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3.砲術との出会い



江田島の幹部候補生学校を卒業して3等海尉に任官し、引き続く遠洋練習航海が終わった時、最初の任地は希望どおりの艦艇勤務で、護衛艦の通信士でした。


これで順調に船乗りとしての道を歩める、と思ったのも当然と言えば当然です。


艦艇職域に指定された初任幹部は、実際の艦艇勤務に慣れ、そして “艦” というものを身をもって満遍なく覚えるために、通常、1年〜1年半のローテーションで3つの異なる勤務、いわゆる “士 (さむらい) 配置” を経験します。 例えば、砲術士 → 機関士 → 通信士、といった具合にです。


そして、この3等海尉から2等海尉の間の初級幹部としての経験が終わった後、1等海尉に進級してから順次 「幹部中級課程」 の学生に進みます。 この時に、射撃や機関、航海など艦艇職域での自分の専門分野 (特技) が決まることになります。 


ところが、私の場合は最初の艦艇勤務1年を終わったところで、何と次に陸上配置に回されてしまったのです。 場所は「プログラム業務隊」 という所、現在の 「艦艇開発隊」 及び 「指揮通信開発隊」 の前身です。


当時この 「プログラム業務隊」 も新編されたばかり。 「それはどこにあるのですか? そこで私は何をするのですか?」 という私の質問に、艦長も上司の船務長も 「俺もそんなところ知らん!」


「まさか、いろんな会議の案内プログラムなどを作るのが仕事のところじゃないよな〜?」 「俺は船乗り失格になったのか ・・・・?」 っという言葉が冗談だけではなく、半ば本気で言いたくなるような情況でした。


訳も解らないまま艦を降ろされしまい、たどりたどってやっとのこと横須賀は船越の片隅にある、大戦中に建てられた “古くて汚い倉庫のようなところ” を探し当てて、着任しました。


「え〜っ! こんなみすぼらしいところで勤務するの 〜?」


今でこそ 「システム艦」 と言えば自衛官でなくても船好きの人なら誰でも知っている言葉ですが、当時は海上自衛隊といえどもまだほんの一握りの人しか知らない時代でした。 その 「最先端のシステム」 なるものを担当するところが、この古ぼけた建物の中に置かれていたのです。


私の仕事は、同時に着任した他の3人と共に、ともかくディジタルコンピューターの “いろは” から勉強を始めることでした。 まだ、パソコンなど影も形も無い時代、当時の艦載用の軍用コンピューターは 「コア・メモリ」 を使った代物でした。 皆さんこの 「コア・メモリ」 ってご存じですか?


米海軍から購入した海上自衛隊初の 「艦艇戦闘指揮システム」 のソフトウェアの維持管理。 と言えば聞こえは良いですが、コンピューターのメモリ容量が現在では考えられないくらい驚くほど小さいので、何が何でも無駄のない効率的なプログラムにする必要がありましたから、機械語レベルまで解析し、1ワードでも少ないものに “改善” することが要求されました。


何しろ海上自衛隊でも初めてのものですから、誰も教えてくれる人はいません。 自分で勉強しては、それをプログラムに組んで、システムを動かして試してみる。 延々、これの繰り返しでした。 一日14時間の夜勤が3ヶ月くらい続いたこともありました。


いや〜、ともかく勉強させられました。 良いプログラムにするためには、まずそれが実現しようとする “理論” と、連接する “機器” のことが理解できていなければなりません。 学生時代でさえ、こんなに勉強したことは無かったのに ・・・・


たまたま私が担当したのがミサイルや砲の射撃に関連する部分でした。 そこで、否も応もなしに射撃理論を基礎からキチンと勉強する必要に迫られたため、手を付けたのが海上自衛隊の砲術界における “名著” の一つとされる 『解析射撃理論』 です。


この本は全3巻+付録からなるもので、名著とは言われながら 「幹部中級射撃課程」 の学生でさえも全編通して読めるか読めないかと言うようなものでした。 それを砲術士さえまだ経験していない初級幹部が読むのですから、初めはもうチンプンカンプン。


しかしながら、この時これを勉強したことは後で大変役に立ったことも事実です。 何よりも一つの物事について明確な体系付けによって理論的に纏める、という考え方に接することができたのは大きな収穫でした。


そしてこのことが切っ掛けで、1年後には 「新ターター幹部課程」 という名称で半年間、米海軍のミサイル学校留学の機会が与えられ、以後名実共に、海上自衛隊における私と砲術の切っても切れない関係が始まりました。 同時にこれは 「幹部中級課程」 入校を待たずに、この時に私の専門分野が決まってしまったことをも意味しました。 


まさに “鉄砲屋” の末席に身を置いたのです。


(注) : 海上自衛隊においては、幹部自衛官の職域・特技としては今でも大砲とミサイルの区分をしていません。 共に一つの同じ “射撃” の職域で取り扱っています。 したがって、私の場合はミサイルも大砲も両方経験しましたが、経歴上ミサイル関係の配置しか経験が無くても、射撃幹部、即ち “鉄砲屋” として扱われます。 また、通称はともかく、人事補職上の正規の名称には 「ミサイル長」 「ミサイル士」 という配置は無く、「砲術長」 あるいは 「砲術士」 などです。







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最終更新 : 26/Feb/2012