間に2回、「教程射撃」 という実習がありました。
教程射撃は、私達 「幹部中級射撃課程」 学生と第1術科学校に入校中の海曹士の射撃及び射管の高等科及び普通科各課程学生達とでチームを組み、護衛艦に乗り込んで、そこの砲や射撃指揮装置などを借り受け、洋上で実際に射撃をするものです。
したがって、訓練海面で実際に弾を出す時は、艦の運航などは乗員がやりますが、砲台及び射撃指揮装置などは全て学生のチームだけでやります。
2〜3隻の護衛艦各艦に3〜4チームずつ配乗し、港で停泊中に数日をかけて砲台や射撃指揮装置の整備・調整を行い、チーム毎の射撃の立て付け (リハーサル) を何度もやった後、出港して訓練海面に向かうわけです。
私の実習艦は、第1回目の時は 「あきづき」 でした。 この時既に “新鋭艦” とはとても言い難い艦でしたが ・・・
幹部中級射撃課程の学生の中には、砲術士時代に既に射撃指揮官を経験した者も何名かいて、彼等はもう手慣れたものでしたので、私などは全て彼等のやっているのを見よう見まね、と言うのが実状でした
1回の教程射撃では、一人につき水上射撃及び対空射撃各2回づつ計4回の射撃指揮官を経験します。 普通は、水上射撃が同航態勢と反航態勢、対空射撃が向首態勢と横過態勢の射撃です。
射撃指揮官として、その4種類の射撃の 「射撃指揮官胸算」 (射撃計画及び腹案) を作り、それを自分の海曹士学生チームや艦側に説明をし、それに基づいて射撃の立て付けを行います。
立て付けは、実際に弾が出ない以外は本番と同様に、順調に射撃が実施できる場合は勿論、砲台や射撃指揮装置などにどこか問題が生じた場合や、手順にどこかで狂いが生じた場合の対処、措置についても、ありとあらゆるケースを考えて練習をします。
ここまで準備しても、第1回目の教程射撃で最初の自分の番が回ってきた時には、それこそもう無我夢中でした。
射撃指揮官として 「打ち方始め!」 の号令をかけ、砲が発砲した衝撃と砲煙を浴び、標的の近くに弾着の水柱が上がるのを双眼鏡で確認して、次の号令をかける ・・・・
・・・・ っと行くはずだったのですが、射撃開始直前にいきなり横にいた学生伝令の大きな声 「射撃指揮装置故障!」
「おいおい、それはないだろう〜 俺の生まれて初めての射撃で、しかも教程射撃だぞ!」 っと言ったところで何にもなりません。 自分で書いた 「射撃指揮官胸算」 を頭の中で急いでめくり、直ちに学生チームを引き連れて予備の射撃指揮装置とその指揮所へ移動し、準備を整えて艦長に 「用意よし」 を届け、何とか大した遅れもなく第1回目を開始できました。
う〜ん、これが “鉄砲屋” か、と感じた瞬間です。
私の記念すべき初の教程射撃の経過図 |
もちろん、射撃の結果は散々なものでした。 学校に帰ってからの 「事後研究会」 では、居並ぶ砲術科のベテラン教官達から一切の妥協も言い訳も許さない、痛烈な酷評を浴び続けたことは言うまでもありません。
そして、艦砲射撃の能力というものが、単なるハードウェアーのカタログスペックだけでは到底推し量れない ものであることを、身をもって理解することができました。
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私が中級課程の学生の頃は、護衛艦にはまだ3吋砲の6門艦や4門艦がたくさんいましたので、旧海軍から続く艦砲射撃の醍醐味をそれなりに味わうことができましたが、今ではもう76ミリ砲か127ミリ砲を1門しか搭載していない艦が殆どですから、若い後輩達にはちょっと可哀想に思うところがあります。
まあ、これも時代の流れの一つですが ・・・・
最終更新 : 26/Feb/2012