艦砲操式沿革 |
艦砲操式沿革 |
艦砲操式改正の経緯 |
(1) 砲尾切断器 |
(2) 尾栓早開留 |
(3) 噴気装置 |
(4) 目標指示 |
(5) 方位盤故障による偏弾 |
(6) 装填時期 |
打方の変遷 |
戦闘の開始時期、方法の変遷 |
照準発射法の変遷 |
(1) 照準の開始、中止、再興の時期 |
(2) 照準点 |
不発処置の変遷 |
装填後に1番砲手が 「良し」 を報ずる時期 |
旧海軍の艦砲の操作法についての教範である 『艦砲操式』 は、明治7年11月に海軍兵学寮 (当時) が英訳して出版したのが始まりで、以後今次大戦終戦までに十数回の改版を重ねました。 その沿革は次のとおりです。
年 月 | 名 称 | 摘 要 |
明治7年11月 | 艦砲操式(前編) | 海軍兵学寮が英海軍のものを邦訳して出版したもの。 旧海軍の操砲についての最初のものであるが、昭和期の旧海軍には既に残っていないとされている。 |
明治15年9月 | 海軍操砲程式 | ドイツ及び英国において習得したものを編纂したもので、旧海軍自身の手になる最初のもの |
明治19年6月 | 海軍操砲程式 | 機関砲操法及び教官心得などを追記 |
明治30年2月 | 海軍操砲程式 | 艦載砲の進歩と日清戦争での教訓により大改正 |
明治36年7月 | 海軍艦砲操式 | 教範の名称を改正し、艦砲の分解・結合法は 『艦砲取扱教範』 に移す |
明治41年4月 | 海軍艦砲操式草案 | 日露戦争での教訓により大改正し、『続編草案』 の第1部及び第2部を別冊(秘)とする |
明治44年11月 | 海軍艦砲操式 | 教範の名称を改正したもの。 『続編』 第1部及び第2部は大正4年7月に 『射撃操式』 として制定 |
大正6年4月 | 海軍艦砲操式 | 兵器の進歩により改正し、併せて綱領を新たに記載 |
大正10年4月 | 海軍艦砲操式 | 兵器の進歩及び 『部署標準』 の改正に併せて改正 |
大正13年4月 | 海軍艦砲操式 | 射撃訓練の経験により改正 |
昭和4年5月 | 艦砲操式 | 射撃訓練の経験により改正するとともに、教範の名称を改め、かつ取扱を部外秘とする |
昭和10年6月 | 艦砲操式 | 方位盤射撃装置操式を組込み 『方位盤艦砲操式』 として試行、更に 『艦砲程式改正案』 として再試行後、結局 『方位盤射撃装置操式』 として分けて制定 |
昭和14年3月 | 艦砲操式 | 兵器及び諸施設の進歩に併せると共に、再度 『方位盤射撃装置操式』 と一体としたものとして合併し制定 |
次の原因により砲の尾栓が破壊して死傷者が発生したものとして、明治42年「朝日」の3インチ砲以降 (これ以前については旧海軍においても記録無し) 大正6年に「敷島」の6インチ砲事故まで多数の例が生起しました。
ア.尾栓の閉鎖が完全となる前に打針が既に前進して電路を通じる
イ.尾栓を全閉する前に「良し」と報じる
このため砲尾切断器を採用すると共に、操法を改良してこの種の事故の防止を図りました。
時 期 | 事故状況 | 事故原因 | 改正の要点 |
明治42年7月25日 | 「朝日」 の8番吋砲の検定射撃中に発生、死者4名、負傷7名 | 尾栓の全閉前に 「良し」 の報告 | 当時の操式としては、尾栓を全閉して 「良し」 と唱えることと規定 |
明治44年6月30日 | 「陽炎」 の前部3吋砲の検定射撃中に発生、死者2名 | 同 上 | 明治44年11月の程式改正により、尾栓を閉鎖し手を閉鎖桿より離して 「良し」 と唱えることに規定 |
明治45年4月2日 | 「橋立」 の6番3吋砲普通科練習員の検定射撃中に発生、死者1、負傷12 | 砲台監督者が 「待て、危ない、尾栓閉め」 と言ったものの間に合わず | |
大正3年10月 | 艦本機密44号により砲尾切断器を採用、応急電纜及び通絡線を廃止 | ||
大正5年7月22日 | 「敷島」 の6番6吋砲の夜間戦闘射撃中に発生、即死5名、重傷後死亡3名、軽傷6名 | 原因調査不能 (射手は引金を引き続けたまま) | (1) 大正6年に操式を改正、夜間戦闘中はその発砲を確認する間1番砲員は尾栓を閉鎖した後片手を軽く砲尾に触れたままとする (2) 大正6年の操式改正には、大口径砲についてのみ「発砲電路を通じ」の規定あり |
大正6年8月16日 | 「敷島」 の8番6吋砲の夜間戦闘射撃中に発生、即死4名、重傷8名、軽傷5名 | 同 上 | |
大正10年4月 | 達161号による操式改正 (1) 装填後1番砲員が「良し」を報ずる場合は必ず手を閉鎖桿より離し、発砲電路を通じ、片手を砲尾に触れた後に行う (2) 発砲の際、自動的に電路を切断しない砲にあっては発砲後電路を断とした後に尾栓を開く |
隣接する砲の発砲を自己の砲の発砲と誤認して早期に尾栓を開こうとする際に射手が引金を引いたために惨害が生じることを防ぐために、砲尾切断器及び関連する操法と併せ、尾栓早開留を装備してこれを防止を図りました。
時 期 | 摘 要 |
大正7年5月18日 | 技本機密兵44号 『新造駆逐艦用四十五口径三年式十二糎砲ノ件』 当該文書中に尾栓早開留装置に関する説明が含まれており、当時の新造駆逐艦から採用されたものと考えられます。 ただし最初の早開留は閉鎖桿留に簡単なバネの進出装置を付け、留栓の上昇を扼止する装置でした |
大正8年6月18日 | 「鹿島」 の8糎砲の夜間戦闘射撃中に発生し、重傷11名、軽傷5名 1番砲員が隣接する砲の発砲を自砲のものと誤認して尾栓を開放しようとした瞬間に射手が引金を引いて発砲。 尾栓閉鎖が不十分であったため早開留が作動せず、かつその位置にて既に打針が前進して発砲電路を通じていたことによるもの |
大正9年11月8日 | 技本秘15号 『尾栓早開留取扱ニ関スル注意』 尾栓早開留は閉鎖桿を十分に閉めなければ作動しない機構であり、その操作は最も確実である必要があり、根本的な改造は目下研究中との記載あり |
大正11年 | 変換挺による早開留の方式を採用 |
大正3年4月 | 艦砲操式の中口径砲の通則に 「尾栓早開留に変換挺を有するものにありては戦闘側の令にて装填後発射の位置になすべし」 の規定を追加 |
昭和8年3月31日 | 昭和4年の艦砲操式を訂正し、「・・・・ 「打方止め」 にてこれを 「教練」 の位置になすものとす」 の規定を追加 |
発砲後の後焔により次発の装薬に引火して大災害となることは、砲機に関する事故の中でも最大の惨害となるものです。 このため大口径砲の空砲の禁止、噴気圧力の増加、薬嚢の採用などと共に操法の改善により一時は事故が中絶しましたが、昭和10年 「足柄」 において大惨事が生起したことにより更に噴気圧力の増加、兵器並びに操法の改善などによりこの種の事故の防止を図りました。
しかしながら、この種の事故は発砲後に規定の噴気が行わなければ尾栓を開くことが不可能となるような装置が出現しない限り、根本的な対策とは言い難いものでした。
時 期 | 事 故 | 摘 要 |
明治19年6月 | 明治19年制定の艦砲操式では薬嚢盆を備える規定があるものの、当時はまだ無煙火薬を使用していません | |
明治40年9月16日 | 「鹿島」 の3番10吋砲塔で発生、士官以下死傷42名 |
(1) 第3発目の装薬装填の際、薬室に残留した火気により装薬に点火し、更に第4発目の装薬に伝火、爆発 (2) 当時はまだ噴気装置が無く、毎発後に洗浄機を使用 (3) 中小口径砲操法中には「噴気装置を有せざるもの勿論、これを有するものといえども後焔噴出することあるを以て装薬をこれに曝露せしめざることに注意すべし。 また後焔は迅速に弾丸を装填することにより若干これを防止することを得」の規定あり (4) 当時は向かい風等の場合は尾栓を半開して状況を確かめた後に全開するなどの手段を採っていたと考えられる |
大正8年2月1日 | 技本機密兵62号 「砲用一五〇気圧気畜器内ノ圧搾空気ヲ軽減便ニヨリ三〇気圧減圧噴気用ニ使用ス」 | |
大正8年10月6日 | 「日向」 の3番砲塔で発生、即死11名、重軽傷25名 | (1) 噴気弁に布片が詰まってこれにより噴気が不十分となり、装填の際空砲装薬に引火し、更に砲側に集積した装薬25発に引火、爆発 (2) 砲塔天蓋は吹き飛び、砲塔内火災発生したため、火薬庫に注水 (3) 噴気弁の良否は音響では区別できず |
大正8年10月28日 | 「龍田」 の1番砲で発生、負傷1名 | 発砲の際に引火 |
大正9年 | (1)「長門」においてゴム製蛇管を使用せずに150気圧を使用 (2)当時においても大口径砲は俯仰転筋から空気を導き、砲の退却部にのみ蛇管(100気圧に耐えるとされており、実際は90気圧で使用)を使用し、減圧弁を使用せず |
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大正10年4月 | 艦砲操式の規定改正 | (1)嚢砲においては、装薬は薬嚢盆に入れたままで砲側に備え、毎発薬嚢盆から取り出して装填する (2)薬嚢盆の採用は横須賀軍需部の記録によれば大正5年「生駒」に、大正8年に「天竜」(艤装後)に渡した例あり |
大正10年12月 | 艦本技秘10号 | 大正8年の技本気密62号を改訂し、気畜器の連結法を簡単かつ応急措置に適合するように改正 (主砲の減圧弁を廃止したのは本号によるものと推定されますが、詳細は不明) |
大正13年4月 | 艦砲操式の規定改正 | 「・・・・ は毎発発射後薬嚢盆の蓋を開き ・・・・」 |
昭和4年5月 | 艦砲操式の規定改正 | 「・・・・ は毎発弾丸填入後薬嚢盆の蓋を開き ・・・・」 |
昭和10年9月14日 | 「足柄」の2番砲塔で発生、死傷者41名 | (1)教練射撃中に第6段目の常装薬装填の際に後焔又は薬室残留の残滓により薬嚢1発分に引火、爆発 (2)噴気をしなかったか、あるいは不十分なため後焔又は薬室内の火気により発生したものであり、事後の調査により概ね噴気装置の開閉弁挺と動作桿、伝導金との間隙が他の砲と比べて少なく、作動桿が復帰不十分であったためと推定 |
昭和10年6月 | 昭和4年版艦砲操式を改正 | (1)薬嚢盆の蓋は毎発弾丸填入後に開くとする規定に揚薬筐も追加 (2)中口径砲の膅中点検は 「要する時」 を 「毎発」 に (3)弾薬の装填は噴気を止めた後に行うことに規定追加 (4)最噴気挺の使用法 : 射撃中嚢砲において後焔(烟)若しくは残滓を認めた時はまず再噴気挺を以て再噴気を行い、要すれば薬室洗箒杖を以て薬室を拭いた後でなければ弾丸を装填するべからず |
昭和10年11月30日 | 艦本砲秘報55号 | (1)最高最低使用圧力 (2)噴気秒時の標準 |
実戦においては目標指示が困難になることは日露戦争においても痛切に感じたところです。 方位盤装置を装備するようになってからは、目標指示は当時に比べると容易になりましたが、それでも実戦では平時の戦闘射撃の標的とは異なり、ましてや方位盤が故障して砲側照準に移行した場合においてはです。
時 期 | 該当事項 | 摘 要 |
明治5年9月 | 海軍操法程式 | 特に目標指示についての用語は示されておらず |
明治19年6月 | 海軍操砲程式 | (1) 「艦首 (みよし) の方(かた)」 「中央」 「艦尾 (とも) の方」、あるいは 「何度艦首 (まえ)」「何度艦尾 (あと)」 (度数は大凡の目標の方向)
などと号令 (2) 射法と言えるほどのものはなく、方位盤打方又は独立打方 |
明治41年4月 | 「鹿島」 の15糎砲の例 | 「艦首の方何度」 「艦尾の方何度」 |
大正4年8月31日 | 「鹿島」 の15糎砲及び8糎砲の夜間戦闘射撃 | (1) 砲煙のため探照目標を見失なった後に曳的艦を照射し、これを照準発射して曳的艦 「周防」 に24発命中、重軽傷14名 (2) 本来の標的は廃駆逐艦 |
大正6~7年 | 方向指示器の採用 (1)大正6年以降兵器に採用されて主力艦の主砲に装備 (2)大正7年以降中口径砲に装備 |
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大正15年8月15日 | 「古鷹」の主砲戦闘射撃 | (1)曳的艦 「由良」 付近に弾着、射撃中止 (2)方位盤射手の目標誤認と推定 |
方位盤の採用当時は、射撃中に故障が発生したために偏弾が生じて射撃を中止した例が相当数多くありました。 事故の多くは事故にはなりませんでしたので大問題とはなりませんでしたが、事故となったものの例は次のとおりです。
その後は機構の改善と併せ、兵員の整備法、配員の養成と共に大きく進歩しましたが、それでも絶無とは言い切れないものがあります。
時 期 | 該当事項 | 摘 要 |
昭和4年8月2日 | 「薄雲」 の夜間戦闘射撃 | (1) 曳的艦 「深雲」 の後部に2弾が命中し、重傷1名、軽傷2名 (2)第2砲塔旋回受信器が転舵中に27度の誤差を生じ、分解検査の結果筐内に約25ミリの裸銅線があり、何らかの原因によって回転子電路を短絡させたものと推定 (3)操法上の問題として、ア.初め砲側照準において旋回が 「断 」となっていなかったこと、イ.射手の故障に対する処置として 「発砲電路断て」 を行わなかったこと |
装填の時期は、漸次発砲直前となるように変更されてきました。
時 期 | 該当事項 | 摘 要 |
大正10年以前 | (1) 原則として 「戦争」 「戦闘」 の令により装填 (2)日清戦争後に速射軽砲及び機砲は 「照準」 「目標」 の令にて装填するように改正 (3)日露戦争後は 「戦闘」 下令の際に状況により特令を以て装填しないことが出来るようにしましたが、この場合には 「方向」 「目標」 の令により装填することに改正 |
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大正10年4月 | 達68号による艦砲操式改正 | (1) 「警戒」 の令により装填、要すれば特令により装填 (2) 高角砲は 「打方始め」 の令により装填 |
大正13年4月 | 達38号による艦砲操式改正 | (1) 「右 (左) 砲戦」 の令にて装填 (2) 哨戒部署、見張部署においては特令により予め装填することが可 (3) 時限信管を使用する砲は 「打方始め」 の令により装填 |
大正13年 | 「陸奥」の2番主砲塔の誤発 | (1) 装填後、導通試験の際に誤発 (2) 電池力が過大で、かつ電路不良の個所あり |
大正14年1月5日 | 達6号による艦砲操式訂正 | 「右 (左) 砲戦」 の令により砲を戦闘側に旋回した後に装填 |
昭和4年5月 | 内令156号による艦砲操式改正 | (1) 砲を戦闘側90度(「戦闘」の令に引き続き「方向」の令がある場合は指示角度)に旋回した後に弾薬を装填 (2) 夜戦、哨戒部署、潜水艦防御部署、航空機防御部署においては射撃指揮官の特令により予め弾薬を装填することが可 (3) 時限信管付きの弾丸を使用するものは 「打方始め」 (「何発打て」) 又は 「発射用意」 (「何番砲発射用意」) の令により装填 |
昭和13年 | 艦砲操式改正案 | 昭和4年版艦砲操式による夜戦、哨戒部署云々を削除 |
時 期 | 摘 要 |
明治15年9月 | 独立打方 : 1番砲員は機会を見て発砲 一舷打方 : 各砲の照準を予め規定された点に定め、令を聞いて一斉に発砲 ア.方位盤 : 第1 250m、第2 650m イ.基砲 : 艦の動揺又は傾斜が激しくなく、距離がそれ程遠くない場合 ウ.度尺 : 艦が動揺して目標が自ら照準線上に来る場合、ただし距離に応ずる角度と度尺により定める |
明治19年6月 | 独立打方 一舷打方 : 度尺打方を廃止、集弾発射距離を改正 方位盤 : 第1 700m、 第2 1000m |
明治30年2月 | 独立打方 一舷打方(基砲) : 方位盤打方を廃止 |
明治36年7月 | 独立打方 常射 : 通常遠距離の射撃及び試射などに用いるもので、極めて照準を正確にしてその安定な時期に発射 緩射 : 同 上 急射 : 最も確実に射撃の効果を挙げられる短少の時期、又は発射弾数の多さにより射撃の効果を納められる時に用いる |
明治41年4月 | 独立打方 : 距離が異なる照尺を用いる時はこれを級梯独立打方と称す 一斉打方 : 距離が異なる照尺を用いる時はこれを級梯一斉打方と称す 指命打方 |
明治44年11月 | 打方の種類は同じ |
大正6年4月 | 独立打方、指命打方、一斉打方、斉発打方の4種 |
大正10年4月 | 方位盤の出現の他は同じ |
大正13年4月 | 独立打方、指命打方、一斉打方、斉発打方の4種は変わらず |
昭和4年5月 | 4種の他に方位盤独立打方を採用 |
昭和12年 | 独立打方、指命打方、交互打方、一斉打方を使用し、独立発射を採用 |
時 期 | 号 令 | 摘 要 |
明治15年9月 | 「戦争」 | 砲の固縛を解いて引き入れ、膅中を検査し、常装薬と尋常榴弾を装填し、直ちに引き出す |
明治19年6月 | 「戦争」 | 砲の固縛を解いて膅中を検査し、通常榴弾、鋼鉄艦においては堅鉄榴弾を装填 |
明治30年2月 | 「戦闘」 | 各砲手はまず砲を繋止の位置より解き、その後弾薬を装填して発砲の準備を整えて「就け」の位置に就いて後令を待つ |
「苗頭」 「距離」 「目標」 | この令においても装填する | |
明治36年7月 | 明治30年改正に同じ | |
明治41年4月 | 「戦闘」 | いかなる時期を問わず戦闘のために砲を準備する時に令する 状況により特令をもって装填しないことも可 |
「方向」 「目標」 | 装填していない場合はこの令によりまず装填する | |
明治44年11月 | 明治41年改正に同じ | |
「方向」 | 装填していない場合は砲を令された方向に回した後に装填する | |
大正6年4月 | 「戦闘」 | 戦闘のために砲を準備する 状況により特令をもって装填しないことも可 |
大正10年4月 | 「警戒」 | 弾薬の装填を行う 状況により特令をもって行うことも可 |
「打方始め」 | 高角砲においてはこの令により装填する | |
大正13年4月 | 「右 (左) 砲戦」 | 弾薬の装填は砲を砲戦側に旋回した後に行う |
「打方始め」 | 時限信管を使用するものはこの令により装填する | |
「発射用意」 | 夜戦、哨戒部署、対潜・対空部署によっては特令により予め装填を行うことも可 | |
昭和4年5月 | 「右(左)砲戦」 | 「弾薬の装填は戦闘側に旋回した後に行う」 では曖昧であるので、戦闘側90度 (戦闘側の令に引き続き 「方向」 の令がある時はその指示角度) に旋回した後に行うことに改正 |
「打方始め」 | 時限信管付き弾丸、及び独立打方の場合 | |
「何発打て」 | ||
「発射用意」 | 一斉打方、斉発打方の場合 | |
「何番砲」 「発射用意」 | 指命打方の場合 |
時 期 | 号 令 | 摘 要 |
明治15年9月 | 「狙へ」 | この令にて1番砲手は照尺・照星を通して目標を窺い、信号して砲底を旋回して照準を得たならば 「良し」 の信号を行い、退いて牽索の長さに至って立つ |
明治19年6月 | 「狙へ」 | 同 上 |
明治30年2月 | 「苗頭、距離」 | 照尺を整える |
「目的」 | 銃把を握り照準する | |
「打方待て」 | 1番砲手は 「半ば打金」 と唱えて右手を銃把より離し照準を保つ | |
明治36年7月 | 同 上 | |
明治41年4月 | 「苗頭、距離」 | 照準の操作を始める |
明治44年11月 | 同 上 | |
大正6年4月 | 「苗頭、距離」 | 照準の操作をさせるには苗頭及び距離を令する |
大正10年4月 | 同 上 | |
大正13年4月 | 「目標」 「苗頭」 「距離」 | 照準の操作を始める 射撃中止中に 「方向」 「目標」 の令あれば発射準備をする |
昭和4年5月 | 「目標」 「距離」 「苗頭」 「高さ」 |
発砲電路を通じ照準操作を開始する 射撃中止中に 「目標」 又は 「距離」 「苗頭」 「高さ」 の令あれば発射準備をする |
昭和12年 | 同 上 |
時 期 | 摘 要 |
明治36年7月 | (1) 照準点は特令がなければ目標の中央に定める (2) 特に照準点を定める必要がある場合は、号令をもって示す |
大正6年4月 | 照準点を指示し、又はこれを変換するには 「何々を狙へ」 と令する |
大正10年4月 | (1) 照準点は目標の中央とする (2) 特に照準点を指示し、又は変換するには 「何々を狙へ」 と令する |
大正13年4月 | (1) 照準点は一般に目標の中央を選定する (2) 実艦的においては前檣線と上甲板線との交点を選ぶ (3) 特に照準点を指示し、又はこれを変換するには 「何々を狙へ」 と令する |
昭和4年5月 | 同 上 |
昭和12年 | (1) 照準点は、艦艇に対しては前檣( 檣楼) 線と上甲板線 (上甲板線を視認不能の場合は水平線) との交点 (2) 標的に対しては第1的の中央 (3) 航空機、その他に対してはその中央 (4) 上甲板線(水平線)が視認不能の場合は、これに代わって煙路の下際 (5) 特に照準点を指示し、又はこれを変換するには「何々を狙へ」と令する |
時 期 | 摘 要 |
明治15年9月 | (1) 1番砲手の 「不発」 の令あれば、2番砲手は新火管を牽索に付けて換え、又は時として火門を掃除してこれを行う (2) 電気打方において不発の場合は、1番砲手はまず枝線を本線より離開し、その後2番砲手に令して火管を交換させて再度 「用意」 の作業を行う |
明治19年6月 | (1) 1番砲手の 「不発」 の令あれば、2番砲手は新火管を牽索に鈎けて換え、また時としては火門を掃除してこれを行なって 「用意」 の令を待つ (2) 電気打方において不発の場合は、1番砲手はまず枝線を離開した後 「管抜け」 と令し、2番砲手はこの令により火管を交換し、その後1番砲手は再度 「用意」 を令する |
明治30年2月 | (1) 不発を生じた時は、6秒乃至10秒を経過した後でなければ、尾栓を開いてはならない (2) 保式砲においては十分な猶予をおかない限り決して尾栓を開いてはならない、特に空砲においては最も注意するべきである |
明治36年7月 | (1) 不発を生じた時は、1分時(空砲薬、減装薬を使用した時は2分時)を経過した後でなければ決して尾栓に触れ、あるいはこれを開いてはならない (2) 不発を生じた薬莢から火管を除去し、あるいは交換するのは10分時を経過した後でなければならない |
明治41年4月 | (1) 不発を生じた時は、3分時を経過した後でなければ尾栓を開いてはならない。 ただし艦長は戦闘状況に応じて1分時まで短縮することができる (2) 尾栓を開くことなく発火装置又は火管を交換可能な砲においては、厳密な注意をもって1分時を経過した後に発火装置、火管を換装する |
明治44年11月 | (1) 明治41年4月に同じ (2) 電気発射において不発を生じた時は、応急電纜によって発射を試し、なおも不発の時は発音器の音響の有無により処置をする 音響がある場合 : 電源を交換し、要すれば発火装置を換装する 音響がない場合 : 火管 (薬莢) を換装し発射を試みる |
大正6年4月 | (1) 明治41年4月に同じ (2) 電気発射にて不発を生じた時は、電源を公開し、なお不発の時は発音器の音響の有無により処置をする 音響がある場合 : 旋回手銃把があるものはこれにより発射を試みる、なおも不発の場合は発火装置を換装する 音響がない場合 : 火管 (薬莢) を換装し発射を試みる (3) 撃発発射にて不発を生じた時は、火管の痕跡の有無により火管又は発火装置を換装する |
大正10年4月 | (1) 不発を生じた砲は30分時を経過しなければ尾栓を開いてはならない。 但し砲台長、砲台付将校は抜き出した火管が発火しないことを確認した場合はこの限りにあらず (2) 実戦においては艦艇長の定めるところにより1分時まで短縮することができる (3) 尾栓を開くことなく発火装置又は火管を交換できる砲においては、次により発火装置又は火管を交換する 発音器の音響がある場合 : 大口径砲、中小口径砲とも1分時経過後 発音器の音響が無い場合及び撃発発射の場合 : 大口径砲は30分時、中小口径砲は1分時経過後 |
大正13年4月 | 電気発射にて不発となり故障の個所が速やかに判明し得ない時は、まず電源を交換し発射を行い、なおも不発の場合は大正10年4月の処置に同じ |
昭和4年5月 | (1) 電気発射にて不発となり故障の個所が速やかに判明し得ない時は、発音器の音響の有無に拘わらず、まず電源を交換して発射し、なおも不発の場合は電源を復旧して従来の処置を行う (2) 機銃が不発の場合の処置を新設 (3) 1分時までの短縮は実戦においては一律に行うこととする (4) 処置は砲台長 (砲台付) の他に砲員長が実施し得ることに改正 |
時 期 | 摘 要 |
明治15年9月 明治19年6月 明治30年2月 |
特段の規定無し |
明治36年7月 | 2番砲手は尾栓を締めて 「良し」 と報ずる (当時の1番砲手は射手のこと) |
明治41年4月 | 1番砲手は尾栓を閉鎖して 「良し」 と報ずる |
明治44年11月 | 1番砲手は尾栓を閉鎖して閉鎖桿より手を離して 「良し」 と報ずる (中口径砲) (以下 「中」 と略す) 1番砲手は砲が発射位置に出した後で無ければ 「良し」 と報じない |
大正6年4月 | (1) 2番砲手は尾栓をしめたのを見て発砲電路を射手の銃把に通じ、1番砲手は 「右 (左) 良し」 と報ずる (砲塔砲) (2) 装填後、1番砲手の 「良し」 と報ずるのは手を閉鎖桿から離した後とする (中) (3) 夜間の戦闘中にその発砲を確認するため、1番砲手は尾栓を閉めた後に片手を軽く砲尾に触れておく (中) |
大正10年4月 | 同 上 |
大正13年4月 | (1) 装填後、1番砲手が 「良し」 と報するのは砲が発射位置にあることを確認し、発砲電路を通じた後に行う (砲塔砲) (2) 1番砲手は記号の 「揚」・・・・弾薬の装填を行い・・・・尾栓を閉めたのをみて発砲電路を射手の銃把に通じて「右(左)良し」と報ずる (3) 1番砲手が 「良し」 と報ずるのは、必ず手を閉鎖桿から離し、砲が発射位置にあることを確認して発砲電路を通じ、片手を軽く砲尾に触れた後に行う (中) |
昭和12年 | 大口径砲 : 尾栓を全閉して、砲が発射位置にあることを確認し、火管灯の点灯を確かめ、砲尾切断器を接続し(撃発発射においては打針が起きていることを確かめ)た後 方位盤がある中小口径砲 : 尾栓を全閉して手を閉鎖桿から手を離し、砲が発射位置にあることを確認し、火管灯 (検視灯) の点灯を確かめ、砲尾切断器を接続し (撃発発射においては打針が起きていることを確かめ、牽索を握り)、手を軽く砲尾に触れた後 (ただし大仰角射撃において片手を砲尾に触れることが出来ない場合、及び自動装填砲においてはこれを省略) |
最終更新 : 20/May/2018