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桜と錨の海軍砲戦術史 序論





   論述方針
   「砲戦術」 と言う用語


 

 論述方針


これから少しずつ旧海軍の砲戦術の概要とその変遷について、私が今まで研究してきた成果を纏めていきたいと考えています。

ただし、ここで言う 「砲戦術史」 というのは、個々の海戦を分析し、そこで行われた砲戦がどの様なものであったかを戦術的、砲術的に明らかにする、いわゆる 「砲戦史」 ではありません。

旧海軍が “砲戦というものをどの様に考え、どの様に実施しようと考えてきたか” について、時代の変遷を順次辿りながらお話して行くものです。

時期的は、日露戦争が終わったあとその戦訓が出揃い、そして旧海軍に近代射法が芽生えて来た明治40年代から、ほぼ太平洋戦争が終わる頃までとなります。

日露戦争とそれ以前については、旧海軍自身にまだ 「砲戦術」 という概念が確立していない時代のことですので、必要に応じてお話しの中でその都度言及していくことにします。

この砲戦術には、当然のことながら今後予期される海戦において、そこでの砲戦に必要な砲熕武器は何か、それを搭載する軍艦はどの様なものが必要であり、それを使うにはどの様にする必要があるのか、を含み、単艦、そして艦隊での砲戦のやり方にまでに及びます。

お話の中で特に強調したいところは、技術者や戦後の研究家から見た艦艇史や武器史ではなく、実際にこれを使って戦う立場にある “用兵者が当時どの様に考えてきたか” と言うところです。

したがってこの視点というのは、戦後から現在に至るまで刊行物などで表されてきた多くの技術論的なものとは異なり、これまで欠けていたものであると言えます。

お話しの根拠は、全て私が目にし得た今に残る当時の旧海軍史料に基づくものです。

そして、黛治夫氏の 『艦砲射撃の歴史』 や刊行会編 『海軍砲術史』 で書かれてこなかった部分を出来るだけ埋めて行きたいとも考えています。

いつまで、どれだけかかるか判りません。 手の空いた時に少しずつ書いていきたいと思います。 また、最終的にどの様な形になるのかもまだ判りません。 が、ともかく手を付け始めないことには、と。


もちろん個人が余暇にやって来たことですので、史料収集などの点で大きな限界があっることも事実です。 したがって、もし本連載を読まれた方で、「こんな史料もあるよ」 という方がおられましたら是非ご教示いただき、コピーで結構です (私は原本そのものを集めることはしていませんので)、ご提供願えたらと思います。


 

 「砲戦術」と言う用語


まず始めに、この 「砲戦術」 とはということから説明します。

旧海軍において 「砲戦術」 という用語が何時出来たのかは、実は明確では無いのですが、しかしそれほど古いことでもありません。

日露戦争前の海軍大学校において 「砲科戦術」 と称して、主として公算学上の見地からする砲熕の使用法を教えました。 これが砲戦術という用語の始まりとも言われています。

その一方で、海軍砲術練習所において 「砲戦術」 と称して、主として砲戦における要務を教えました。 この 「要務」 というのは、物事を実施する上での基本的処置要領や手続き事項などを包括的に示す言葉です。

このため日露戦争頃までは 「砲戦術」 というのは大体この砲戦要務のことを意味していました。 明治40年代以降の定義からすれば、かなり狭い範囲であったわけです。

これは、当時はまだ海戦における戦術と言えば必然的に砲戦のことを意味する時代であり、わざわざ 「砲戦術」 とする必要も無かったこともあります。

ところが日露戦争後ともなると魚雷の発達により、海戦は砲戦と水雷戦との2つを考慮せざるを得なくなり、戦術を論じる上でもその専門性から 「砲戦術」 と 「水雷戦術」 とに分ける必要が出てきました。

加えて、明治40年に 「距離時計」 が、続く41年に 「変距率盤」 が導入されたことにより、これと 「測距儀」 との組み合わせにより近代射法が誕生する切っ掛けとなり、砲戦術の更なる研究の必要性が生じました。 ここにおいて、明治44年には海軍大学校において 「砲戦術」 なる単独の項目が教授されるに至ったのです。

この当時の海軍大学校においては、「砲戦術」 とは次のように定義されました。


 「海軍砲戦術とは、艦艇の砲熕を以て敵と戦う技術にして、海軍戦術の基礎を成すものなり」


そしてこの砲戦術を構成する基本要素を、機力的要素である 「砲熕」 「軍艦」 と、術力的要素である 「人」 の3つであるとしています。

この3要素によってもたらされる砲戦の戦闘力は、次の関係式で表されます。


       (砲戦) 戦闘力 = 砲戦術 x 射撃術 x 砲熕的威力


ここで言う 「砲熕的威力」 というのは、砲熕武器の機械的物理的な能力のことです。  「射撃術」 とはその砲熕武器を使用して如何に短時間に多くの命中弾を得るか、の方策ということになります。

そして 「砲戦術」 とは如何に速やかに有利な対勢、有利な距離を得て、その射撃術を発揮し得るか、と言う方策のことで、これら3つの積が個艦及び部隊の戦闘力を決めることになるという考え方です。

言い換えれば、「砲戦術」 とはこの関係式で現される戦闘力を最大発揮するために、如何に射撃術と砲熕威力を有効に駆使して海戦を勝利に導くのかという方策、ということになります。

ただし、ここで言う 「戦闘力」 とはあくまでも砲戦としての戦闘力の意味であり、軍艦としての戦闘力ではないことに注意が必要です。

即ち、軍艦、あるいは艦隊としての戦闘力については、次の様に表わしていました。


       (海軍) 戦闘力 = 攻撃力 x 防御力 x 運動力 x 通信力


これからの話しは、この戦闘力について、砲熕、軍艦、人という3つの基本要素の観点において、まず明治40年代に旧海軍が具体的にどの様に考えていたか、というところから始めることとします。







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 初版公開 : 18/Feb/2018

 初版公開 : 01/Apr/2018