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2-2.幹部候補生学校の一年 |
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長くもあり短くもあった4年間の防衛大学校を卒業し、短い休暇の後、江田島の海上自衛隊幹部候補生学校に入校しました。
正確に言いますと、3月21日(水)の春分の日に防大を卒業し一等海曹、一般幹部候補生に任命、幹部候補生学校一般幹部候補生課程入校を命ぜられ、、4月5日(木)幹部候補生学校着校、4月7日(土)に一般大卒と合わせての第24期一般幹部候補生課程の入校式、です。
なお、現在に至るまでの幹部候補生の制服を着ての防大卒業は私達が初めてでした。
私達 「第24期一般幹部候補生」 で入校したのは、第1課程学生 (防大卒) 105名、第2課程学生 (一般大卒) 66名、第3課程学生(一般大卒、技術幹部要員)28名の合計 199名でした。
ご存じの方も多いと思いますが、海自の候補生学校は陸自や空自と異なり、一般幹部候補生は防大卒の者と一般大学出身者とが1年間生活を共にし、卒業後も引き続き遠洋練習航海まで一緒です。 これは旧海軍における海軍兵学校出と一般大学からの予備学生との問題から採られている方式とされています。
とは言いながら1課程と2・3課程が一緒なのは、学校行事関係、分隊編成による自習室・寝室での生活、各種競技などであって、教務 (座学) や訓練・実習などは全て別になっています。
当時の候補生学校1年間の主要な行事などは次のとおりでした。 ただし実習関係は1課程 (防大卒) のものです。 (2・3課程の分はメモしておりませんので判りません。)
4月5日 | 防大卒着校 | |||
4月7日 | 入校式 (一般幹部候補生任命) | |||
5月 | 帆走巡航 (宮島方面) | |||
小火器射撃 | ||||
6月 | 分隊対抗短艇競技 (短距離) | |||
防火防水実習 | ||||
潜水艦実習 | ||||
7月 | 酷暑訓練 (水泳) | |||
遠 泳 | ||||
日米候補生交歓行事 | ||||
8月 | 幕 営 (宮島) | |||
水泳競技 | ||||
夏期休暇 | ||||
9月 | 乗艦実習 (護衛艦) | |||
機関実習 (第2術科学校) | ||||
空自候補生学校交歓行事 | ||||
10月 | 航空実習 (小月) | |||
野外戦闘訓練 (原村演習場) | ||||
帆走巡航 (松山方面) | ||||
12月 | 航空実習 (下総、館山) | |||
弥山登山競技 | ||||
冬期休暇 (〜1月) | ||||
1月 | 厳冬訓練 | |||
武道競技 | ||||
防火防水実習 | ||||
2月 | 分隊対抗短艇競技 (長距離) | |||
マラソン競技 | ||||
乗艦実習 (駆潜艇) | ||||
3月26日 | 卒業式 幹部 (3等海尉) 任官 | |||
引き続き内地巡航、遠洋練習航海 | ||||
また、私達防大卒の1課程学生の年間スケジュールの詳細は次のとおりです。 もう40年も前のものですが、こういうものはあまり公開されたものがありませんので、ちょっと珍しいかも。 ただ、少しだけメモが抜けているところがあるのは、今にして思えば返す返すも残念です。
第1四半期 (4月〜6月) |
第2四半期 (7月〜9月) |
第3四半期 (10月〜12月) |
第4四半期 (1月〜3月) |
因みに、1課程に対する教務 (座学) は次のものでした。
勤務一般 (厚生、人事、文書、業務管理、礼式等、衛生) |
砲 術 |
水 雷 |
船 務 |
航 海 (地文航法、天文航法、電波航法、行船法、海事法規、信号) |
通信情報 |
気象海洋 |
機雷掃海 |
陸上警備 (陸警、小火器) |
運 用 (運用一般、洋上作業、錨泊法、重量物取扱、応急救難) |
潜水艦 |
航 空 (航空勤務、航空機一般、運航、運用、航空航法、航空電子、航空対潜戦) |
機 関 (蒸汽、内燃、補機) |
電 機 (電機、ジャイロ、消磁装置) |
応 急 (応急一般、CBR防禦、復元性能) |
経理補給 |
法 規 (部内法、国際法) |
歴 史 |
( 当時のガリ版刷りのスタディガイド これで約1/3 )
一般大卒の2・3課程の者に対する1年間の教務・実習は、上記の防大卒の1課程とは全く別であるのみならず、更に遠洋航海終了後には候補生学校で積み残した航空実習が行われることになります。
現在では、内地巡航の一部が候補生学校中に実施されるなど、その教育内容は当時とは大幅に変わっております。 それに当時は赤煉瓦の1階が分隊毎の大部屋の自習室、2階が寝室でしたが、今では冷暖房の完備した立派な学生舎が別に出来ています。
そもそも、私達の時には女性の候補生はおりませんでしたし ・・・・ (^_^)
早い話しが防大卒にとっての候補生学校の一年は、初めてこの世界に入った一般大卒の者と同期生としての “融和団結を図る” (言葉を換えれば “面倒を見る” ) というのが実態で、教育内容的には防大卒にとっては半分以上が足踏みということになります。
海自の幹部候補生課程のやり方にはもちろん長短両面があります。 例えば現在の方式では、単に “同期” と言えばこの候補生学校でのクラスのことを指し、防大の卒業期のことではないくらいに、その後の勤務においても防大卒と一般大卒とは一体となっています。 これは陸自や空自には見られないことです。 そしてこれはこれで大変に上手く行っていると言えます。
その反面、海上自衛隊の初級幹部養成面で見るならば、防大卒は防大卒業と同時に旧海軍の少尉候補生のように1年間の部隊実習勤務を経験させた方がはるかに有益であることは間違いありません。
卒業後の30年余という長い勤務期間を考えるならば、どちらの方式が良いのかは今でも難しいものがありますね。
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1年間の江田島。 朝から晩まで5分単位の時間に追われ、しかも 「赤鬼、青鬼」 と呼ばれる学生隊幹事付二人に追い回される、大変に忙しい日々だった、というのが今思い返しても一番の印象です。
「幹事付」 というのは、候補生学校の全学生隊 (一般、部内、飛行、予定者など) の生活・規律・服務担当の3等海佐たる学生隊幹事の下で、直接その指導に当たる者を言います。 私達防大卒の4期上 (したがって防大時代に顔を合わせたことがない) の若手の2等海尉二人がその任に当たります。
赤煉瓦に寝泊まりして24時間学生と起居を共にします。 したがって、当時はこの1年間の限定任期の幹事付勤務に補職されるのは、各クラスの中でも成績優秀な “独身者” であることが条件でした。 当然ながら幹事付などを希望する若手は誰もいませんので、これを嫌がって防大卒の者は皆結婚が早かったような ・・・・?
結局私達のクラスに順番が回ってきた時には、この独身者という条件が初めて外されてしまい、貧乏くじを引いた既婚者の同期某君達二人は “そんなはずでは” と言ったとか言わないとか (^_^;
そしてともかく無茶苦茶 “夏暑く、冬寒い” 環境。
夏は有名な瀬戸の朝凪、夕凪そのまま。 風がソヨリともしない、猛烈な熱気が満ちあふれている江田島で、もちろん当時は教室・自習室も寝室もエアコン、クーラーはもちろん扇風機でさえ無し! それでも昼間はキチンと制服を着たまま、夜はベットに真っ裸で寝ても汗が流れてシーツがビショビショに。
冬は冬で中国山脈から吹き下ろす冷たい空っ風。 建物内はスチームの暖房が僅かにあるだけ。 寝室は夜中にはそのスチームも止まりますので、朝まで蓑虫のように毛布にくるまって明治26年完成の赤煉瓦の冷たい隙間風に堪えます。
それに加えて、外出は夏冬の休暇を除くと土曜日の午後と日曜・祝祭日のみ。 (確か後半からは水曜日の課業後も許可されたような記憶があります。) 平日は敷地内どころか指定された場所以外から離れることもできません。
当然ながら平日はお酒も飲めないどころか、普通の飲食さえも許可された時間と場所以外には自由にできません。 ですから、外出となればともかく一目散に学校の外へ。 そして近くに借りた下宿でノンビリするか、呉・広島方面へフェリーに乗って出掛けるかでした。
そんなこんなの一年間。 終わってしまい月日が流れれば昔を振り返って懐かしいこともありますが、その当時は如何に修養の身とはいえ、もうこんな生活は一度で充分、二度とご免だと誰もが感じるようなものであったことは間違いありません。
ただ実務には責任を負わない学生の立場ですから、航空・乗艦実習や帆走巡航、幕営などは存分に楽しめたこともまた事実です。 特に防大卒の1課程の場合は一般大卒の2・3課程よりも実習が多かったので。 それは上記の年間スケジュールの詳細をご覧いただけばお判りいただけるかと。
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3月26日 晴れて卒業式を迎えました。 候補生課程修業申し渡しに引き続き、幹部昇任 (任官)、練習艦隊配属の辞令。
この日卒業した者は、結局防大卒92名、一般大卒92名の計184名。 防大卒13名、一般大卒2名の計15名が一年間の間にそれぞれの理由により離脱、退職したことになります。 それでも元々の入校者数及び卒業時の任官者数は、前後のクラスと比べると当時としてはダントツに多いのですが。
(卒業式前日に撮った卒業生・教官一同の記念写真)
当日は3月下旬であるにも関わらず前日からの大変に寒い日で、冷たい小雨が降っていました。 しかも、江田内対岸の能美島山頂はうっすらと雪化粧まで。 兵学校時代には卒業の日に雪が降るとそのクラスから海軍大将が出ると言われていたそうです。 本当にそうだったかどうかはともかく、実際私達のクラスからは30余年後に海上幕僚長が出ることになりました。
卒業式後、真新しい3等海尉の制服に着替えて午餐会、そしていよいよ旧海軍兵学校からの伝統の一つ、教職員、在校生、父兄ら大勢に見送られながら、表桟橋から機動船に分乗して江田内に待機している練習艦隊に向かいます。 さらば赤煉瓦 !
(平成26年5月11日追記) : 2期後輩で私の古き良き友人の一人でもあるS君が当時の卒業式の行事案内を送ってくれました。 当日出席する家族に配布されたものです。 私は卒業式には家族の来島はありませんでしたので、このパンフレットは初めて目にするものです。 江田島の卒業式の様子や流れは、当時と今とでもほとんど変わっていない (変わりようがない) もので、皆さんのご参考として紹介します。 S君ありがとうございました。
さて、私としては防大入校以来6年目にしてやっと待ちに待った海上勤務の始まりであり、船乗りとしてのスタートです。
当時の写真集はここ ↓ からどうぞ。
写真集 候補生学校の一年 |
また江田島そのものについては 『懐かしの艦影』 コーナーの中の番外編として次の写真集を公開しておりますので、こちらも御覧下さい。
江田島旧海軍兵学校写真集 |
最終更新 : 11/May/2014