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15-3.阪神淡路大震災の48日間 (補)




 桜と錨の独り言


以下は水交会の回想記では書けなかったものをいくつか選んでお話ししますが、あくまでも私の独り言としてお聞きください。



(1) 海幕は海自の最上級司令部として機能し得たのか?


現在の災害派遣における部隊運用などについては、平成 年に新設された統合幕僚監部が担当するようになりましたので変わったのかもしれませんが、少なくとも当時の海上幕僚監部は海上自衛隊の部隊運用における最上級司令部としては全く機能しなかったといってもよいでしょう。

防衛部運用課などがありますが、海幕長や内局などに対するお役所としての庶務機能だけで、本来の高所大局からの判断措置などは出来ませんでした。

私の上掲の回想記にもあるように、結局現場の者に各部・各課の担当者が思いついたことをあれやこれや、やいのやいのと言ってくるだけで、海上自衛隊としての方針を打ち出すことも、それに沿った指示、アドバイスなどを現場に流してくることはありませんでした。 それに、海上自衛隊以外の陸空自や防衛庁 (当時) はもちろんのこと、それ以外の他省庁や関係する自治体の組織機関などの情報が海幕経由で入ってくることも全くありませんでしょう。

その上、タダでさえ少人数で、しかも交代要員もおらず、一人で何役をもこなさなければならない現場の多忙な状況を、少しでも緩和しようという様な配慮は一切ありませんでした。 むしろ何か言ってくることはその逆のことばかり。

まさに机に座って自己の担当職務について上司から文句のでない様に処理したい (処理したように見せたい) という役人根性であり、単なるお役所仕事以外の何ものでもないとしか現場にいた私には見えませんでした。



(2) 任務遂行上の費用は自腹で?


自衛隊が基地外を動くとなると、それなりに費用がかかることは当然のことです。

例えば、阪神基地隊に災害派遣司令部を構えましたが、元々の阪基の隊員に加え司令部の要員のための糧食などは現地調達は不可能ですので、後方支援基地たる呉から車両輸送する必要があります。

では、この輸送に関わる費用はどうするのでしょう。 ドライバーの途中の食事は? ガソリン代は? 高速料金は?

自衛隊もお役所の一つですから、いつでも使える現金などというものはどこも持っておりません。 予算を使う全てのことは、事前にしろ事後にしろ、会計法規に従って、会計部門が処理できるように、それを必要とする者が書類を整え、その結果 “現物”で受け取るか口座に振り込まれるか、業者などへ直接支払われるか、が基本になります。

災害派遣のように事前に書類申請をして受け取る暇がないような場合には、当然現場で立て替えての事後精算にならざるをえません。 では誰の、あるいはどこの現金で立て替えるのでしょう? 公務として動くにも関わらず。

もちろん、隊員たるドライバー自身に立て替えるさせるわけにはいきませんから、輸送任務を命ずる上司、あるいは部隊の誰かが何かの方法で取り敢えず隊員に現金を預ける、ということがほとんどでしょう。

しかしながら、もしその輸送を命じられた隊員自身に何かがあったり、あるいは領収書などを紛失してしまったりしたらどうなるのでしょう?

これは一例に過ぎませんが、全てのことに同じことが言えます。

そこで、私は災害派遣の詳報を起案した時に、これを海上自衛隊としての要改善事項の一つとして採り上げました。 正規の報告書が出来る前に転勤となりましたので、海幕担当課での検討結果を後から聞いたわけですが、その回答は

後払い制度があるのでこれを活用されたい。

これが海上自衛隊という公的組織としての正式な結論でした。 何とも情けなくなりましたね。 「危険を顧みず任務に邁進」 といのは、例え自腹を切りながらでもやれ、やらせろと言うことなのかと。

自衛隊は阪神淡路大震災の後、東日本大震災での大規模災害派遣を経験しましたが、このようなことは少しは改善されたのでしょうか? そうであって欲しいと願ってはいますが ・・・・



(3) 災害派遣の賞詞はどこから出る?


呉地方総監部の第3幕僚室長になってから、呉では災害派遣が続きました。 その中には林野火災で陸自と一緒になってのものも2回ありました。

その時、陸自では災害派遣が終了した早々に、ごく当たり前のように派遣で活躍した隊員に災害派遣の賞詞が出ました。

これを聞いて私もその都度賞詞の上申をしましたが、答えはいつも 「今回は止めておこう」 でした。 これが不思議でなりません。 自衛隊の任務としての活動の成果に対して、何の遠慮が必要なのでしょうか? しかも賞詞付与の対象には災害派遣の項が明記されているにも関わらず、です。

そしてこの阪神大震災です。 海上自衛隊を挙げての大規模災害派遣でしたので、詳報案に付してこの賞詞候補者の選定リストを作成して転勤しましたが、海幕のこれについての回答は次のとおりでした。

昭和60年の海将会議の申し合わせで、災害派遣の賞詞は、その年度の職務精励の賞詞の枠の中からその部隊ごとで出すこととされている。 今回もそれに沿って処理されたい。

これを聞いて唖然としました。 いつどのようなことで生起するか判らない災害派遣に対する賞詞が、淡々と定められた年度割当の職務精励の枠の中? 

しかも、阪神大震災は1月に発生して、一応の大規模な任務が終了したのは3月です。 各部隊にそんな職務精励の、それでなくとも元々がわずかな割当が残っているとでも?

転勤後でしたが、それを聞いてこの阪神大震災は呉総監を長とする海自派遣部隊として実施したはず。 それならば海幕が音戸をとって必要なところに賞詞を出すべきではないのかと海幕担当者に詰め寄ったのですが、全く受け入れられませんでした。

その一方で、その後阪神大震災で使用した仮設住宅の余剰分をトルコの大震災のときに海上自衛隊がトルコまで輸送しましたが、この時には輸送部隊総員に賞詞が出ました。 なにこれは、と思いましたね。

今回の東日本大震災では統合幕僚監部が当たりましたので、この海自のおかしな慣習は是正され、災害派遣で活躍して貰うべき隊員がちゃんと災害派遣の賞詞を貰ったんでしょうか?













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 最終更新 : 18/Jan/2015