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3-1-3.大陸横断旅行




 ハプニング生起


サンディエゴに移動後しばらくして、米海軍から私宛に1通の電報が届きました。 ITO変更の通知です。 


日本出発時に受け取った元々のITOでは、サンディエゴの後はカルフォルニア州メア・アイランド Mare Island にあるミサイル学校で、今回の留学の目玉であるターター・ミサイル課程を履修する予定になっていました。



( 元画像 : Google Earth より  サンフランシスコとの位置関係 )


メア・アイランドというのはサンフランシスコ湾の更に奥、サンフランシスコから北へ約50kmほどのバレーホ Vallejo というところにあり、海軍工廠あり、各種学校ありで、古くからの大規模な海軍基地として知られてることろです。


冷戦後の米軍の大規模な軍備縮小の一貫として多くの米国内基地が閉鎖されてきましたが、メア・アイランドもその対象の一つで、海軍工廠が1993年に完全閉鎖されるなど、元あった海軍施設は今ではほとんどが無くなり、広大な敷地は地元の再開発の対象となっています。


そして何よりも、サンフランシスコに近い。 既にサンディエゴで私有車は確保しましたので、休日の行動圏には十分入ります。 これが楽しみにならないはずはありません。


ところがです。 今回の私の留学生用 「新ターター幹部課程」 がそうである様に、米海軍の士官用のミサイル関係各課程の再編が行われているところで、このためメア・アイランドでの履修予定課程も更に変更が行われたたため、サンディエゴでの課程に引き続いての履修が不可能になってしまったのです。


そこで米海軍が指定してきたのは、換わりにバージニア州ダムネックにあるミサイル学校へ行けと言うことでした。 ただし課程開始は元々のメア・アイランドでのものより1週間遅くなるとのこと。


なんと東海岸ではないですか。 しかも課程開始が1週間遅くなると言うことは、サンディエゴが終わってから2週間 (土日を入れると実質16日間) の余裕があることになります。


やった〜、手に入れた私有車で西海岸から東海岸までゆっくり大陸横断旅行が出来ると言うことです。


アメリカに行かれた方でも、車で大陸横断のドライブをされた経験のある人はまずいないと思います。 しかも通常ですと4〜5日あれば横断できますが、今回は2週間も使えます。 こんな素晴らしいチャンスを逃す手はありません。


しかしながら問題が一つ。 そのヴァージニア州ダムネックってどこにあるの?


今の様に携帯電話などはありませんし、テレフォンカードなどはありませんから公衆電話は25セント硬貨を沢山用意して次々に入れなればなりません。 コレクトコールという方法もありますが、出てきたオペレーターによっては通話先が日本人の場合繋がらないことがしばしばあります。


したがって、ワシントンの防衛駐在官や、ましてや日本の海幕担当者に気軽に電話できる様な状況ではありませんでした。 そして困ったことに、サンディエゴにいる米海軍士官達でも東海岸のことはよく知らないようです。


因みに、防衛駐在官というのはいわば一般的に言う駐在武官のことですが、日本では防衛省から外務省へ出向となり一等書記官の肩書きとなります。 このため出向の間は毎年出される幹部自衛官名簿から削除されます。 即ちこの間は制服は着ていても自衛官としての先任序列はなくなると言うことです。

また職務上、駐在官から防衛省へ直接報告を送ることはできませんし、当然収集した軍事情報の電報など論外です。 したがって正式には駐在武官ではなく、単なる外務省のお役人扱いです。 こんなものです、日本の役人の感覚というものは。 はっきり申し上げて恥ずかしい状態ですね。


結局彼等が言うには、「多分ノーフォーク Norfolk の近くだろうから、そこを目指していけばあとは判るのでは?」  ノーフォークは皆さんご存じのとおり、ヴァージニア州にある米海軍の東海岸最大の基地のことです。 「うん、そうだよね」 と簡単に納得してしまった次第 (^_^)


さて、9月30日 (金曜日) 最後の課題のチェックをして修業。 BOQに一旦もどってから、AAA にいって加入手続きをし、ノーフォークまでの地図帳を作って貰ったり、めぼしい観光案内のパンフレットを集めます。 そして、BOQに帰ってから荷造りをして出発準備を整え、残ったワインやビールを飲みながらサンディエゴ最後の夜をノンビリ。


長距離ドライブに備えて、先ずは AAA (Americam Autobobile Association)、つまり日本の JAF に相当するところに加入することです。 この AAA の良いところは、JAF と異なり米国内の至るところに案内所兼の事務所があることです。 そして、最寄りの AAA に行ってどこからどこまでドライブしたいと言うと、そのルートに併せてカード式になった地図帳を作ってくれます。 ドライブ中にそのカードを順番にめくっていけば、間違いなく目的地に着くことができるようになっています。

この地図にはドライブ上必要になるルート上のガソリンスタンドやドライブ・イン、レストラン、ホテルなどなどがきめ細かく載っていますし、見所などももちろんです。 そして係員がそのカードに従ってルート上のことを事細かに説明してくれます。 ここの交差点にはこういう目印があるから、そこを左に曲がって、ルート何号線に入り ・・・・ という具合にです。 途中でルート変更したければ、行く先々で新しいものを作って貰えばよいのです。 これは便利でした。 こんなサービスはいまだに JAF にはありませんね。


( 当時の AAA のメンバーズ・カード )


翌朝、BOQを引き払い、荷物を全て車に積んで、いざ2週間のドライブ旅行に出発!




 サンフランシスコ 〜 ディズニー・ランド


まず旅行初日は土曜日ではありますが、ロスに寄って関係先へ出発の挨拶回りをして、そのままロス泊まり。 そして翌朝は行き先変更で遊びに行けなくなったサンフサンシスコへ向かいます。 やはり一度は見ておかなければ、と。


前話では休日のでのロス往復ではさも観光の時間が無かったかのように書いてしまいましたが、実は合間合間を縫ってある程度見るべきところへは行っているんです (^_^)

ビバリー・ヒルズ、サンタモニカ、リトル・トーキョーやチャイナ・タウン、ハリウッド大通り、等々かなりのところはそれなりに散歩したりしました。 ただ写真などが残っていないこともあり省略させていただきましたが、それぞれに楽しく、印象に残るところでした。


サンフランシスコに着いてまず宿を確保してから、早速明るい内に市内の散策です。 



   

( ちょっと色褪せていますが ・・・・  左 : プレシディオからの金門橋、右 : Twin Peaks からのシスコ市街 )


夕食は久々に日本食が食べたくなって、ガイドブックにあった小さな日本食堂へ行きました。 ここで近くのYWCAに宿泊中の日本人のお嬢さん3人とお友達になり、翌日は一緒に市内観光をすることに。


翌朝はYWCAまで迎えに行って、あちこち回ります。 有名な Lombard の Flower Street を下ってみるのも車だからこそです (^_^)



( 元画像 : Google Earth のリンクより  フラワー通り )


そしてIDカードがありますので、金門橋の袂にある、ショーン・コネリー主演の映画 「プレシディオの男たち」 でも有名になったプレシディオ陸軍基地 Fort Presidio の中も。 ここは今では閉鎖となり再開発されていますが、当時はまだ昔の要塞時代の面影が残されたところでした。


暗くなってからは、山上に夜景を見に行き、前日の日本食堂で夕食を摂ってから3人をYWCAに送ります。 残念ながら3人とはここでお別れ。


翌朝は往路とは違った道をロスまでノンビリと戻ります。  もちろん途中にある Moffet Field 海軍航空基地や Vandenverg 空軍基地に寄ることは忘れてはいけません。


ロス手前の Santa Barbara を通った時に、とある教会で結婚式を挙げていました。 私も実際に見るのは初めてでしたので、中に入って一番後ろの席に座って祝福をさせていただきました (^_^)


( 式が終わって、出てくる新郎新婦を待ちかまえる皆さん )


そして夕方、ロス郊外のアナハイム Anaheim 近くに宿を。 朝一番でディズニー・ランドを訪れるためです。


近くのレストランで軽く朝食を食べてから、いざディズニー・ランドへ。 平日でしたので、それほど混んではいませんでした。


で、それはもう童心に還って朝から夕方まで遊びまくりました。 なにしろあの “本家” ディズニー・ランドです。 そしてアトラクションは大人でも十分に楽しめる工夫がされていることに感心しました。


Bank of America が提供するタダ (当時) の “西部の酒場ショー” The Golden Houseshoe では大きな容器一杯のポップコーンをポリポリ、1リットル入りコカ・コーラをゴクゴクやりなが。 そして360度のスクリーンに映し出されるパノラマ館も圧巻。 “カリブの海賊” Pirates of the Caribbean や “海底探検” Finding Nemo Submarine Voyage などは2度も乗ってしまいました V(^_^)



     



 キャリコ 〜 死の谷 〜 ラスベガス


( 元画像 : Google Earth より )


ディズニー・ランドの次は AAA の観光地図で見つけたキャリコ Calico というところへ。 ここは西部開拓時代にあちこちにあった金採掘の町の跡で、いわゆる “ゴースト・タウン” の一つ。 そこがテーマパークとなっているとのこと。



   


( 元画像 : Google Earth より  キャリコの近影 )


キャリコに入る手前のモーテルで一泊し、朝一番で向かいます。 ここには砂金取り体験のコーナーなどがありますが、まあ1〜2時間も見て回れば十分です。 それこそ、小高いところに登って周りを見渡し、昔は (今でもそうですが) とんでもない僻地だったんだな〜、と言うことが判れば (^_^)


続いて “死の谷” Death Vallley と名付けられた国立公園に向かいます。 ところがここで大失敗。 幹線道路から別れて田舎道に入るのですが、この分かれ道のところでまだガソリン・メーターは3/4ありました。 燃費の良い日本車ですから、これだけあれば十分だろうと ・・・・ (^_^; 


未舗装の1車線の細い道をガタガタ辿って原野の草原中を延々と走っていきます。 途中で何か茶色い大きな動物が目の前をヒュッと横切りました。 多分ピューマか、コヨーテではないか、と。 慌てて開け放していた窓を閉め、エアコンをつけます。


すれ違う車も、前後に続く車も全くありません。 約2時間ほど走ると、最低地点の標識が。 Badwater Basin というところで、北米大陸で最も低い、海抜 −83mです。 その先は、はるか先まで続く白い塩の湖底。


今ではこの Death Valley は道も2車線の舗装道路になり、またあちこちに色々な施設・設備が出来、綺麗に整備されているようですが、当時はここ Badwater Basin も標識以外は何もありませんでした。 死の谷の中でさえ、確か建物が2〜3軒あるオアシスの様なところが中間付近に1個所あっただけだったと記憶しています。


( Badwater Basin から北側を望む )


途中まで走ってから、Dante's Veiw という小高い山頂に登ります。 ここからの見晴らす限り遙々と続く荒涼とした風景は、グランド・キャニオンに優るとも決して劣らないと思います。 素晴らしい眺めでした。



( 左端が変色してしまっていますが ・・・・  Dante's Veiw から北側を望んだところ )


ところが、ここを最後にして帰りかけたのですが、フッと気が付くとガソリンが残り少なくなっています。 しかも AAA でもらった観光地図には、近くには給油所どころか、村らしいところも全くありません。 陽も既に西に大きく傾いています。 う〜ん、困った(^_^;


ともかくスピードを30〜40kmくらいに落としてガソリンを節約しながら走ります。 相変わらず他の車には全く出会いません。


ガソリン・メーターは遂に “E” の線に来ています。 ・・・・ ガス欠になったら、このまま車の中で一晩過ごして、明日になったら車が通るのを待つか ・・・・ と半ば諦めながら走っていましたら ・・・・ 日が暮れた直後になって、8軒ぐらいの小さな村がありました。 給油所もある! 助かった〜


元の幹線道路に戻って、ラスベガスに向かいます。 家もなく、明かりもない、真っ暗な山道を登っていきます。 “闇夜” というのはこういうことか、と言うことが実感できるドライブでした。


そして山の頂上に登り切ったその瞬間、眼下に目に鮮やかな光り輝くラスベガスの夜景が広がります。 この光景はちょっと感動ものです。


残念ながら、ラスベガスは泊まってギャンブルをしている余裕はありません。 時間的にも、金銭的にもです (^_^;  ゆっくり流してネオン・サイン溢れる不夜城の街中をドライブで我慢です。 これがあの噂に聞くラスベガスか〜、と。


そして深夜を過ぎてからラスベガス郊外のモーテルに一泊し、これまでの強行軍を癒すために翌朝はゆっくり起きて、昼前に出発。




 フーバーダム 〜 グランドキャニオン


( 元画像 : Google Earth より )


さて、次は今回の大陸横断旅行の中でも目玉の一つ、グランドキャニオンです。


その前に、ラスベガスから93号線を走っていくと、1時間ほどで通るのがフーバーダムです。 私達の高校時代の世界史でもルーズベルト大統領によるニューディール政策の一つとして出てきたところですね。


これも良い機会と、道端に車を停めてしばし見学。 巨大と言えば確かに巨大なのですが、周りの景色も広大なので、ちょっと感覚的には分かり難かったですね。



   


さてグランドキャニオンですが、着いたのが日没時になってしまいました。 日が暮れていく明かりの中で刻々と姿を変えていく雄大な景色をゆっくりと眺めました。 昼間とはちがって、これはこれで素晴らしい大自然のショーでした。 感動ものです。


当たりが真っ暗となると、この Grand Canyon Villege にある沢山のロッジやキャビンに明かりが付き、宿泊客の楽しそうな話し声や、時として歌声が聞こえてきます。


一旦幹線道路の分かれ道まで戻って食事と宿泊。 そして翌朝、日出前に再度展望ポイントへ。 昨日とは逆に刻々と明るくなってゆくグランドキャニオンの雄大な景色を、ただただ黙って眺めます。 素晴らしいです。




( もちろん雄大な素晴らしい景色をこの2枚ではとても尽くせません )


そうしてそのまま昼頃までゆっくり堪能して、出発です。




 ダムネックへ


ここまでで1週間。 これから先はルート上、近くに特にはめぼしい見所はありませんでしたので、ただひたすらノンビリと周りの景色を眺めながらヴァージニア州ノーフォークへ向かいます。


グランドキャニオンから幹線道路のルート40号線に戻る途中、遠くに西部劇映画で有名なモニュメント・ヴァレー Monument Valley のあのそそり立った柱の群れが見えたのですが、地区に立入が出来るのかどうかもハッキリしませんでしたのでパス。 残念。


この米大陸の中央部は高い山脈などはありませんので、広々とした草原を延々と走り続けることになります。 一日走ってほぼ同じ景色です。 そして夕方になると適当な町のモーテルに泊まって、翌朝また出発します。



( 一日走っても全く変わらない同じ景色 )


それでも、それこそ日本人などは来たことがないのでは、と思われるような名もない小さな町に寄って、小綺麗なレストランで食事をしたり、洒落たモーテルに泊まったりで、これはこれで大変楽しかったです。


ある時は、とあるサービス・エリアのトラックの運ちゃんばかりの溜まり場のようなレストランで、濛々たる煙草の煙が充満する中で大きなTボーン・ステーキを頬張ったり。 また、田舎の林の中にポツンとある小さなレストランで、“Medium” サイズと頼んだピザが私でもとても食べきれない大きなものだったり。 どれも懐かしい思い出が沢山です。 う〜ん、未来の奥さんが一緒に居てくれたらもっと楽しい旅行になっただろうと (^_^)


そうこうしている内に、アメリカ中部のセントルイス St. Luis に到着です。 西部開拓時代は、ここから西、カルフォルニアまでがいわゆる “西部” だったその起点となる街です。



( 前方のアーチのところがミシシッピー川、川を渡れば “東部” です )


ノーフォークまでの最適ルートを確認に AAA の事務所に寄ったところ、ここでやっとダムネック Dam Neck なるところがノーフォーク郊外のヴァージニア・ビーチ Verginia Beach という夏は海水浴で大変に賑わう観光地の隣であることを確認。 カード式のルートマップをそこまでの新しいものに更新して貰います。


グランドキャニオンを出た後は、ルート40号線を アルバカーキ Albuqurque 〜 オクラホマ・シティ Oklahoma City、そしてルート40号線でセントルイスまで来ました。



( 元画像 : Google Map より )


そしてここの AAA のお姉〜さんのアドバイスに従って、ここから ルイスビル Louisville 〜 レキシントン Lexington 〜 チャールストン Charleston、そこから山道を通って リッチモンド Richmond へ抜け、ウィリアムスバーグ Williamusburg を経てノーフォークを目指します。



( 元画像 : Google Map より )


いずれも米国史上も有名なところばかりで、走りながら途中で目に付いたところに立ち寄りながらノンビリ・ドライブ。 それに、東に行くにつれてだんだんと西部とは違った景色になります。 この変化も楽しいところ。



( セントルイスの頃からは林や森が多くなります )


そして10月14日 (金) 午後、目的地のダムネックに到着。 最高の2週間でした。







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最終更新 : 30/Mar/2014