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第13話 日本海海戦の話題




砲術講堂と水雷講堂でその基礎の解説に合わせてそれぞの 「話題あれこれ」 コーナーで例の 『別宮暖朗本』 の誤りを指摘してその根拠を示しつつご説明しておりますが、既に書いてきましたとおり、この本は砲術や水雷術のみならず、海軍や艦艇は勿論、戦術や戦略、戦史に至るまでありとあらゆるところで誤りがあります。

(注): 本項で言う 『別宮暖郎本』 というのは、『「坂の上の雲」では分からない日本海海戦』 (並木書房、2005年) と、その改訂文庫本である 『日本海海戦の深層』 (ちくま文庫、2009年) のことです

     


これら日露海戦についてはのことは、既にブログの方で色々指摘してきたところであり、本コーナーの第12話として纏めた 「タンブルホーム」 もその一つですが、この第13話ではそれ以外に日本海海戦についてブログの方でお話ししした項目のうちのいくつかを採り上げて、改めてこちらでご紹介していきたいと思います。

取り敢えずは次の話題からです。




  01 連合艦隊の動揺
  02 203地点に敵の第2艦隊見ゆ ← NEW !!
  03 東郷ターン
  04 天気晴朗なれども波高し



本第13話の最後として、これは特段のこととして強調しておく必要があるでしょう。


「別宮暖朗本」 がターゲットとする 司馬遼太郎著 『坂の上の雲』 が 「サンケイ新聞」 に連載され始めたのは1968年からのこと です。

当時は本項で引用した史料や、今ではその存在が広く知られるようになった海軍軍令部編 『極秘明治37、8年海戦史』 などは、それを保管する防衛研究所図書館でも整理が出来ていない等の理由によって、まだ一般には非公開だった時代です。

したがって 『坂の上の雲』は、今日の目からすれば確かに史実の点で幾つかの指摘されるところがあります。 が、しかし、その執筆当時のことを考えならば、 司馬遼太郎の文筆力は勿論のこととして、歴史小説としての海軍史部分だけをとっても、驚嘆に値する実に素晴らしい作品である と評価せざるをえません。

そして、その後一般公開されるようになったこれら史料は、例えば初出が1982年からになる児島襄著 『日露戦争』 においても引用され、本項でご紹介したものは総て出てきます。

翻って、この 「別宮暖朗本」 は どうなのか?

2005年の出版時点において、これら史料を全く顧みておらず、“屁理屈” “妄想” としか言いようのない主張をもって “誤り” を書き連ねています。

この著者は口では “これが戦史だ、史実だ” などと言いながら、これらの史料を、自己主張を通すためにワザと無視をしたか、でなければ全く調べていなかった (知らなかった) か、のいずれかでしかあり得ません。

お粗末の一言に尽きます。


『別宮暖郎本』 の数多の (というか当該本の大部分を占める) 誤りについては、現在に至るまで、その著者はもちろん出版社からも何らの修正・訂正の対応はありません。 要するに紙媒体として “出版してしまえば” ということなんでしょう。 このため今もって日本版 Wiki を始めとしてネット上でも当該本を引用しての記述がいかに多いことかには驚かされるばかりです。






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 最終更新 :22/May/2022