Home へ

3-1-2.カルフォルニア州サンディエゴ




 サンディエゴへ


8月7日(日)朝、基地の南側に隣接する海軍病院近くに空港行きの路線バスのバス停があることを教えて貰い、そこまで大きなスーツケースをゴロゴロ押しながら歩いて向かいました。 なんだ、軍用バスではなくて、単なる路線バスのことだったのかと、その時初めて判りました。 海幕教育課もいい加減なことで (^_^; 


シカゴ・オヘア空港から予約していたローカル便でサンディエゴ空港へ。 確か2時間半くらいのフライトだったと思います。 サンディエゴの学校には移動を事前に連絡しておきましたので、教官が空港まで迎えに来てくれてBOQまで案内してくれました。 この国際空港はサンディエゴのダウンタウンの直ぐ近くで、アクセスは抜群です。



( 当時配布されたサンディエゴの軍関係主要施設配置図より )


( 元画像 : Google Earth より  サンディエゴ主要部 )


サンディエゴはご存じのとおり、米国西海岸の中でも特に温暖な気候の地であり、リゾート・レジャー・観光としても知られているところです。 そしてメキシコ国境に近いこともあって、住民はメキシコ系やスペイン系を中心に非常に多彩であり、街並みも至るところスペイン時代の面影を色濃く残しています。 このため街全体が明るく陽気な雰囲気で、大変に良いところです。


米海軍の軍人に言わせると、リタイア後に定住したいところとして一番人気だそうです。 私も8週間ここに住んでみて、さもありなんと実感した次第です。 大変に住みやすく、かつ色々な意味で良いところであり、出来るならもう一度行ってみたいところの一つですね。




 サンディエゴでの生活環境


さて、空港からBOQまで送って貰いましたので、ともかく明日の月曜日からの課程開始に備えて住と食の環境を整えなければなりません。


BOQは Naval Training Center San Diego という米海軍を代表する大規模な新兵教育隊の隣で、Americas Cup Harbor や West Basin などのマリーナ地区の中にあり、南西側には Naval ASW (Anti-Submarine Warfare) School が隣接しています。


因みにこの新兵教育隊は今では米軍再編の一つとして既に閉鎖され、360エーカー (40万坪超) という広大な跡地は、サンディエゴ再開発の目玉の一つとなっています。 公園、住宅、商業、教育などの各地区に分けて総合的な街並み作るプロジェクトが進んでいるようです。 


米海軍の西海岸最大の基地が所在し、しかもサンディエゴという土地柄に合わせたのか、BOQもリゾートマンション風です。



( 元画像 : Google Earth より  現在のBOQ地区、左下の建物群は隣接する対潜学校 )


当時のBOQは管理棟と細長い4つの居住棟でしたが、今は写真右下の白い建物区画が増えているようです。 そして下の野球場の内野グランドの位置に Admiral Kidd Club という大変に格式の高い士官クラブがありましたが、これは今では無くなったようです。


BOQの細長い居住棟は、内側に吹き抜けの狭い中庭を夾んだ3階建て2列の構造で、中庭側にオープンの通路があります。 各部屋は10畳ほどのリビングと8畳ほどのベットルームに仕切られた形となっており、ベットルームの奥に広いバス・トイレとクローゼットが付いています。


また、BOQには専用のプールや夜間照明付きのテニスコートなどが付属しており、結構これらは居住者に利用されていました。 夏の時期でしたので、特にプールでは真夜中に暗い中で泳いでいる音がしていました。 


ただ、アメリカさんらしく、ウェーブの士官も各棟バラバラにかなりの数が混在して居住しておりまして、私の向かいと左隣はそれぞれかなり美人の大尉さんでしたが、毎週金曜日の夜には男友達 (同僚?) が数人ずつ各部屋に集まってワイワイやっていました。 う〜ん、たまには私も一緒に呼んでくれればよかったのに (^_^)

短パン・Tシャツなどでウロウロされるのはまあいいとして、一番困ったのは、各棟一階にあるランドリーも男女区別が無いことでした。 ある日など乾燥機の扉を何気なく開いたら女性物の下着類がドサドサッとこぼれてしまい、焦って暫し室内を見回した後、ドキドキしながら大急ぎで元に戻しました(^_^;


食事は、残念ながら米海軍も経費削減の折、管理棟にある Officer's Mess Closed という居住者用の士官食堂は既に営業を止めていたことです。 このため、平日の夕食は外に食べに出なければなりませんでした。 幸い周りはマリーナを中心とするレジャー施設地区でしたので、レストラン選びには困りませんでしたが、やはり部内の食堂で食べるよりより少々高くつくのが ・・・・


そして問題なのは “足” です。 グレート・レイクスでは基地内で一応全てを賄うことができましたので特に不自由はありませんでしたが、ここのBOQは基地内ではありませんし、それに学校まではかなりあります。


通学は隣の対潜学校から軍の定期便がそれなりの間隔で出ていますのでこれを利用することもできますが、時間の制限があって少々不自由です。 それにここはアメリカ、やはり自前の車がないと普段の行動にかなり制約を受けます。


そこで日本出発時に丁度入れ替わりで帰国してくるプログラム業務隊の先輩が米国滞在中に車を購入していましたので、それをそのまま譲り受けて使用し、私が帰国時に売却して購入金額との差を折半することで話しが出来ていました。


ただ、その先輩は帰国時に車をロサンジェルス Los Angeles 在住の妹さんに預けましたので、そこまで受け取りに行かなければならないのですが、それは次の週末にならないと時間が取れません。


しかたなく、一週間はレンタカーを利用することに。 しかしながら、近くのレンタカー屋さんには丁度その時に中・小型車は在庫が無し。 (というより、わざと無いふりをしたのかも?)  借りたのは大きなキャデラック、何とも豪勢な一週間でした。 もっとも、こんな大きな車は運転したことがありませんので、ぶつけたり擦ったりしないかとヒヤヒヤものでしたが (^_^; 


次の週末には路線バスに揺られてロサンジェルスまで行き、車を受け取ってから無事サンディエゴまで運転して戻ってきました。 日産のサニー、これくらいの大きさが小回りが効いて、日本人には一番使い勝手が良いですね。 これで生活面はOKです。 あちこち遊びにも行けます、ルンルン (^_^)


因みに、当時は米国滞在のための手当は、幹部も海曹士も1日13〜14ドルでした。 グレートレイクスのような基地内で生活できる場合には、BOQが1日3〜4ドル、食事も Mess Hall 利用なら1日7.5ドルですので、ギリギリなんとかなります。

しかしながら、このサンディエゴでの場合ですと、BOQが1日5ドル、食事は朝は近くのマーケットで買ってきたもので簡単に済ませるとしても、昼食は基地内のカフェテリア、夕食は外のレストランとなりますと、これでは足りません。 その上通学用のガソリン代やその他の諸費用・諸経費を考えますと、とてもではありませんがかなりの自腹が必要となります。 もちろん休日の個人的なことや、レンタカー・私有車の費用などのことは除いても、です。

例えば、グレート・レイクスでの話しで出てきました韓国海軍の白中佐は1日27ドルと言っていました。 海自幹部は、当時米国に留学する外国海軍士官の中で “ズバ抜けて” 低い待遇たっだのです。

そこで帰国してからの留学報告書に、詳細な収支報告を付けて、海軍士官としての体裁を保つためにもこれでは情けない、増額すべきとの意見を書き添えました。 やはり他の者達からも同様な意見が多かったらしく、翌年からは確か28ドルに倍増され、更に何かの特別な費用がかかった場合には、領収書などの証明書類があれば帰国後にある程度は清算が認められる場合ができたと聞いています。




 FCDSTCP と FCDSSAP


サンディエゴで受講する学校は FCDSTCP (Fleet Combat Direction System Training Center, Pacific) 太平洋艦隊戦闘指揮システム訓練センターというところです。 ポイント・ローマ (Pt. Loma) というサンディエゴ湾の入口を形成する岬の上にあります。 車でBOQから7〜8分の距離です。



( 当時配布された FCDSTC 及び FCDSSA の施設配置図 )


( 元画像 : Google Earth より  現在の同地区、当時の学生用駐車場跡に新たに大きな施設が出来ています )
1 : 座学講堂棟  2 : FCDSTC  3 : FCDSSA


ここは FCDSSAP (Fleet CDS Support Activity, Pacific) 太平洋艦隊CDS支援隊という戦闘指揮システムの研究・開発部門と一体になっています。 そして FCDSTC の実機教育及び実習は FCDSSA の施設・機材を利用することになります。


ここは機密保持が厳重なところで、敷地内への立入はもちろん、建物内部でも各所に保安施設・設備が備えられています。 したがって、学生はもちろん勤務者でも必要な部屋以外には勝手には行けないようになっています。

また、この Pt. Loma 周辺一帯には当時でもこの基地以外に海軍の様々な施設がありましたが、ほとんどが近づくことはもちろん、どれが何というところなのかも教えてはくれないようなところばかりです (^_^;


今回私が受講するのは、FCDSTC での NTDS Data Utilization 課程 (3週間) と、AN/USQ-20 Machine Language Programing 課程 (5週間) の2つです。


前者は実艦に装備されていた NTDS の最新のソフトウェアによる操作法で、簡単に言えばコンソールの “How to push the button” ですが、その操作に関連して “いつ、どのような状況で、何をする” という米海軍の実際の戦術を可能な限り聞き出して帰ることが私の役目です。


したがって、3週間の課程の間に出来る限り “何故?” “どうして?” の質問を連発することでした。 そのために授業のスムースな進行をかなり妨げることになりましたので、教官やクラスメート達から相当煙たがられたことは確かです。 お前、そんなことは米海軍なら常識なんだけど、と。  しかしこれしか表立っての情報収集のやりようがありませんので (^_^;


クラスメートは、大尉〜少尉の米士官が15名、准士官及びCPOのスペシャリスト達が5名で、留学生は私一人でした。


米海軍においてはこの課程は次の専門課程に進むための基礎としての位置付けであり、今回のクラスでは大尉及び中尉のほとんどは、この後この FCDSTC で引き続いて行われる TAO (Tactical Action Officer) 戦術管制士官課程 (16週間) に進みました。 残念ながら当該課程は外国士官の受講は認められておりませんので (それくらい秘密程度が高い)、この3週間はそれに関して少しでも聞き出すチャンスだったのです。


そして3週間の間に数回、FCDSSA 内のCICモックアップで実習を行いました。 空母のモックアップを使う場合が多かったですが、空母のCICは広いので同時に下士官の課程の実習と一緒になり、かつ沖に停泊している艦があれば、それと Data Link を結んでの艦隊の作戦をシミュレーションしながらでしたので、これは面白かったですし、大いに参考になりました。


続く後者の5週間は、NTDS/CDS で使用しているコンピュータのプログラミンの基礎課程です。 これは私の場合既にプログラム業務隊で実務としてやって来ておりますので、全く楽でした。


クラスメートはほとんどがここの FCDSSA 及び FCDSTC に新たに勤務となった士官及びシビリアンの技官です。 ただし、必ずしも全員が直接 NTDS/CDS のプログラミングに携わる配置ではなかったようです。


毎週週末に1問ずつ、その週の教務内容に関連するプログラミングの課題が出され、それを仕上げて提出するとその週が終わるようになっていました。 もちろん毎週私はサッサと作成して提出していたのですが、最後の課題でうっかり1文字をタイプミスして (当時ここではまだ学生の実習ではコーディング・カードに1枚ずつキーパンチしていました) 、気が付かずにそのまま提出してしまった後に一度修正しましたので、残念ながら最終総合成績は100点満点の98点となってしまいました。 それでもクラス18名中の一番でしたが。



( その時の成績通知書 )


えっ、それでは何でそんな無意味な課程に5週間もわざわざ入ったのかですって?  ターター幹部課程として一応一通りの内容を網羅する様に米海軍が海上自衛隊向けのコースを組んでくれ、しかもそれは私の様に既にプログラム業務隊で勤務経験を有する者からの留学生選抜を前提としては考えていなかったからです。 そして実は、この期間を利用して私には別の役目があったのですが、それは今でもちょっとここでは (^_^;




 サンディエゴでの余暇


  1.一週間のライフスタイル


サンディエゴでのライフ・スタイルですが、平日は朝8時からの授業に間に合う様に学校へ行き、午前・午後の授業を受けます。 昼に1時間のランチ・タイムがあり、家 (サンディエゴ在住の学生も多い) に食べに帰らない学生は基地内にあるカフェテリアで食べます。


もう時効ですからいいでしょう。 いえ、決して悪いことをしたというのではありません。 実はこのカフェテリア、米海軍の基地・施設にしては珍しく昼からビールが飲めたんです。 で、時々クラスメートと一緒に食事をしながら缶ビール1本を飲んで、午後の授業に出ました (^_^; 

当時ここでは別に学生の昼食時の飲酒が禁止されていたわけではなく、また飲んで授業に出てもチャンと聞いていれば何の問題もありませんでした。

( この飲酒許可の件は、当時米海軍の一世を風靡した、時の海軍作戦部長ズムウォルト海軍大将の一連の海軍改革政策 (いわゆる “ジーグラム”) の一つであった様で、その後撤回されたと聞いています。)

そしてこれは米海軍の士官・下士官の偉いところです。 例え飲んでいない場合であっても、授業中に眠くなったら黙って席を立って教室の後ろに行って立ったまま授業を聞き、眠気が覚めたらまた黙って席に戻ります。 中には後ろに立っている時に手を挙げて質問までする者もいます。 米国留学中、頻繁にこのような風景を見ました。 日本の学校ではちょっと考えられないものでしょう。 もちろん居眠りなどが見つかれば軍紀違反で即懲罰ものではありますが ・・・・


午後は5時まで授業スケジュールが組まれていますが、士官のクラスの場合は大抵これより早めに終わります (^_^)


また、米海軍の学校はどこでもそうですが、平日は金曜日を除き2〜3日に1回、朝一番に前日までの教務内容についての理解状況をチェックする “Britz” と称する小テストが10分間ほどあり、これの答え合わせをしてからその日の教務に入ります。 これは下士官兵の課程であろうと、士官の課程であろうと同じです。


そして、毎週金曜日は午前は授業、午後からその週内容についての中間テストがあり、引き続いてその答え合わせと質疑応答となります。 ・・・・ が、士官の課程の場合は、大抵朝一番で中間テストとその答え合わせをやってしまい、終わり次第その日は解散となります。


ですから、サンディエゴでは毎週金曜日の午後と土・日の2日半が休みとなりました ルンルン V(^_^)



  2.平日の夕〜夜


月〜木曜日は毎日遅くとも午後5時頃にはBOQに戻ってきますので、まずは制服をラフな服装に着替えて部屋でリラックス。 そして適当な時間に夕食を食べに近くのレストランに行きます。 後は部屋でテレビを見たりラジオ音楽を聴いたりでノンビリ。 冷蔵庫には近くのマーケットで買ってきたワイン、ビールに清涼飲料、それに果物やつまみの類がドッサリです。


そして週に2〜3回は夜のドライブ、あるいは近くのマリーナやダウンタウンなどの散歩です。 サンディエゴ市内や周辺は綺麗なところが多く、夜のドライブは楽しかったですね。


これも時効でしょうからお話しします。 実はカルフォルニア州は飲酒運転はOKなんです。 もちろん飲酒運転で事故を起こせばその分加重になりますが、ただ飲んで運転することだけで警察に捕まる様なことはないのです。

で、私も金曜日の夜などは、BOQで飲んだ後の深夜に、郊外にある Sandiego Sea World の周辺などを、窓を全開して風に吹かれながら走り回りました。 日本では絶対に出来ないことで、これは楽しかったです。  ただまあ後から思えば、若気の至りではありますが (^_^;


平日の夕食は近くのレストランに食べに行ったわけですが、マリーナ周辺は洒落たお店が多かったですし、週末以外は結構どこも空いていますので、ノンビリ楽しんで食事ができました。


それに例えデニーズのようなところでも、若くて可愛いウエイトレスさん達が多く、しかも仕事をしながらいつも陽気で気軽に話しかけてきれくれます。 これは西海岸の人々の共通した気性の一つで、同じ米国人でも東海岸の人々とは大きく異なるところですね。


ご存じとは思いますが、デニーズはカルフォルニアが発祥の地で、当時まさにその全盛期、サンディエゴにもあちこちにお店がありました。 出来たばかりの新メニュー 「グランドスラム・ブレックファースト」 は私のお気に入りの一つで、週末に飲んで夜更かしした翌日の朝食としては最高でした。 因みに、現在の日本のデニーズは米国本家とは契約解消して無関係となっており、メニューも全くの別物となっていることは、私としては少々残念ですが。



  3.週末の過ごし方


上にお話ししましたように、金曜日は午前中のみで、午後はフリーです。 そこで、BOQに戻ったらまずは近くのマーケットに買い出しへ。 


米国のマーケットは広くて、置いてあるものの種類も豊富です。 そしてなによりも安い。 特に食べ物や飲物の安さにはビックリです。 何しろ大きなロースト・チキンが丸々1羽で2〜3ドルですから。 ビールやワイン、清涼飲料など、そして様々な調理済みの食べ物、フルーツやスナック類などをドッサリ買い込み、車に積んでBOQに戻ります。


後は昼食と夕食を兼ねて、ダラダラ食べ、ダラダラ飲んで ・・・・ もちろん深夜はそのままドライブです。


さて、土・日ですが、ほとんどは1泊でロサンジェルスに行っていました。 土曜日の朝BOQを出てロスに行き、用事を済ませてそのままロス泊、翌朝ロスを出てBOQに戻る。 こういったパターンでした。 えっ、何しにロスへ行ったのか、ですか? 先の私のもう一つの役目関連で、です (^_^;


残りはダウンタウンやスペイン時代の面影が残る Old Town を散策したり、艦隊桟橋地区やノース・アイランドの海軍航空基地を見学に行ったりで、これはこれで大変に楽しく、かつ面白かったです。


オールドタウンのお店で、オープンテラスのテーブルに座って周りの陽気な様子を眺めながら、真夏のカーッと来る日差しを浴びて大きなグラスで飲むマルガリータは最高でした。



( ある日のドライブ  Pt. Loma 岬先端の公園から 左が潜水艦基地、右がノース・アイランド航空基地 )


心残りなのは、メキシコのティファナ (Tijuana) に行けなかったことです。 ご存じのとおり、サンディエゴはメキシコとの国境近くで、その国境を越えればすぐティファナです。 おおよそで、BOQからは国境まで30km、国境からティファナの中心部まで数kmです。 そしてそのティファナはご存じのとおり、スペイン時代の面影が強く残る観光都市の1つです。



( 元画像: Google Eath のリンクより  ティファナの下町 )


米海軍士官達でも遊びに行きたいと思う者は多いらしく、艦隊から派遣されてきた学生達には週末に毎回教官から色々注意事項などがなされていました。


曰く、車で国境を越えず、国境手前の駐車場に止めて、後はバスで行かないと後が面倒。 サンディエゴからの観光バスの利用を勧める。 治安面もあり、必ず二人以上で行動すること。 昼間でも狭い路地裏などには行かないこと、夜間は絶対ダメ。 等々でした。


私も是非一度行ってみたかったのですが、米国人の学生に対してさえ教官がここまで言うくらいですから、留学生の身分でもしも何かあってはと思ったことと、同行するクラスメートを捜したのですがいつもタイミングが合いませんでした。 これは今でも残念に思っています。



ということで、週末はロスを往復する以外にはあまり遠出をするチャンスはありませんでした。 サンディエゴ近郊には沢山の観光名所もあったのですが ・・・・


しかしながら、平日・週末を含め、この温暖な気候と明るく陽気な雰囲気のサンディエゴでは大変に楽しい毎日で、アメリカン・ライフを堪能したことは間違いありません。


それに次の異動先でもまだまだあちこちへの遠出を楽しめるチャンスが十分にあると考えていましたから。 ・・・・ ところが、ここに来てまたまた大きなハプニングが生起しました。 そのことは次で。






「砲術への想い」リストへ 前頁へ 頁トップへ 次頁へ

最終更新 : 23/Mar/2014