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5-2.迷砲術長(後編)



結果論 としては、操作・運用上の不具合はともかくとして、上手く使いさえすれば、この無人方位盤を有する国産2型の射撃指揮装置と有人砲たる3インチ連装速射砲x2基の組み合わせという砲熕システムは、対空射撃、水上射撃の両方ともで 命中率が安定して良好 であったこともまた事実です。


それは、国産2型によりMk63を含むそれまでの海自の他の射撃指揮装置よりも遙かに安定した目標追尾と精度の高い射撃計算が得られることと、旧式有人砲4門による 適度な散布界とが程良くマッチング したことによるものと考えられます。


もちろん、その裏には射撃管制員長、掌砲長や各砲台長などの砲機調整・整合にかける並々ならぬ努力があったことは言うまでもありません。


当時の対空射撃は、航空機が長〜いワイヤーの先に 「スリーブ」 という吹き流しを取付て曳航し、これを目標として行われていました。 射撃指揮装置を換装してからの 「あまつかぜ」 は、訓練射撃の度に頻繁にこのスリーブを直撃して破損させるため、曳的機はその都度これを切り離して新しいものに交換しなければなりません。 つまり標的 “撃墜” です。


曳的機がスリーブを交換するには数十分間がかかり、その度ごとに訓練射撃が中断されて待たされることとなりますから、度々撃墜されてはたまらないと言うことで、そのうち 「あまつかぜ」 は群訓練での射撃の順番は一番最後に回されるようになってしまいました。 (^_^)


スリーブの至近を通過した弾は近接信管が作動して “有効弾” となりますが、元々対空射撃用の訓練弾には炸薬が入っていませんし、またスリーブも丁度鯉のぼりと同じように上下左右にかなりフラフラとしながら曳航されますので、これに直撃して撃墜するというのは大変に難しいことです。 このため昔はこの撃墜して切り離されたスリーブを海上で拾って記念のスコードロン・キャップを作ったりしたこともあったくらいです。


だからこそ、特別改造を計画する段階で、砲熕システムとしての有効なあり方をしっかり検討してそれを盛り込んでくれてさえいれば、訓練だけではなく、もしもの場合の実戦場面においても もっと能力を発揮できる良いシステムになっていたはず なのに、と残念でなりません。 せっかく射撃指揮装置を換装したのに、多少のお金をケチり、担当者達がやるべき努力を怠ったために ・・・・


そしてそのために私たち現場の者が日々どれだけ危険を感じながら使わざるを得なかったか・・・・



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国産2型の射撃指揮装置の良い点の一つとして、米海軍用の汎用ディジタル・コンピューターを使用していますから、目標の追尾や射撃計算のデータを非常に細かい精度で色々と自動的に記録できるようになり、これを射撃が終わってから出力して解析することがでるようになっていることです。 (もちろん、元はと言えば2型の開発中にメーカーの技術者が自分達用の試験データが採れるようにしたものですが。)


例えば、上でスリーブが上下左右にフラフラしながら飛行すると言いましたが、少なくとも第1護衛隊群では、私がこのデータを解析して初めて具体的な数値でもってその状態を把握することができました。


そこで私はこれに目をつけて、色々なデータの記録の取り方やその解析方法を考え、更にはディジタル記録が採れないデータはペン・レコーダーを繋いで射撃中にアナログ・データのまま紙に印画する方法を考えたりして、当たった時、当たらなかった時の原因を分析することにしました。 要は、出力したデータを組み合わせてグラフや図にし、そこから射撃の善し悪しを見ていくわけです。


次々とあれやこれやと要求する私に、射管長始め射管員全員が良く協力してくれて、必要なデータを上手く取り出す方法を一生懸命に考えてくれました。 こんな方法はメーカーが作った 取扱説明書などには書かれていません から、本当に努力してくれたと思います。


この データ解析によってシステムとしての特性や能力限界が良くわかり ますし、データの蓄積を進めていくと数値的に正確な統計確率上の話ができる ようになります。 例えば、それまでのデータを次回での対空射撃の実施要領に置き換えることにより、目標指示から捕捉まで何秒、目標捕捉距離いくら、射撃開始距離はいくらで、射撃開始から何秒で命中弾を得て、命中率何% ・・・ これらを確率何%で予期できる ・・・ という具合です。


ところが、これを群訓練の事前・事後研究会で発表しても、当時としては艦長、隊司令クラスなどにはほとんど判って貰えませんでした。 “お前の言っていることはごちゃごちゃした理屈ばかりでサッパリ判らん。 要するに当たるのか当たらないのか?” ということです。 しかし私も逆に “何でこの程度のことが判らんのか” と多少意地になって説明の方法を変えることせず、毎回同じ要領で発表しましたので、遂には 「迷砲術長」 なる名前を頂戴した次第です。 (^_^;



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射撃指揮装置のことに合わせて、「あまつかぜ」 砲術長として私が重点を置いたことに砲台の操法がありました。


何しろ、無人方位盤を有する国産射撃指揮装置と人力装填の有人砲との組み合わせですから、砲台の操法は、砲と射撃指揮装置との組み合わせによる特殊なことを必要としますので、現行の 『艦砲操法教範』 をそのまま適用することができません。


射管長や掌砲長、各台長などと頭をつきあわせて、少なくとも絶対に砲台員にケガをさせないことを必須条件として 「あまつかぜ」 だけの特別な操法を作り上げ、これが厳格に守られるように徹底した訓練をしました。 そしてそれで少しでも不具合があれば操法を手直し、それでまた再訓練をする、ということが続きました。


監督官達には、口で何度説明してもこの 「あまつかぜ」 の新しい特異なシステムの危険性を理解できないので、ある時彼らを呼んできて実際に目の前で、砲台員にはヘルメットに加えて特別に安全ベルトを装着させて、かつしっかりと物に掴まらせた上で砲台と射撃指揮装置を繋いで動かし、その途中で “わざと” 突然方位盤が思わぬ動きをする操作をして見せました。

こんな状態でも砲台員はヘルメットがずれ、思わず 「ウオッ!」 「ワァッ!」 という声が出る程にぶっ飛ばされました。 やって見せた私自身でさえ、もしこれが安全ベルトなど付けていない通常の装填操作の最中だったらと、ゾ〜ッとしたことを覚えていますし、何よりも砲台員自身が身をもって理解しました。


当時、第1護衛隊群では 「はつゆき」 型の配備が始まり、人力装填の有人砲を装備するのはさすがに 「あまつかぜ」 のみという状況になってきました。 したがって、射撃員達にしてみればこのような旧式砲を扱っていることで、多かれ少なかれ肩身の狭い思いをしていたことは事実です。


その上に更に射撃指揮装置の換装により、無人方位盤で振り回されるために大変な危険要因も加わったことになります。 砲台員の中には、それなら何でいっそのこと砲も換装しなかったのか、と不満に思う者がいたとしても不思議ではありません。


そこで彼らに自信を持たせる一つとして、港に停泊中や造船所に検査・修理で入っている時には、雨天時以外は毎日、朝の総員起床後に装填演習機を使っての装填訓練をやらせました。 造船所で自分の装填演習機を使えない時には、隣にいた練習艦 「かとり」 に借りに行ってまで。 「かとり」 にしてみれば貸したついでに手入れまでして貰えるのでいつも笑顔でOKでしたが ・・・


基礎的な装填法に始まって、砲手の装填動作が装填機の回転に間に合わない、いわゆる “歯抜け” になるまでの連続装填、そして最終的には装填不良をするまで体力が続く限り何発装填できるかの訓練までやりました。 もちろん、時々はポケットマネーで 「砲術長賞」 を出して。


掌砲長以下の古参の海曹達も、総員起床に間に合うように早めに家を出て帰艦し、積極的に若い砲台員達の指導に当たってくれました。 私も当時はまだ独身で (と言っても三十路はとっくに越していましたが)、かつ艦内居住でしたので、当然ながら毎朝顔を出し、掌砲長達と成績をつけたり、若い者にチャチャを入れたりしました。


早朝のまだ静かな港内や造船所内で、毎日決まってガッチャン、ガッチャンと連続した金属音の響きと若い者達の威勢の良い声がするので、結構見に集まってくる人もあり、「あまつかぜ」 名物 になりました。 それに毎回の訓練射撃では最新鋭の 「はつゆき」 型などを尻目にスリーブを度々撃墜する実績も伴います。 しかも常に出弾率100%、射撃速度発揮率ほぼ100%。 射撃員の士気は高かったと思っています。


そして、その年度の 「射撃術科優秀艦」 となったのはもちろんのこと、「あまつかぜ」 はその他の項目でも優秀艦のほとんどを独占し、「護衛艦隊年度優秀艦」にも選ばれました。


記録では、私の砲術長在任中に対空射撃を27回実施し、その内の 13回が “撃墜” となっていますから、ほぼ2回に1回はスリーブを落としたことになります。 また、水上射撃は17回実施し、その内の 最高命中率は45.8% となっています。 4門砲でこの成績ですから、この時はほぼ毎斉射ごとに半数の2発が有効弾となった換算になります。


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そんなこんなで、射撃指揮装置換装という特別改造に従事したことを考えても、砲術長としては長い、2年3ヶ月の勤務を終えて第1術科学校の砲術科教官として転出することになりました。


一応、換装工事に始まって訓練射撃での実績を作るところまで、この 海自唯一の特異な砲熕システムの “戦力化” の道ができた と考えましたので、心おきなくその職を離れることができました。 新配置がまたまた護衛艦砲雷長への補職で無かったことは残念ですが ・・・


何よりも安堵したことは、いい加減な換装計画による特異なシステムであったにもかかわらず、ともかくこれの運用においては砲台員に一人もケガ人を出さなかったこと、の一言に尽きます。


そして離任の日、射撃員及び射管員の総員からとして、記念の文字を刻んだプレートを付けた 「あまつかぜ」 の楯をプレゼントされました。 嬉しかったです。 これは今でも、そして私の生涯の、大切な思い出の品の一つです。









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最終更新 : 26/Feb/2012