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1.幼き日の思い出



私が “船乗り” という世界に入ることになる最初のきっかけとなったものは、いつの頃のものだったのか。


父親はもちろん、私の身内には船に関係する者は誰一人としておりませんでしたから、その世界のことなどは全く知りませんでした。 もちろん漁師町などの海辺で育ったわけでもありません。


一度だけ、父親の転勤の関係で小学校1年生の後半から約2年間、甲子園球場のすぐ近く、浜甲子園というところで暮らしたことはあります。 それでも、そこは大阪湾沿いの単なる住宅地ですから、近くに港などがあるわけではなく、また近くを船が走るわけでもなく、延々と続く高い防波堤の向こうに海があるだけで、“海” で育ったと言う程の記憶が残るようなところではありませんでした。


したがって、少なくとも海に関わるような環境の中にあったわけではありません。


そんな私が “軍艦” というものを知ることになったもので、記憶に残っている最初のものは、小学校4年生の時のことです。


近くの本屋さんで見付けた、目にも鮮やかな黄色い表紙に黒文字のタイトルの雑誌がありました。 そう、まだ創刊してから日の浅い月刊誌 『世界の艦船』 。 それはフランス海軍の特集号でした。 そしてもう一つの特集が 「真珠湾攻撃前夜の我が機動部隊」。


択捉島単冠湾集結時から真珠湾へ向けて洋上を進む南雲機動部隊の空母や戦艦などの威風堂々たる写真の数々。 幼い男児の心をときめかせるのに十分な迫力でした。


そして、大艦巨砲が過去の物となった戦後の、フランスの巡洋艦 「コルベール」 「ド・グラース」 の甲板上に所狭しと林立する高角砲。 これがまさに近代的な艦艇の姿、と思ったのも不思議ではありません。


この感動が醒めやらぬ内に、たまたま近所の同級生から海上自衛隊の体験航海があるから一緒に行かないか、と誘われました。


恐らく、晴海を出港して東京湾内を短時間で回って帰ってくるだけで、途中は今日のような訓練展示や武器操作などのイベントは何も無かったと思います。





父親のカメラを借りていったのですが、ともかく物珍しさ一杯で、艦上、艦内を見て回る方が忙しくてあっという間に時間が過ぎてしまい、肝心な写真の方は数枚しか撮りませんでした。 それも、今から見ればおかしなよく分からないものばかりが当時のアルバムに残っています。


乗ったのは多分 「いそなみ」 か 「しきなみ」 だったと思うのですが、当時は新鋭艦であったにもかかわらず、その時の印象は、『世界の艦船』 に掲載された艦艇写真のイメージと比べると、残念ながら “何とも古くさい、ちっちゃな軍艦” というものでした。


それでも、初めて船に乗り、初めて軍艦というものに接したという事実は、多感な一人の少年に感動を与えるには十分なものがありました。 そして、この2つのことが重なったことによって、非常に強いインパクトとなって私の脳に焼き付いたことは確かです。


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しかしながら、そんなことがあっても、それらのことはその後の私の日々の生活の中ではすっかり忘れ去られ、“軍艦少年”、今日の言葉で言うところの所謂 “艦船マニア” などになることもなく、ごくごく普通の小学生、中学生、そして高校生として過ごしたのです。


高校2年生の終わり頃、将来の進路として防衛大学校を受験しようと思い始めるまでは ・・・・




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最終更新 : 26/Feb/2012