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3-1-1.イリノイ州グレート・レイクス




 グレート・レイクスへ


昭和52年6月30日 (木) の午後、羽田発のパンナム便でシカゴ・オヘア国際空港へ向けて飛び立ちました。 


で、早々に (私にとっての) ハプニング。 当時のアメリカへの太平洋横断ルートは、西海岸へは直通でしたが、東海岸へはまだアンカレッジで給油するのが普通でした。 私が海幕で航空券を受け取った時のパンフレットでもそうなっていました。


9時間近く経って、もうそろそろアンカレッジ到着かなと思って楽しみにしていましたが、一向に高度は下がりません。 飛行機は相変わらずどんどん進んでいます。


そこで不思議に思って、スチュワーデスさん (当時はまだこの呼び名でした) に 「アンカレッジはまだ?」 と聞いたわけです。 ところがその答えが、「お客様、本便からアンカレッジ経由ではなく、直接シカゴに飛ぶようになりました」 とのこと。


え〜っ、もっと早くハッキリ解る様に表示するなり、案内してよね〜。 まあ、羽田の出発前にもっと注意していれば気が付いたのでしょうが ・・・・ 何しろ生まれて初めての海外一人旅、余程気もそぞろだったんですね (^_^;


そして同じ30日の午後、無事シカゴ・オヘア国際空港に到着し、入国審査、税関も通過、荷物を持って到着ロビーの外に出ました。 アメリカだ〜! っと感じた瞬間です。


ところが、早くも次のハプニング発生です。 早速海幕教育課の担当者から聞いたとおり軍の定期便なるものを探しました ・・・・ が、探せど探せどその様な車も、またその様な停留所や案内板なども見つかりません。 近くにいた空港職員らしい制服の人に何人か尋ねましたが、誰も知らないとのこと。


う〜ん、どうしようか ・・・・ だんだん陽も西に傾いてきています。


そこで仕方なく、客待ちのタクシーの先頭から順番に 「グレート・レイクスという海軍の基地を知らない?」 と聞いて回ったわけです。


20台目くらいでしょうか、ドライバーさんが 「ここから30分くらい北のところに海軍の基地があるけど ・・・・ だけどそこがグレート・レイクスと言うのかどうかは知らないよ」 とのこと。


もうこうなっては、ともかくそこまで行って確かめてみるしかありません。 もし違っていても、そこでなら正しい場所と行き方を教えてくれるだろう、と。


藁をも掴む気持ちで、そのタクシーに荷物を積んで出発しました。 田舎道を走っていき、メインゲートらしきところで警衛の海兵隊員に確認して間違いなし。 料金50ドルを支払いましたが、後から聞くとどうやら少々ぼられたらしいです。 でもその時はそれどころではありません、ともかく日暮れ直前には目的地に着いたと言うことで。


大きなスーツケースをゴロゴロ押しながら警衛に教えて貰った学生受付の建物に。 もう通常の課業時間は過ぎていましたので、とりあえず受付でITOを示して到着した旨を告げ、BOQ (Bachelor Officer's Quarters、独身及び単身赴任士官用宿舎) と夕食のために士官クラブ (Officer's Club、通称 O'club) の場所を教えて貰い、入校手続きなどは明日 (金曜日) することに。


何はともあれ、無事に到着できて一安心です。 BOQに部屋を確保してから士官クラブで夕食を摂って、後はともかく今日は早めに寝ることに。




 NTC Great Lakes


着いた翌日、午前中に学生受付に行って入校手続きです。 様々な書類を作成し、その後フォト・ラボへ行って識別用の上半身写真を撮り、その写真で留学生用のIDカード (身分証明証) を作って貰います。


通称単に “ID Card” と呼ばれていますが、正式名称は The Armed Forces of United State Identification Card と言う軍の公式な身分を証明するもので、外国からの留学生にもこれの一種が発行されます。


このIDカードによって米軍の基地・施設への立入り時の許可証明となることはもちろんですが、これがあれば米国内では米軍人と同じように博物館などの公共施設の割引サービス (多くの場合無料) が受けられますし、パスポート不携帯 (用心のため通常は持ち歩きません) の場合にその代わりにもなります。


で、この日は入校手続きが終わればあとは他に用事はありません。 早速基地内の散策を。


Naval Training Center Great Lakes (現在は Naval Training Support Center と改称) はシカゴの中心部から北へ50kmほど、ワキガン (Waukegan) 市ノース・シカゴ地区のミシガン湖畔にあり、1911年創設の米海軍の代表的な訓練基地の一つです。



( 元画像 : Google Earth より  シカゴとの位置関係 )


ここは NTC という単一の学校ではなく、各種の術科学校の複合体で、Naval Station Great Lakes という広大な敷地の基地内に所在する一組織名のことです。 ちょっとややこしいので、詳細については下記のサイトを参考にして下さい。 (現在では当時と多少異なっていますが)


米海軍公式サイト :
     http://www.cnic.navy.mil/regions/cnrmw/installations/ns_great_lakes.html

ウィキペディア :
     http://en.wikipedia.org/wiki/Naval_Station_Great_Lakes


( 下が切れているのが残念ですが、当時配布された基地レイアウト図、上が西方向 )


( 元画像 : Google Earth より  現在の基地全景、当時とは建物の配置などが多少異なります )


南側には隣接してこれも非常に大きな海軍病院施設がありました。 傷痍及び退役軍人の長期療養施設ともなっていたようです。 ただここは現在ではかなり規模が縮小されてしまったようですね。


宿舎たるBOQは10畳くらいの個室で、隣接する2部屋でエントランス及びバス・トイレを共有する形になっています。 ただここは下士官兵の教育施設が主体のところで元々士官の数自体が少ないため、基地の規模にすればBOQの建物はそれほど大きなものでありません。


また隣接する士官クラブも週末の金曜日以外は利用者はいつも少なかったです。 流石に毎週金曜日の夜だけは、スペシャル・メニューの食事あり、ビンゴ大会ありなどで賑やかだったですが。


食事は士官クラブの食堂を利用して、ウェイトレスさん達のサービスを受けながらのちょっと気取ったものもいいですが、チップも含めてそれなりの (もちろん街のレストランよりははるかに安いですが) 出費が必要です。


手軽に済ませるなら下士官兵用大食堂 (Mess Hall) の建物の中に士官用の部屋が設けられており、ここも利用可能でした。 同じ建物の中ながら、この士官用のところは朝が1.5ドル、昼夜が3ドルと下士官兵の倍の値段でしたが、その分メニューもかなり違っていました。  


メインやサイド・ディッシュ、サラダも多くの種類が用意されており、しかも常に出来立てで味も悪くはありません。 もちろん飲物やデザート、それにスナック類も豊富な種類が揃っています。 士官クラブと違ってセフル方式ですが、逆にアイテムを見ながら好きなものを選んで好きなだけ、しかも何度でも取りに行って、気軽に気兼ねなく、かつノンビリ食事ができるのは良かったですね。 週末以外は大抵ここでした。


また、流石に大規模な学校群で学生・教官数も多いだけに、基地内には大小のPX (売店) が4個所にあり、特にメイン・ゲート近くは家族用の Cummissary と呼ばれる日用雑貨や食品、衣服、装飾品などの大きなストアーや別棟にはオモチャ売場もある大規模なものです。 夕食後は2日と空けずにどこかに顔を出して色々見て回るのも楽しみの一つでした。


当時のメインPXは現在よりもう少しメイン・ゲート寄り、現在 Navy Museum が出来ているところにありました。 このPXまでの、BOQから本部庁舎、Ross Field にかけての地区は創設当時の面影を残しており、絶好の散歩コースでもありました。 


( 元画像 : Wikipedia Commons より  創設当時のままの基地本部庁舎の近影 )


ただしシカゴに近いせいかは判りませんが、基地内の士官地区でも特に夜間は治安面であまり良い状態ではありませんでした。 着いた早々にBOQ居住の米士官連から 「君ね、隣の士官クラブに行った時でもトイレなどで決して一人になるなよ。 米士官でも最近小用の最中に後ろから殴られて財布を盗まれた例があるから」 と有り難い忠告を貰いました (^_^;


この時に貰ったもう一つの忠告は、基地の外を歩く時、財布の中とは別のところに10ドル札1枚を持っておくこと。 強盗はマリファナ1回分を買うためがほとんどなので、素直に10ドル出せばそれで命が助かる可能性が高くなる、ということでした。 幸いにして実際に強盗に遭うことはありませんでしたが、以後忠告どおり米国滞在中は常に10ドルを別にして持ち歩くようにしていたことは言うまでもありません。


ところでこのグレート・レイクス、私が行った夏期は湖側から風が吹く時はまあ涼しくて良いのですが、逆に陸風の場合は時として昼過ぎの気温が華氏100度 (摂氏38度) を優に越えることがあります。


当時は流石に米海軍施設と言えども冷房などは完備していない古い建物も多く、このため昼からの気温がこの100度を超えると予想される時は午後の授業は休みになりました。 暑い中を動き回らずに宿舎でゆっくり寝とけ、ということです。 その代わり、翌朝は1時間早い7時からの授業となります。


始めはこのことを知らずに、午後学校に行ったら誰もおらず、建物の入口が全て閉鎖されていて中にさえ入れない。 そして翌朝は普段どおりに出たら既に授業は始まっていた、ということがありました。 そうならそうで、早く教えてよね〜 (^_^;


余談ですが、私が入校した当時は、このグレート・レイクスにもイラン海軍の将兵が多数留学していました。 これは、パーレビ国王時代末期のイランが 「スプルーアンス」 級駆逐艦をベースにした強力な対空ミサイル駆逐艦 (後の 「キッド」 級) 5隻を米国に発注して建造中で、その乗組員養成のためです。 しかしながら、米国人とは習慣や気性などが合わないのか、そして人数が多かったこともあって、校内でもしばしば米水兵達と喧嘩騒ぎを起こしていました。

1年半後には革命が起きて王制が倒れたわけですが、この時まだ米国に留学していた多数のイラン海軍将兵はあっという間にいなくなってしまいました。 ほとんどの者が、特に士官と上級下士官はまず国に戻ることなく、そのままどこかに立ち去ったと聞いています。

また、建造中の駆逐艦5隻は当時最新鋭の原子力巡洋艦 「ヴァージニア」 級に匹敵する対空能力で、このため情勢不安となったイランを懸念して、米海軍が建造をわざと引き延ばしているとの噂がありました。 結局革命によって契約がキャンセルとなりましたので、米海軍がこれを購入して 「キッド」 級5隻として就役させました。 イージス艦が誕生するまでの間、米海軍における有力な対空兵力として存在したことは皆さんご存じのとおりです。 もしこれがイラン共和国の手に渡っていたら ・・・・




 FT A School


私が米国でまず最初に入校したのがここグレート・レイクスの FT A School (Fire Control Technician Class-A School) の Phase II (Digital) という課程でした。


ここの学校は、新兵教育隊 RTC (Recruit Training Center) での入隊教育を終えて、ミサイル又は砲熕武器の特技に進むべく指定された者が入校するところです。 11週間の Phase I 課程 (電気、電磁気、電子工学の基礎) に引き続き、14週間の Phase II 課程 (レーダーやコンピューターの基礎) の教育を受けますが、(Digital) というのはその最後の5週間です。


米海軍の志願兵は、入隊時に4年勤務か6年勤務を選択します。 4年勤務を選んだものは新兵教育 RT (Recruit Training) を終わると一旦部隊に配属された後、順次選抜されて指定された特技の A School で基礎的術科教育を受けます。 そして特別なことがない限り海軍での教育はこれで終わりで、あとは艦艇などでの部隊勤務です。

6年勤務を選んだものは、新兵教育に引き続き全員がそのまま指定された特技の A School で基礎的術科教育を受けます。 そして更に C School に進んで具体的なそれぞれの担当武器・機器に関する専門教育を受けた後、初めて艦隊に配属されます。

しかもこの6年勤務の者は A School の Phase I 課程修業時に、早々に下士官たる3等兵曹 (Petty Officer 3rd Class、PO3) に昇任します。 もちろん A School では4年勤務の者と6年勤務の者とが1つのクラス内に一緒になることはなく、別々のクラス編成です。

4年勤務の場合は、任期が終わると部隊長推薦を受けての再任用などでない限り下士官に昇任することなく、水兵のままで退役します。 6年勤務ならばそのまま引き続き海軍に残ることもできますし、退職して民間に移ることもできます。

民間に行く場合は、海軍で専門教育を受けていますので、それだけ再就職が有利になることは言うまでもありません。 つまり端的に言えば、4年か6年の選択は雑役兵か専門兵かの分かれ道になるということです。


5週間も水兵さん達と一緒に机を並べて改めてディジタル基礎を学ぶ必要があるのか、ということですが、まあ留学生用の語学課程を出ていない者に英語での授業と米国での生活に慣れさせるためということです。 その意味では確かに私にとっては有益な期間であったと思います。


授業そのものは今更という内容ですので全く問題はなく気は楽ですが、水兵さん達の中に外国の士官が一人入っているというのも、見かけとしては不思議なことかもしれません。


そして、この5週間では当然ながら私が成績トップの “エース” を取ってしまったわけですが、彼等にとっては FT A School 最後の5週間に突然として加わった外国士官にこの “エース” を取られてしまったので、狙っていた者にとっては納得がいかなかったかも。


ただ、クラスメートは皆明るく陽気な、気の良いヤンチャばかりで、侵入者の私を快く仲間として受け入れてくれました。 そして、修業直前には夕方から皆で揃って近くの公園に行って卒業記念バーベキューをやり、飲めや歌えや踊れやのドンチャン騒ぎをしたのは良い思い出です。 楽しい5週間でした。 (この内の数名とは、後に私の最後の課程であるミサイル学校で再会することになります。)



( 修業記念写真 )


( 課程修了証書 )



 グレート・レイクスでの休日


留学の目的はもちろん米海軍の学校での知識の修得にあることは間違いありませんが、やはり外国で生活する以上その国について実際の見聞を広めることは例え海上自衛官としてであっても当然のことです。


ということで、自分なりに積極的に動くことにしました。 特に休日は。 5週間のグレート・レイクス滞在中においては、次の2つのことは外せないでしょう。 私にとって大変に思い出深いものです。



  1.ナイアガラの滝


既に書きました様に、グレート・レイクスに着いたのは木曜日で、翌金曜日は入校手続きなどを行いました。 通常ですと土日を挟んで月曜日から授業が始まるわけですが、ところが月曜日の7月4日は米国の独立記念日で祝日ですので、いきなり3連休です。


着いたばかりで、まだ右も左もほとんど判らない状態ですから、“さて” と思っていましたら、別の課程に入校中の海自の技術幹部3名と技官1名が私の到着を聞きつけてBOQの部屋に訪ねてきてくれました。


来週修業で帰国となるので、留学の思い出にレンタカーを借りて一泊二日でナイアガラの滝に行くので一緒にどうか、とのお誘いがありました。 もちろん私に断る理由などはありません、即答で “是非”。


その日の内にレンタカーを借りておき、翌土曜日の朝皆で出発です。 初日はナイアガラの近くまで行くだけですから、ノンビリ・ドライブ。 デトロイトからカナダに入ります。 


当然カナダへ越境するには入国審査がありますので、公用旅券にはスタンプが。 帰国後に海幕教育課へ旅券返納に行った時、担当者は笑いながら 「留学生が勝手に指定国以外へ行ってはいかんな〜」 と。 規定はともかく、グレート・レイクスに留学した者はほとんど皆一度はナイアガラに行くのが恒例になっていたようです (^_^;


その日の夜はナイアガラ近くの名もない様な小さな街のモーテルへ。 安くあげるために5人で一部屋としましたが、ここで問題発生。 一階の表通り面した部屋でしたが、ドアのロックが上手くかからないことに後で気が付きました。 別の部屋に替えて貰うことも考えましたが、もう深夜でしたし、5人いれば何とかなるだろうということでそのままこの部屋に泊まることに。 ただし、念のためにドアの内側に家具を積み上げて外から入れない様にしたことは申し上げるまでもありません (^_^)


翌朝はいよいよナイアガラの滝へ。 カナダ側から眺めたり、遊覧船に乗って滝の下まで行って飛沫を浴びたり。 ( この遊覧船で貸し出すレインコートのフードが、強烈に汗臭いのには閉口しましたが ) そしてカナダとアメリカを繋ぐ国境の橋 Rainbow Bridge の上から眺めたりと、十分に堪能しました。



( カナダ側からナイアガラの滝をバックに )


ところが、いざ帰るとなった時に大問題が発生。 そうです、カナダからアメリカへ入国するのはフリーなのですが、逆にアメリカからカナダへ入るには入国審査があるのをすっかり忘れていました。 そして、橋の上はカナダの外!



( 元画像 : Google Earth より  赤丸がナイアガラの滝、緑丸が国境の橋 Rainbow Bridge )


実際、カナダ側から橋の上に行くにはゲートも何もありませんので、全く気にせずにそのまま歩いて橋の上に出たのですが、戻る時に橋の袂にあるカナダ側検問で 「パスポート、プリーズ!」  さあ大変です。 皆パスポートはカナダ側の駐車場に停めた車の中、誰も持って出ておりません。


結局すったもんだあった末に、財布の中に入れていたIDカードを見せて、一人だけ駐車場まで行かせてくれれば車から全員のパスポートを持ってくるから、と交渉して受け入れて貰いました。 これで何とか無事カナダに再入国。


復路はアメリカ側に出てクリーブランド経由のノンビリ・ドライブを続け、その日の深夜にグレート・レイクスに帰りました。 思わぬところで軍のIDカードの信用が役に立ちました。



  2.シカゴ市内散策


上の様に到着早々ナイアガラの滝まで行きましたが、5週間中の週末は主として近郊のワキガン市内やミシガン湖湖畔の散策が中心でした。 あとは隣室の韓国海軍留学生の白中佐と一緒にテニスをしたり、ご主人が基地勤務の日本人の奥さんから家に招かれて一家でのバーベキューを一緒に楽しんだりと、結構ノンビリと過ごしました。


余談ですが、この隣人の白中佐、他に同僚がいなかったこともあってか、平日の夕方と言わず週末と言わず、しょっちゅうテニスに誘ってくれまして一緒に汗を流しました。 気さくな良い人でした。


( BOQの入口前で白中佐 (右) と )

それはそれで良かったのですが ・・・・  先にもお話しした様にここのBOQは各区画の入口の先がバス・トイレなどがある共有スペースで、その先の左右に個室がある形になっています。 ところが、この白中佐、部屋にはキッチンの設備は無いのですが、何故か士官クラブや食堂にはほとんど行かずに、電熱器など簡単なものを用意して朝昼晩の3食を自分の部屋で自炊していました。

そして韓国人ですので、その料理はニンニクなどの臭いが強烈なものが多く、その臭いが時々隣室まで流れてきます。 このため米士官連は彼の隣室になるのを嫌がることになり、どうもBOQのマネージャーが日本人なら良いだろうと私を隣室にしたようです (^_^)


さてグレート・レイクスでの5週間が終わると、次はカルフォルニア州のサンディエゴ (San Diego) に移動です。 課程最終日の金曜日は午前中に最終テスト、午後からクラスの記念写真撮影やテキスト返納などを行って修業。 移動は日曜日の航空便を予約しましたので、後は土曜日一日が残りました。 そこで、この折角の機会を逃してはと、シカゴまで行ってみることに。


まだグレート・レイクス期間中は車の用意はしていませんでしたので、シカゴへは基地裏ゲートを出たところにあるノース・シカゴ駅から鉄道で向かいます。 二階建ての小綺麗な客車で、全車両ほぼ満員。 シカゴまで30分くらいだったような記憶があります。


ふ〜ん、これがアルカポネで有名なシカゴか〜、とか思いつつ近代的なビルが建ち並ぶ小綺麗な街並みをブラブラ散策しながら、目当ての博物館に向かいます。


シカゴに来てまで何で博物館? と思われる方もおられるかも知れません。 シカゴにはご存じのとおり市内のあちこちに大小様々大変多くの博物館がありますが、実はその中の代表的な一つ、「シカゴ自然史博物館」 (Feild Museum of Natural History) でたまたまツタンカーメン展を開催中でした。



( 元画像 : Google Earth より  シカゴの中心部 )

上の写真の中央部がシカゴの中心、高層ビルが建ち並ぶダウンタウン。 右下の赤印が 「シカゴ自然史博物館」、その隣の緑印が 「シェド水族館」 です。

( 元画像 : Wikipedia Commons より  同博物館の近影 )


日本でも1965年に東京と京都でこのツタンカーメン展がありましたが、残念ながらこの時は見ることが出来ませんでした。 そこでこの機会にと思ったわけです。


そして例のIDカードの出番です。 シカゴでもこのツタンカーメン展は大変な人気で、チケット売場の外には300人くらいの長い行列ができていました。 それを横目で見ながら入口へ行き、IDカードを見せるとフリーパスです。 やった〜!


ツタンカーメン展はやはり大変に素晴らしかったですが、ここの常設展示も色々工夫がなされていて面白かったです。 もちろん有名なティラノザウルス 「スー」 の全身骨格も間近に。



( 元画像 : Wikipedia Commons より )

この骨格、ご存じの方もおられるかも知れませんが、私が訪れた当時はそれまでの定説どおりに尻尾を地に付けて立ち上がって歩く姿で飾られていました。 しかしながら、その後ティラノザウルスはこの写真に見られるような姿で動き回っていたことが研究者の新たな定説となりましたので、現在ではそれに沿ったものになっています。


そしてもう一つが、隣にある 「シェド水族館」 (Shedd Acuarium) です。 最近の日本の水族館に見られる様な派手さはないものの、世界最大級の屋内型水族館で、展示にも工夫がなされており、しかも結構珍しい魚類や海洋生物が飼育されていましたので、十分楽しめました。 もちろんここもタダ。



( 元画像 : Wikipedia Commons より  同水族館の近影 )


   

( 自然史博物館及びシェド水族館前から市街中心部を )


周辺は大きな公園やマリーナなどで非常に広々としていて景色もよく、ノンビリ散歩するには最適です。 日が暮れるまであちこちブラブラしてから、また列車でグレート・レイクスに戻りました。


これでここの5週間は終わりです。 米国生活への導入として大変に有意義で楽しかったですし、ここでの見聞も良い経験と思い出になりました。






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最終更新 : 23/Mar/2014