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2-1-4.勤務学生、勤務学生で過ぎた1年



 勤務学生1:前期校旗旗手


晴れて最上級生の4学年になりましたが、指導教官から前期の校旗旗手をやれ、と。 え〜っ、私は短艇委員会のマネージャーで、5月には防大主催の全日本がありますので忙しいのですが、と言いましたが、“入校式での観閲式などパレードの時に校旗を持つだけだから” と押し切られてしまいました。


で、何かある度に前の日に3年生の校旗護衛3名を連れて普段は校長応接室に飾ってある校旗を借り出してきて自習室に置きます。 この年の前期は、パラグアイ大統領の来校などもあり、結構出番がありました。





ただ残念ながらこの時の校旗旗手として公式行事での写真は、私の手元にあるのは次の1枚のみです。


通常、国旗と校旗は右手のみで保持するのが基本ですが、この時は風が結構強く、隣の国旗旗手と話しをして両手で保持しようと。 しかしながら、それでも重い校旗は風に流されて・・・・(^_^;


( 第20期生の入校式の観閲式にて )


 全日本カッター競技大会


5月21日(日)、全日本カッター競技大会が防大主催で馬堀海岸において行われ、結果は見事に優勝、全日本初の6連覇を成し遂げました。


ただ、残念ながら私はマネージャーとして後方の大会本部地区での運営に関わっていましたので、レースはもちろんのこと、開会式、表彰式ともに見ることができませんでしたが。



( 馬堀海岸での開会式 プラカード・ガールは大津高校のお嬢さん達 )


( 表彰式で優勝の賞状を受ける主将の高橋君 )


 
( この時作って各校に配った大会参加賞  表・裏のデザインは同期の森本君 )


そして、日を改めて短艇委員会の17期メンバーと指導教官との記念撮影。 これをもって17期は18期に政権を譲って引退です。



( 前列中央が主将の高橋君 )

ちなみに、主将の高橋君は短艇委員会を全日本6連覇に導くだけあって、指導力、実行力に優れ、遠洋航海後は私と同じ艦艇職種に進みましたが、大変立派な船乗りになりました。 同期ながら流石と思います。


 海軍記念日


5月27日は言わずとしれた元海軍記念日。 この年は土曜日で休日ではありませんので、4学年海上10班で相談して総員が2隻のカッターに分乗して早朝に記念艦三笠まで往復することに。 


これまでやったことが無いと渋る海上の指導官達を説得して “この日に三笠詣でをしなければ海上10班の名が廃ります。必ず朝食時間に間に合うように頑張って漕ぎますから” と(^_^)



 
東郷元帥像をバックにして 三笠艦上にて


 アナポリス生徒来校


7月の定期訓練が始まる前と記憶しています。 米海軍兵学校(アナポリス)の4年生3名が防大研修(というより見学)に訪れました。 そしてこの3名を2大隊の海上10班で面倒をみることに。 


学生舎で一緒に寝起きし、記念艦三笠や観音崎、久里浜などの見学をして、最終日は共済組合の「走水クラブ」の庭でパーティーを。 3名とも大変気さくな人物で、私達海上10班の4学年も楽しい数日を経験させてもらいました。



 
記念艦三笠 久里浜 ペリー上陸記念碑

 
走水クラブでのパーティー  彼等もこういうのは好きなようです


 夏期定期訓練


7月から8月上旬にかけては例年どおりの全校全学年の夏期定期訓練が行われました。 私達海上要員4学年は、前半が短期間の校内訓練を行った後に乗艦実習、後半が航空実習で、江田島での海技訓練はありませんでした。


  (1) 校内訓練

最初の校内訓練ですが、これはこれまで毎年天測訓練のために第1輸送隊の輸送艦(LST)に分乗して硫黄島付近まで往復するものでしたが、この年は輸送艦側の都合か何かは忘れましたが中止となり、急遽校内訓練に変更となったものです。


7月10日(月)〜14日(金)の5日間で、本来の天測訓練のほか、帆走、旗旒・手旗、水泳などでした。 そして15日(土)は乗艦実習のための移動準備です。


因みに、輸送艦による天測訓練ですが、2・3学年の時は上級生から、Large Slow Target と噂される揺れが酷く乗り心地の悪いことを寝物語にも散々聞かされてきましたので、この年は中止になったとのことでホッと一息。 とは言え、4学年にもなると天測以外の項目は定期訓練としては既にあまり面白味がありませんでしたが(^_^;


 

  (2) 乗艦実習

この年の乗艦実習は、呉の第22護衛隊(みねぐも、なつぐも、むらくも)3隻に分乗して、同じく呉の第8護衛隊の2隻(いそなみ、しきなみ)と共に訓練を実施しつつ佐世保まででした。 私は、「なつぐも」実習組。 「なつぐも」実習組は44名、「むらくも」組は43名でしたが、「なつぐも」組は司令護衛艦であったこともあり半分の20名。 したがって、航海中の実習にも余裕がありました。


7月17日(月)に鉄道便にて呉に移動して乗艦しました。 ただし確か「むらくも」は行動の都合で呉入港が翌18日(火)になるとかで、「むらくも」実習組は1日遅い18日防大出発だったと記憶しています。 


そして乗艦時から7月25日(火)までは停泊実習。 この停泊実習中のことは全く記憶に無いのですが ・・・・ ただし、空いた時間で呉の桟橋付近をウロウロしたことは覚えております(^_^)


26日午後、8護隊の2隻と共に呉を出港、豊後水道を南下して太平洋に出て、翌27日午前L海面に進出して対空(スリーブ)射撃、午後は潜水艦と会合して実艦的対潜訓練、夜間に「はまな」と洋上給油、28日は午前 DASH 飛行訓練、午後は海空訓練、戦術運動、水上打撃戦を行って、そして29日朝、8護隊と22護隊揃って佐世保に入港しました。 


乗艦実習中に撮影した艦船写真などは 『現代戦講堂』 中の 『懐かしの艦影 戦後編』 に掲載しておりますので、そちらをご覧下さい。


 
夕暮れの呉港 こういう時もありました

 
「なつぐも」の対空射撃 「しきなみ」の対空射撃

 
「なつぐも」 DASH 飛行訓練

 
ハイライン訓練で「なつぐも」に近接する「むらくも」

 
戦術運動訓練 1

 
戦術運動訓練 2

  (2) 航空実習

29日(土)朝、佐世保に入港し乗艦実習を終えて退艦した私達は次の航空実習に向かいますが、それぞれの希望によって4個所に分けられました。 鹿屋(1空群)、八戸(2空群)、徳島(3空群)及び下総(4空群)ですが、鹿屋と徳島は佐世保から鉄道便、そして八戸は大村まで基地業務隊の車両、下総は大村まで鉄道で行ってそこからそれぞれ YS-11 便です。


私は八戸組ですので、4個所の内最も遠いので佐世保も最も早く出発。 大村〜八戸の YS-11 は直行でしたので、定期便の利用ではなく、私達35名のための特別便だったと思います。


航空実習は31日(月)から8月3日(木)までの4日間。 で、八戸に着いた翌日の30日は日曜日ですので私達もフリー。 皆で奥入瀬〜十和田湖の散歩に。



 
奥入瀬 おばさん像と定評のある乙女の像(^_^)

航空実習の4日間は、座学による航空部隊の概要説明に続き、基地内の各部の研修。 そして最終日は、数名ずつに別れての体験飛行。 私の搭乗機の機長は、結構色々気を遣ってくれて、大変面白く楽しいフライトでした。 そして復路では私達に短時間ずつ操縦桿を握らせてもらいました(^_^)


機首の偵察員席は眺めとしては特等席ですが、下がパイプしかありませんでスケスケですので、高度恐怖症にはちょっと(^_^;



 
P-2V の操縦桿はジョイスティック 大湊基地上空

 
尻屋崎灯台 機首の偵察員席は特等席(^_^)

2AW研修記念に、わざわざ私達防大17期生のために P-2J 4717号機を選んでくれて記念写真を。 こういう配慮は嬉しかったですね。



( 2AW司令始め防大実習生指導担当の幹部達と揃っての記念写真 )


因みに、この機を選んでくれたのが前列向かって最左翼、部隊側の指導官であった仲摩1尉(当時)。 17期生は、この翌年に幹部候補生学校の分隊長、引き続いて遠洋練習航海での「かとり」副長付として面倒をみてもらいきました。 そして私個人としては、阪神淡路大震災の時の阪神基地隊司令(将補)としてご一緒し、またその後教育集団司令官(海将)としてもお世話になりました。 既にお亡くなりになられたのは大変残念なことです。


帰りは今度は航空便ではなく、8月3日(木)深夜、八戸から鉄道便(急行十和田4号)で、4日(金)の昼前に横須賀駅から防大のバスで帰校しました。 そして夏期休暇へ。



 夏期休暇


短艇委員会は5月の全日本大会後に3学年の18期生に譲って引退しておりますので、定期訓練後の夏期休暇はまるまる休みです。 そこで、さて防大最後の夏休みをどう過ごすか? あれこれ考えている時に、同室の3学年と隣の221小隊の陸の4学年同期から、後半に北海道の帯広でバスケットボール部の合宿があるので、それまでの間北海道旅行をやるけど一緒にどうか、と誘われました。


旅行とは行っても、周遊券を買って、寝袋一つ持って野宿しながらの気まま旅とのことです。 当時大学生などの若い人で流行ったいわゆる “カニ族” です。 卒業後はノンビリ旅行など期待できませんので、もちろん二つ返事でOK。


一旦実家に戻って準備をしてから二人と合流し鉄道で北海道へ。 確か青函連絡船で函館に着いた後、この函館を見学すること無しに、最初の野宿地、大沼に行った記憶があります。


そして、大沼 → 昭和新山 → 札幌 → 稚内 → 礼文 → 利尻 → 層雲峡 → 阿寒湖 → 網走 → 小清水原生花園 → 知床 → 屈斜路湖・砂湯 → 摩周湖


ここでバスケ部の合宿に向かう二人と別れて、後は私の一人旅。 摩周湖 → 根室 → 尾岱沼・野付半島 → 襟裳岬 → 札幌 → 小樽 → 積丹岬 → 札幌 →(函館・青函連絡船)→ 東京、・・・・ だったと記憶していますが ・・・・?


この時の北海道旅行は最高でした。 同期の大塚君、18期の森君、素晴らしいチャンスをありがとう。 自由気まま、日頃の束縛なし。 そして行く先々で出会った人達も大変親切で良い人ばかりでした。 それに、稚内、根室、小樽などの駅員さん達、お世話になりました。 楽しかった一生の思い出です。



 
最初の野宿地 大沼

札幌 観光バスに乗って

 
礼文島 桃岩 礼文島散策

 
礼文島 地蔵岩 礼文島 同宿のお嬢さん達と

 
利尻島 ペシ岬 見知らぬお嬢さんと一緒に(^_^)

 
層雲峡 層雲峡 レンタサイクルで

 
阿寒湖 マリモセンター 阿寒湖 アイヌ村

 
言わずと知れた網走刑務所 同左 正門前

 
当時でも珍しくなった蒸気機関車 借り切り〜

 
知床岬 天候不順でここまで 知床岳

 
復路でメバル釣り このあとカモメの餌に 勝手知ったる

 
屈斜路湖 川湯硫黄山 同 左

 
屈斜路湖 砂湯 夕食と朝食、ご馳走になりました

 
霧ではなく、快晴の摩周湖 同 左

ここからは一人旅の分 →  
根室 納沙布岬

 
尾岱沼の遊覧船 トドワラ

 
この風景は今ではかなり変わってしまった? 野付半島遠望

 
襟裳岬 同 左

 
積丹半島 積丹出岬 同左 積丹出岬灯台 


 勤務学生2:中期中隊学生長


夏期休暇に入る直前になって指導教官に呼ばれ、中期の第22中隊学生長に指名されました。 これまで学生長付などは全くやったことが無いのですが、何故突然として4学年の中期に中隊学生長勤務なのか? おそらく、中隊の他の4学年は皆秋季の部活等で忙しく、私は既に短艇委員会は5月で引退していますので、指導教官達から “最も暇なやつ” と思われていたのでしょうね(^_^)


しかし、中期の学生長勤務は通常の学生舎での職務に加えて開校祭での観閲式や神宮外苑での自衛隊記念日観閲式などのパレードがありますので、それの訓練のために結構忙しいのです。 学生長勤務となると、これまでのように “パレ免” (パレード免除)というわけにはいきませんし(^_^)


で、晴れて自衛隊記念日行事での中央観閲式に。 神宮外苑での観閲式はこの年が最後となり以後朝霞に移りましたので、その意味でも良い記念となりました。



( 中央観閲式での第2大隊学生隊 )


 
開校祭にて おまけの写真(^_^)

 勤務学生3:後期第2大隊幕僚


で、中期も終わる頃になって指導教官から、“後期は大隊幕僚をやってね”  “え〜っ、前期と中期に続けて勤務学生をやりましたけど、後期までと言うのは例がないのでは?” と反論しましたが、“いいじゃないか、君が一番暇そうなんだから” と(^_^;


で、まあいいか、卒業前だから観閲パレードなどはないし、特に忙しいこともないだろう、と思って引き受けたのが間違い。 大隊の厚生関係をやらされましたので、大隊4学年として在校生に卒業の記念品を選定して残していくことまで。


まあこれは、独断と偏見と、もう置く場所も無いのにとの反対を押し切って(^_^)、各中隊に脱水機能付きの洗濯機を数台ずつ。


その代わり、陸上要員の大隊学生長に強行に申し入れて、後期は絶対に大隊非常呼集訓練だけはやらせないと(^_^)


結局、4学年は前期、中期、後期と続けて1年間全て勤務学生をやりました。



 卒業旅行


正確な日にちは覚えていませんが、卒業も近くなった週末、222小隊の海上4学年で揃って伊豆方面に卒業旅行に出かけました。 確か修善寺の宿に一泊して、あちこちを散歩したと。 これから幹部候補生学校に一緒に行くことになる気心の知れたメンバーですので、大変楽しく、良い思い出になりました。



 


 


 卒 業


最後の学年末試験と卒業研究の発表が終わると、いよいよ卒業です。 卒業を目の前にしてみると、防衛大学校での4年間は長かったような、短かったような。


卒業直前に第17期生総員の記念写真。 ただ残念ながら、この中からかなりの人数が任官しませんでしたが(^_^;





卒業式は、現在の大講堂は当時ありませんでしたので体育館で。 最後に元後期学生隊学生長の “卒業生、解散!” の掛け声と共に、伝統行事である帽子を一斉に投げ挙げて退場。





投げ挙げた帽子を含め、着ていた制服一式は返納しなければなりませんので(現在では希望する者には払い下げるようになったようですが)、この帽投げの前に帽章を外してポケットに。 4年間、週末の外出の前の晩、そして月曜朝の容儀点検に備えて日曜日の夜、ピカール(金属磨き)で一生懸命ピカピカにした思い出の品ですから、せめてもの記念に。

そして学生舎に戻って候補生の制服に着替えた時には、襟章と学年識別章も外します。 これらもいつもピカピカにしましたが、帽章と同じでそのまま制服に着けて返納しても、結局廃品の鉄屑として処分されてしまうだけですので、これではちょっと淋しいかと。

この時のものを段ボール箱から出して約半世紀ぶりに少し磨いてみました。 往年の輝きはちょっとではとても出ませんが(^_^)




17期卒業生は陸・海・空の候補生の制服に着替えて、陸上競技場に在校生が整列するその前に並んで、総理大臣の任命と任官者の宣誓、そして在校生による観閲パレードです。


因みに、確か当時の任官拒否者は体育館での卒業式の後、学生舎で私服に着替えて、そのまま裏門から退校したはずです。


その後、在校生や職員が本館前から正門まで並んで見送りする中を退校します。 中には正門の外で在校生が卒業生を胴上げする運動部なども(^_^)



海自は私達の卒業時から現在でも続いている新しい幹部候補生の制服に替わりました。 新制服は夏には制定されていたのですが、実際にこれが支給されて着るのは私達が初めてでした。



 
卒業式典を終えて 我が家に帰って

この新制服でちょっとゴタゴタが。 新しい候補生の制服には一等海曹(当時)の階級章はつけません。 ところが指導官達は “いや、袖章は候補生識別章なので、階級章は従来どおり左肘につけるべきだ” と言い張って聞きません。

“では夏服はどうするのですか、候補生肩章をつけて、更に袖に一等海曹の階級章を? おかしいでしょう” と反論したのですが ・・・・ そんなことは海幕総務課文書班(服制担当)に確認すれば一発で解決することなのに、誰もやろうとは。

結局、卒業式後の任命・宣誓式では階級章をつけるが、あとは各自で好きなように、という責任逃れと言える極めておかしなことに。 そこで私達は、1等海曹の階級章を糸で数カ所仮止めして、終了後に皆でベリッと剥がすことに。


( この時剥がした記念の階級章。 裏側の上2個所と下1個所に仮止めの糸が残っています )



3月21日(水)の春分の日に内閣総理大臣を迎えての卒業式。 4年間の小原台に別れを告げました。 その後4月5日(木)の幹部候補生学校着校日までの休暇です。







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最終更新 : 12/Apr/2020