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19世紀末に戦艦主砲の口径が小さくなった理由



  論    点


  多田氏 :

砲塔重量が過大であり (16.25インチ単装砲 =110トン、13.5インチ=67トン)、また砲身寿命が短く発射速度も低いということから、1895〜98年に9隻竣工した新型戦艦 「マジェスティック」 Majestic級 (常備排水量1万4560トン) からは主砲として12インチ連装砲 (Mk [ 46トン) を標準的に採用するようになった。

( 『軍事研究』 H17.11 p100 )



  遠藤氏 :

この時は無煙火薬という新型の火薬が装薬に採用されて長砲身の大砲が開発されたので12インチ砲に戻ったのであって、砲身寿命や発射速度の関係ではない。

( 『軍事研究』 H18.1 p190 )




  解    説


本項をご説明するには、大砲の発達の歴史をご理解いただかなければなりません。 その為に丁度良い図表があります。 それはこの話題にも関係する学研の歴史群像太平洋戦史シリーズ48 『日本軍艦発達史』 に掲載されている遠藤昭氏の記事 「序章 大砲の発達と軍艦の発達」 の中に出てきます。 次のものがそれです。


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学研の記事で遠藤氏はその出典を明らかにはしていませんが、この史料は少なくとも大正2年の水交会会報誌 『水交社記事』 第169号「火薬に関する摘要」 の中で他の図表と共に掲載されています。  (上のものはその原本からディジタル化したもので、学研のコピーではありません。 念のため。 また、赤線 は説明のために管理人が入れたものです。)

当該学研の記事中では、遠藤氏はこの図を使って大砲の発達を説明していますが、間違っているところや読んでも何を言いたいのか首を傾げたくなる文章のところがいくつもあります。 残念ながらこの図を正しく理解できていないためと言わざるを得ません。

例えば、この図を “大砲が初速の増加を求めて発達していったことを示している” と言っていますが、“砲口威力の増大を求めて” であることの明らかな誤りです。 実際、大口径砲の初速については、右端で達した初速以降はほぼ横ばいで推移しますが、砲口威力は更なる増加の途が追求されたことは皆さんご承知のとおりです。

この図について全てをご説明するには長くなりますから、それは別に項を改めてすることにいたしますが、本項での論点となる問題の箇所は 赤線 で示したところです。

艦載砲はこの赤線を境にして右側では、無煙火薬の発明によって装薬の燃焼速度をコントロール出来るようになったことと、鋼線の応用によるいわゆる鋼線層成砲の開発によって砲身のスリム化と長口径化が可能にになりました。 つまりそれまでの砲に比べて、軽量で初速の早いものが作れることになりました。 このことは結果的に砲及び砲台の操作性 (=実質的な発射速度に関係) と一艦への搭載可能門数に影響してきます。 

そして、初速が早いことは有効射程が長いことを意味し、砲台の揚弾・装填機構などの改良による発射速度の増大を併せると、口径が多少小さくなったことは十分に補ってなお余りあることになります。

また、緩燃性の装薬と長砲身により、最大砲内圧力を低く抑えることが出来ますので、これは砲身寿命はもちろんのこと射弾の精度にも大きく影響します。

装薬の燃焼速度と最大砲内圧力、初速などの関係については、「射撃理論解説 初級編」既公開中) を参照して下さい。

したがって、多田氏も遠藤氏も言っていることが全て間違っているわけでは無いのですが、中途半端な記述であり、両氏とも本質を正確に言い表せてはいないことになります。







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 最終更新 : 03/Jul/2011