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2-4-13.帰 国 |
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11月7日(木)午前9時マレーシアのペナンを出港し、マラッカ海峡を通ってシンガポール沖を通過、南シナ海を北上して台湾の南から北太平洋に出て、横須賀へ向かいます。
ペナン出港の翌日の午前だったと思いますが、マラッカ海峡でインド洋に展開すると思われる米海軍の空母機動部隊(CVBG)とすれ違いました。 流石に空母機動部隊だけあって、その堂々たる艦隊の威容には感服したものです。 (残念ながら、結構遠くで離れてのものしたので写真は撮れませんでした)
8日(金)夕刻、シンガポール(昭南)を遥か遠くに望みながら通過し南シナ海に入ります。
シンガポール沖を過ぎたこの夜、SOSの発信を受けて「あおくも」が向かい、遭難したヨットの乗員4人を救助、乗員は翌日ニュージーランド海軍のフリゲイトに引き渡して練習艦隊は現場を離れて航海を続けることに。 この救助した時に、遭難したヨットそものもをどうするかで色々あったようですが ・・・・
その後の南シナ海では、当初ブルネイやフィリピン近くの航路を取る予定でしたが、日本近海では荒天が予想されたこともあり、少しでも早くするために真ん中を真っ直ぐに。
<このシンガポール沖から南シナ海に入った頃と思います、防大出の実習幹部それぞれに最初の任地の内示が言い渡されました(一般大出及び技術幹部は遠洋航海終了後に航空実習がありますのでこれはありません)。
私の内示は「護衛艦みねぐも通信士予定」でしたので、晴れて希望通りの艦艇勤務に進めることが判りました。 船乗りを目指して防大に入校して以来5年半にしてやっと決まったわけです。
で、この最終の航海では私達実習幹部は補職人事の内示を受けて一喜一憂していれば後は帰国まで訓練や当直実習などはなくノンビリなのか、というとそうではありませんで、遠洋航海最後の総合テストがあり、そのための復習も含めて毎日朝から晩までバタバタしました。 (夜、実習員講堂で勉強している実習幹部はそう多くはありませんでしたが)
特に台湾の南を回って北太平洋に出てからはこの遠洋航海で最後の最後に一番の時化となりまして、「かとり」はもちろん「あおくも」はそれ以上にガブられたようです。 この様な中での筆記試験でした (^_^;
練習艦隊としては、ペナンから横須賀帰港までの間に、7日(木)夕刻ペナン沖、12日(火)フィリピン・台湾沖、15日(金)沖縄沖でそれぞれ後甲板において洋上慰霊祭を行いました。
この洋上慰霊祭以外では、特に練習艦隊としては大きな訓練、行事などはありませんでしたが、上記のとおり実習幹部だけは遠洋航海の総仕上げで横須賀帰国直前までバタバタしていたのです。
そして横須賀仮泊の前日、P2-V、S2-F、HS などの航空部隊が出迎えに来てくれ、その日の新聞などを投下してくれました。 ただし、新聞は実習幹部までは回って来なかったような ・・・・ ? (^_^)
11月18日(月)朝10時横須賀港外の検疫錨地に仮泊。 仮泊すると早速横須賀税関の職員が通関のためにボートに乗ってやって来て乗艦です。
もちろんそこはそれ、税関と海上自衛隊の間柄ですので、艦側は舷門の脇に段ボール箱などをドッサリと積み上げて待ち構えており、税関職員が舷梯を上がって来ると入れ替わりに “お土産はボートに積んでおきますね。あとで皆さんでどうぞ” と彼等が見ている目の前で次々に舷梯からボートに運び込みます。
そして、税関側は職員数名で「かとり」の艦内区画全てと乗員・実習幹部など総員の所持品を検査する事等は不可能ですから、予め艦側で用意した書類に基づき主なところだけを見て、免税品などで規程をオーバーを申告したものなどをチェックし、後は乗員・実習幹部などは借りた通関のスタンプを自らペタペタと押して行きます。
私は、書籍が多かったこともあり、一応税関職員はベットに並べたものを見ていましたが、“ふ〜ん、軍事関係ばかり一杯ですね〜” と (^_^) お酒類が免税本数よりかなりオーバーしましたので、その分の税金を後で払いましたが、木枠入りに大きな帆船模型も含めてその他は特に問題ありませんでした。
乗員の中には土産の骨董品的な古いナイフなど銃砲刀剣類に触れるものを持っていた者や居住区などには読み古しのポルノ雑誌などがありましたが、これらについては入港前の航海中に事前に全て集められて 「〇〇供養」 の読経放送が流れる中で次々と洋上に放棄し横須賀に戻ってきました。
11月19日(火)午前8時仮泊地を抜錨、9時に遠洋航海出発時と同じ横須賀船越のF−10岸壁に入港し、帰国行事などが行われました。 155日間、総航程約3万5千マイルの世界一周の遠洋練習航海の終了です。
19日の帰国行事などの後は私達実習幹部も帰国後の後始末などでバタバタして、11月22日(金)になって海幕の人事発令に従って一斉に解散、「かとり」退艦となり、それぞれで短い休暇をとったあと次の任地に向かいます。
私は横須賀まで両親に車で迎えに来てもらい、荷物やお土産の一切合切を積んで東京の我が家へ。 そして、第22護衛隊の隊訓練の都合で所定より早い着任指示がありましたので、土産物などは全て東京の家に置いて、身の回りの物を持って皆よりも少し早く新任地の呉の護衛艦「みねぐも」に着任しました。 これについては次の項で。
最終更新 : 26/Nov/2023