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第4話 日米両戦艦の砲術 |
以前に掲示板にてHN 「猫」 さんから本話題についてご質問をいただきましたが、私の見解をお答えするには少々長くなりますので、その時はブログの記事とさせていただきました。
しかしながら、日にちが経ちブログの方では既に当該記事が流れてしまっておりますことと、内容的に当サイトに深く関係するものですので、こちらでその第4話として改めて掲載いたします。
HN 「猫」 さんからいただいたご質問は次のとおりでした。
是本信義著 『日本海軍はなぜ敗れたか』 の中で、大和 (光学測距) とアイオワ (電測) の比較をした部分がありまして、彼我の距離30,000m、弾着まで1分30秒、修正射に45秒と仮定してシュミレートされています。
まず初弾が敵艦前方300mに着弾したところから始めて、大和の場合左切れ300m > 「右寄せ10次」 > 全遠 > 「下げ1,000次」 >
全近 > 「高め500急げ」 > 夾叉となって、夾叉まで試射三度、8分15秒を要するのに対して、アイオワは電探 (Mk.8か?) で最初の試射から遠近左右の誤差を測定してその次ぎから夾叉&斉射に移れるように書いてあります。 (測距儀が距離の自乗比で誤差が増えるのに対して電探は誤差が理論上一定であることも強みらしいです)
ここで疑問なのですが、実際は帝国海軍の射法にも幾つか種類があるわけですし、交互射撃で修正に要する時間を短縮する等のことが行われていたように記憶しています。 実際、氏が主張するように、光学器のみの射撃でここまで時間がかかるものなのでしょうか?
ご質問にある当該書は次のものですが、同じ様な関連する記事が同氏のもう一つ著書 『誰も言わなかった 海軍の失敗』 の中でも出てきますので、この両者の内容を合わせ、ブログの方では2回に分けてご質問にお答えしたものです。
『日本海軍はなぜ敗れたか』 光人社、平成12年 ISBN-10:4769809719
『誰も言わなかった海軍の失敗』 光人社、平成20年 ISBN-10:4769813902
なお、当該本の著者である是本信義氏ですが、海上自衛隊で砲術畑を歩まれた、いわゆる “鉄砲屋” のOBです。 私は現役の時には直接の部下になったことはありませんが、良く存じ上げている先輩ですし、部内では有名だった方です。 また退職後は余暇に歴史・戦史を研究され、上掲の他にも幾つかの著書を出しておられます。
まず最初にご質問のメインであった太平洋戦争期の日米両海軍の砲術について、特にそのうちの 「射法」 についてです。
「大和」の46糎砲について、射距離3万mで弾丸飛行秒時が 1分30秒 となっておりますが、これは明らかに誤りです。 当該46糎砲の射表がありませんので正確な秒時は出せませんが、40糎砲及び米海軍の16インチ砲の射表から判断しても、常識的には 約60秒程 (55〜60秒前後) です。
(45口径40糎砲筒外弾道図)
以下ここでの説明の都合上、射距離3万mというより、飛行秒時60秒の場合とします。
また 「修正射に45秒」 とありますが、これは弾着時からこれの観測により修正を行ってその修正弾を発砲するまでの 「修正費消時」 のことと思いますが、明らかに長すぎます。 旧海軍では一般的には10秒程度、長くとも (技量が低い場合) 20秒程度とされています。
一斉打方を用いるか交互打方で行くかは別にして、試射を是本氏提示のような 「緩射 (緩徐なる一斉打方)」 で実施することは、少なくとも昭和10年代の旧海軍では特別なことが無い限りあり得ません。
また是本氏提示の射弾修正における修正量も違います。
例えば、修正量 (捕捉濶度)が 1000mであるなどは旧海軍ではありませんし、捕捉後の本射移行の修正量はその半分の500mではありません。 簡単に説明するため切りの良い数字で、というのも判らないことはありませんが、しかしそれでは旧海軍の砲術の正しい解説にはなりません。
そして旧海軍には試射の要領も含めて幾つかの射法や射撃のやり方がありますが、それらのどれをその時に採用するかは何とも言えないものがあります。 砲術長を始めとする射撃関係員の技量や、彼我の対勢、気象海象状況、等々で変わってくるからです。
ただし、これらのこと総てを脇に置いておいて、単純に “昼間砲戦での極めて平易な状況” でかつ砲機の状態や乗員の能力技能などに問題ないとした場合として考えますと、その標準とする試射のやり方などは当然決められています。
これにつきましては、「砲術講堂」 で 「旧海軍の砲術」 → 「射法」 → 「射法理論」→ 「水上射撃の射法理論」 と辿っていただくと、その中に 「試射の要領」という項目があります。
その項にある 「6.試射法の決定」 の一番最後で、標準の適用試射法を説明しています。 これが旧海軍における今次大戦開戦時のものです。
残念ながら、というより当然のことですが 「大和」 型の射撃データが加味されたものではありませんが、旧海軍の技量という点から 「大和」 型においても少なくともほぼこのまま適応可能と考えられます。
したがって 「大和」 型の場合、ご質問の例ではごく普通 (標準) の状況ならば照尺差500m又は600mとする 「初弾観測2段打方」 又は 「同3段打方」 を交互打方によって実施すると考えられます。
その後者について、典型的な例を示したものが旧海軍史料にあります。
( 海軍砲術学校作成のテキストから )
修正費消時を10秒とし、修正第1弾と2弾で捕捉 (弾着が目標を前後に挟む) して本射に移行する場合に、初弾発砲から本射第1弾の発砲までに 2分30秒 (弾着までは3分30秒) としています。
これは旧海軍における大口径砲の射撃の “ごく一般的な” 要領の例を示したものです。
これによれば、もし初弾と修正第1弾で捕捉したならこれより−10秒、修正第2弾と3弾で捕捉するなら+30秒ですが、後者は旧海軍の射撃の実績データに基づくとそれが生起する確率は低いと考えられます。
しかも、「大和」 型はその 「九八式射撃盤改一」 において、15m測距儀 (3重 x 4基=12種) や10m測距儀(3重x1基)、電波探信儀などから合わせて最大15種の測距データを2個の測距平均器により同時に平滑して平均距離を出しますので、これによってかなり測距誤差を縮小することが可能となっています。
( 『九八式射撃盤改一参考書』 より )
したがって射距離3万m程度ならば、もしかすると 「大和」 型の性能・能力的には 「初弾観測急斉射 (初観急) 」 が適用できた可能性も充分考えられます。
とすると、本射第1弾発砲までは僅かに 70秒 (弾着までは2分10秒) となり、これで夾叉できる確率も高いですし、交互打方による急斉射を実施すれば相当早期に有効弾を獲得することが期待できることになります。
左右誤差 (偏倚量) については、当時の日本戦艦の術力からすると、初弾からほぼ左右正中が期待できますので、試射においてこの修正はほとんど必要ないと言えます。 というより、それが過去の射撃成績から期待できるからこそ、この射法適用が決められているのです。
したがって以上のことから、どう転んでも是本氏の 8分15秒 などというような見積りは旧海軍の常識から言って “絶対に” 出てきません。 もちろん、射撃指揮官が生まれて初めて射撃指揮をする少・中尉だったと仮定するなら話は別ですが。
なお、本射を交互打方から一斉打方に替えるかどうか、替えるとすると本射移行後の何時からか、などはひとえにその時の状況によります。
一方で 「アイオワ」 型ですが、米戦艦は水上射撃の場合原則として一斉打方のみです。
そして問題は、当時のFCレーダーはその機能・構造から方位精度 (方位分解能) が非常に悪く、また照準線の決定 (方位は勿論、俯仰も) できませんので、FCレーダーのみでの射撃はほとんど不可能 (=役に立たないという意味) です。
つまり当時のFCレーダーの利点は、単一データとしては測距儀よりも精度が高い測距データのみということです。 ましてや射撃に有効な精度での左右偏倚量などは得られません。 加えて、Mk−8やその前のMk−3はシステムとしての信頼性 ・ 安定性が悪く、このためすぐにMk−13が開発されています。
このため有効な射撃を実施するためには、日本側と同じく 光学照準が絶対に必要 になります。 これはスリガオ海峡夜戦をご覧頂ければお判りと思いますが、FCレーダーのデータのみでは全く当たっていません。 当たる訳がない (もちろん確率0%という意味ではありません、念のため) のです。
これからすれば、要するに試射を緩射で実施するのと同じことになり、夾叉が得られる (=適正照尺が得られる) のは上手く行って第2弾、常識的には (まともな夾叉が得られるのは) 第3弾からですので、60秒+20秒又はその2倍、即ち 1分20秒又は2分40秒 で本射に入ることができる可能性が高い、ということです。
日本側より長い修正費消時20秒としているのは、レーダー員によるレーダー表示器 (スコープ) の読み取りとそれに基づく射弾の修正に時間がかかるためです。
ただし、最初から急斉射を実施すれば、もし初弾の修正が正しい場合には急速に有効弾を獲得できる可能性もあります。 もちろん逆に無駄弾 (無駄な斉射) も大変に多くなりますが。
その一方で、弾着観測・修正のやり方は、日本海軍では弾着と目標との距離差は関係なく、単に遠か近かにより公算データに基づいた修正で夾叉に持っていく方法ですが、これに対して米海軍の射弾修正は、弾着観測によってその都度弾着の中心点と目標位置との差分 (平均観測距間量の全量) を修正していく方法ですので、下手をすると夾叉がなかなか得られないということになります。
しかも先のFCレーダーの性能 (方位分解能と距離分解能) からして、斉射弾9発の水柱一つ一つがそれぞれスコープ上に写るわけではなく、ボヮ−とした一塊の映像 (エコー) ですし、しかもその一塊は実際の水柱の散布界を現すものではありません。
また、スコープ上で夾叉を確認できたとしても、そのレーダー性能上からどの様な夾叉の仕方なのかはほとんど判別できません。 極めて近距離に弾着した場合、実際には全遠又は全近であっても夾叉のように写ります。 (このレーダー弾観というのは、現在の射撃指揮装置においても大変に難しいものです。)
したがって、米海軍における射弾修正の適否は、ひとえににFCレーダー員によるスコープ上の読み取り能力とその結果にかかっているといっても過言ではありません。
以上のことから、3万m程度の昼間砲戦では 「大和」 型も 「アイオワ」 型も射撃計算そのものにそれ程差が出る訳ではありませんので、後は射法 (射弾指導) と射弾精度次第ということになります。
射撃精度については、大戦後半には米海軍も散布界の短縮などでかなり精度を上げてきたとはいえ、それでも日本海軍の方がまだまだ上です。 つまり夾叉弾が得られた時に、その斉射弾で命中弾を得る確率は散布界が小さい日本側の方が高いと言うことです。
その代わり、残念ながら 「大和」 型も含めて日本側は連続射撃においてどれだけの装填秒時が維持できるのか実績がありません。
基本的に機力に依存する米海軍の方がこの面では有利であることは間違いありません。 実際、大戦中の米海軍の射撃はこれを最大限に活用した方式を採りましたので。 (ただし 「大和」 型の装填機構が実際面でどの程度向上し得たのかは判りません。)
結果として、米海軍の 「数打ちゃ当たる」 方式と、日本側の 「緻密打法」 方式のどちらに分があるか、ということになります。 これはもう、一重にその時の状況次第、と申し上げる以外にはありません。 砲術 ・ 艦砲射撃とはそう言うものです。
もちろん、以上のことはあくまでも “極めて単純、かつ平易な状況・状態での単なる一般論” に過ぎないことをお断りするとともに、この点について注意して下さい。
ただハッキリしているのは、是本氏が提示したものは日米両海軍の実態 ・ 実状とは全くかけ離れており、残念ながらこの問題を論じる時の根拠にも参考にもできるものではないことは明らか、ということです。
続いて上記に関連して、艦砲射撃を実施する上での基礎となる日米戦艦の砲熕武器システムについて、その特徴的な事項をいくつかピックアップします。
是本氏の著書では、まず米海軍の射撃指揮装置の名称からして誤っています。
アイオワのMK38GFCSは
( 『日本海軍はなぜ敗れたか』 p213 )
アイオワは大和のそれをはるかに上まわる 「MK−38GFCS」 を装備していた。
( 『誰も言わなかった海軍の失敗』 p178 )
とありますが、米海軍に Mk-38 という制式名称の GFCS (Gun Fire Control System、射撃指揮装置) はありません。
当該 Mk-38 というのは方位盤 (Gun Director) の名称であって、「アイオワ」 型はこれと、Mk−8 Rangekeeper (旧海軍の測的盤+射撃盤に相当)、MK−8(Mk−13) Radar Equipment、Mk−41 Stable Vertical などが組み合わされたシステムであり、当時はまだこれらを一括して1つの 「GFCS」 とは呼んでおりません。 ただし、“ is known informally as the Gun Director Mark 38 system ” ではありました。
( Mk-13 レーダー装備の Mk-38 方位盤 )
たかだか名称ぐらいで、と思われる方もおられるかもしれませんが、このことを知らないと言うことはこの射撃指揮システムのことをキチンと調べていない (判っていない) ということになるからです。
( 射撃指揮システムの構成例 方位盤の図はMk−34ですが、Mk−38でも同じ )
そして、測的及び射撃計算を行う Rangekeeper ですが、
以上のシミュレーションは、弾道計算を行う射撃盤すなわちコンピューターの性能を同じとした場合で、本当は大きな差があった。 「大和」 の九八式射撃盤は、各種データを手動調定して所要の計算を行う機械式だったが、アイオワのMk38GFCSは、当時としては最高の性能を誇る電気計算機を使用していた。
( 『日本海軍はなぜ敗れたか』 p212〜213 )
残念ながら Mk-8 Rangekeeper は日本海軍の九八式射撃盤と同じ “完璧な” 機械式です。 そして九八式とは射撃解法のやり方 (理論式) が異なる点を除けば、精度はほとんど互角と言えます。
むしろ当日修正などでは九八式の方が優れていた点もあります。 ただし、工業量産品か職人の手作りかという差はありますが。
( 『九八式射撃盤改一参考書』 の表紙 )
砲の操縦について、
自動操縦システムを持たない日本海軍は、砲側に送られてくるデータに基づき、砲台に一名の旋回手と砲身一門に一名の射手がローカル操縦で砲を動かしていた。 「大和」 の主砲三連装三基計九門の場合、旋回手三名、射手九名が必要なのである。 一方、「アイオワ」 は、サーボモーターを使用するフィードバック回路によるリモートコントロールシステムで、自在に自動操縦していた。
( 『日本海軍はなぜ敗れたか』 p213 )
これも残念ながら、「アイオワ」 の主砲でも同じように砲塔に配員が必要であり、各種の操縦モードをその時の状況により切り替えていました。 もちろん氏の言うように Rangekepper から送られてくる発砲諸元により自動操縦を行うこともできましたが、だからといって常にこれで精度の高い砲の指向ができたわけではなく、海面状況などによっては、旋回手と射手による手動操縦 (それも幾つかのサブモードがあります) の方が良好な場合も多いのです。 というより、主用するモードは後者だったのです。
( Schematic Diagram of Gun Elevation system )
もちろん、米海軍の電動油圧、Aend-Bend などによる制御方式は確かにすばらしいものがありますが、水上目標を照準して追尾している限りにおいては、日本海軍の水圧、基針追針方式でも通常状態なら何等遜色があるわけではありませんし、状況によっては反ってこちらの方が精度が高い場合もあり得ます。
そしてなんと言っても、最大の誤りは先にご説明した Mk-8 (Mk-13) FCレーダーです。 氏の言うような性能・能力はありませんでしたし、それよりも何よりも、
満足な捜索レーダーも持たず、射撃用レーダー皆無の 「大和」 は、優秀な捜索、射撃用レーダーを持つ 「アイオワ」 にロックオンされ、何が何だかわからないうちに命中弾を浴び沈没ということになっていたであろう。
( 『日本海軍はなぜ敗れたか』 p213 )
「ロックオン」 という用語をどのような意味で使っているのかの説明がありませんので判りませんが、(というより、元海自の鉄砲屋と自称するなら、これをキチンと明確にしなければならないはずですが) 少なくとも現代における一般的な 「自動追尾・自動照準状態」 ということであるなら、この Mk-8 や Mk-13 も含めてその様なレーダーは当時の米海軍には存在しませんでした。
当時はこの ↓ ようなコンソールでレーダー員が手動で測っていましたし、ましてや連続かつ平滑化された距離データが自動的に Rangekeeper に入力されるわけではありません。
また一方の日本海軍では、レイテ沖海戦までに2号2型の改造によって曲がりなりにも電探射撃ができるレベルにありましたし、捜索用レーダーにしてもこの砲戦距離程度ならばある程度の能力が発揮できましたので、「何が何だかわからないうちに」 となる可能性は極めて低いと言えるでしょう。
それ以前に、科学的合理性を説く両書において、広い大洋の真ん中で 「大和」 と 「アイオワ」 がそれぞれ単独で会敵して砲戦に至る、と想定すること自体に無理がありますが ・・・・ (^_^; 上記で説明したように、
文句なしに 「大和」 に軍配が上がりそうだが、それは海軍砲術を知らない人のまったくの素人考えと言える。 ズバリ言って、この勝負 「アイオワ」 の勝ちである。
( 『日本海軍はなぜ敗れたか』 p210 )
ところが、それは海軍砲術を知らない素人の考えなのである。 ズバリいって、この勝負はアイオワの完勝なのである。
( 『誰も言わなかった海軍の失敗』 p177 )
もし是本氏が日米両海軍の砲術・艦砲射撃についてチキンと調べられていたならば、少なくともこの様な断言には至らなかったはず、と大変残念に思います。
確かに、ここで 「日米両戦艦の砲術」 と題して是本氏の記述の誤りを指摘した種々の事項は、氏の両書全体の論点からいうと小さなことかもしれません。
しかしながら、逆に言うと海自OBを名乗り、その上で 「私が護衛艦 「きくづき」 の砲術長を勤めていた時 云々」 と言っているだけに、ここで指摘した様なことをキチンと調べてから誤りの無いように書かないと、折角の著作全体の鼎の軽重を問われることになりかねない、と思う次第です。
(注) : 本項で使用した写真・図は総て当サイトの所蔵史料からです。
最終更新 : 08/Mar/2015