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照準発射法概説



 関係用語


照準発射法に関係する用語の定義は次のとおりです。


 照準線 望遠鏡照準器においては鏡軸の見通し線、その他の照準器においては照門と照星の見通し線を言う。
 目 標 射撃すべき物体を言い、仮標とは目標を直接照準し得ない場合に仮に照準すべき物体を言う。
 照準点 目標(仮標)中で照準線を指向すべき点を言う。
 照 準 照準線を目標(仮標)の照準点に指向することを言う。 左右に照準することを左右照準、上下に照準することを上下照準と言う。
 発 射 引金を引き弾丸を射出することを言う。
 散布界 同時に発射した弾丸の散布する範囲を言う。
 出弾率 平均した一斉射における準備門数に対する百分比を言う。
 斉射間隔 一斉打方(交互打方)において毎回の発射発令時の間隔を言う。
 許容秒時 発射発令時において射手に発射を許容する秒時を言う。



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 照準発射法の沿革


  1.日清戦争以前


当時の砲は移動砲架(橇盤)式のものが多く、このため照準を保続することは不可能であり、また打方も方位盤一舷打方(注)及び独立打方の2種が広く行われており、照準発射の方法はいずれも次の要領でした。

ア.照尺を整え、砲を俯仰して、目標あるいは目標が通過すると推定される点に照準を定める。

イ.艦の動揺あるいは舵の使用により目標が正に照準線に合致しようとする時に発射を決意し、目標が照準点と合致した瞬間に引金(牽索)を引く。

(注) : 当時の方位盤は後の時代のものとは全く異なり、照準を右 (左) 正横又は±45度などの指定された方向に固定するもので、方位盤一舷打方とは、各砲はこの方位盤の照準方位上の定められた距離に一致するよう予め計算された砲旋回角及び仰角を固定し、目標が方位盤の照準方位上に来た時に射撃指揮官の令により一斉に発射する方法です。



  2.日清戦争~日露戦争間


日清戦争において速射砲が活躍し、日清戦争後はその採用が進められたことにより、方位盤一舷打方のような方法はもはや過去のものとなりました。 この当時の速射砲による照準発射の方法は次のとおりです。 


ア.照準線は常に目標の移動する方向より少し先となるようにし、これにより目標が照準点に来るのを待つ。

イ.艦が回頭するとそれに伴って照準線の移動が早くなるので、目標の移動に従って砲はこれと同等の旋回速度により常に目標を追尾する必要がある。

ウ.動揺中に発射するには、砲口が上昇して将に下降に移ろうとする瞬時が適当である。 また逆に砲口が下降して将に上昇に移ろうとする瞬時もこれに次ぐ。



  3.日露戦争当時


日露戦争当時の移動目標に対する照準発射法は次の2種に区分されていました。


ア.保続発射 : 小口径砲に主用。 ただし移動速度が急激な場合、あるいは甚だしく不規則な場合には待止発射を行う。

イ.待止発射 : 大・中口径砲


なお、艦の動揺が大きい場合には、照準線に対する目標の移動速度も急になりますので、動揺の上昇・下降におけるそれぞれの極みにおいて発射するのが適当であるとされていました。



  4.日露戦争後


明治37年12月に制定された 『連合艦隊艦砲射撃教範』 の照準発射に関する事項が、明治40年10月の海軍砲術学校編 『艦砲射撃心得』 に盛り込まれ、これが大正2年の 『艦砲射撃教範』 の内容となりました。

この日清戦争後から大正初期にかけての移動目標に対する照準発射法は基本的に次のとおりです。


ア.保続発射 : 常に照準線を目標に指向する。

イ.追尾発射 : 目標を追尾して照準線上に正に目標が合致する瞬時に発射する。

ウ.待止発射 : 照準線を目標の前方に指向しておき、目標がこれに一致する瞬間に発射する。


中口径以下の速射砲は保続発射を主用し、機動砲及び大口径速射砲は追尾もしくは待止発射を主用することとされていました。



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 照準発射法と射撃の関係


照準発射は射撃の基礎であって、これの良否が艦の戦闘力を直接左右するものであることは申し上げるまでもありません。

しかしながら、第1次大戦における英独の海戦は戦前の予想を遙かに超える遠距離での砲戦となり、これによって旧海軍でも直ちにこの遠距離射撃の研究に取り組んだわけですが、ここに来て一部には遠距離における射撃においては照準発射の正確さよりもむしろ射弾の散布によるべきであるとの意見を述べる者も出てきました。

もちろんこの考えが誤りであることは言うまでもなく、ましてや質をもって量の不足を補って望まざるを得ない旧海軍にとっては死活問題であった訳です。

結局、その後の射撃訓練において過大な射弾散布が如何に射撃の効果を減退させるかを自覚するに至って、この異論は全く姿を消すことになりました。


では如何にしたらその射撃の効果を発揮できるのかという事については、旧海軍では指揮誤差と散布界の縮小と射撃速度の発揮を計ることであると考えていました。

指揮誤差は射撃指揮官たる砲術長の技量と測的機関の精粗によるところが大ですが、昭和年代の初めになってからは指揮誤差はおおよそ所期の範囲にあることが戦技の成績から明らかとなりましたが、散布界の縮小と射撃速度の発揮にはまだまだ向上の余地があるとされていました。

このため、次の点に留意しつつ兵器整備の術力の向上に努める必要が求められました。


ア.人的要素

(1) 射手及び旋回手の素質並びに技量

(2) 射撃の種類と射手・旋回手の関係

(3) 訓 練

(4) 方位盤射手の引金の引き方

(5) 艦の運動法及び操舵員の技量

(6) 弾薬装填の良否


イ.兵器関係

(1) 方位盤の精度

(2) 俯仰・旋回の起動弁の良否

(3) 照準器

(4) 動力

(5) 砲固有誤差

(6) 砲齢

(7) 砲身・砲架の遊隙

(8) 弾丸装填の良否


これらの事項の内で、射手及び旋回手の技量・巧拙が散布界及び出弾率に及ぼす影響に最も大きく、その如何が射撃の効果を左右するところ極めて大です。 つまり照準発射が射撃の基礎であるという所以です。



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 照準発射法の技量向上策


射手及び旋回手による照準発射の技量は、それこそ “技神に入る” の域に達することが求められた訳ですが、ではその向上策はとなると、旧海軍においては適切な指導の下の連綿不断の錬磨であり、精神力の鍛錬であるとされていました。

この点は、現在の海上自衛隊のように技術的に進んだ装備の反面で全てをその機械任せにし、その人的要素をほとんど顧みない (というより勤務・訓練に余裕がない) のとでは大きな違いがあります。



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 照準発射法に関する諸元


昭和初期における実験データは次のとおりとされています。

1.射手が発射を決意してから引金を引くに要する時間 : 0.17秒

2.引金を引いてから弾丸が砲口を出るまでの時間 (砲口秒時


砲  種 装 薬 砲口秒時
45口径40糎砲 常装薬 0.105 秒
45口径36糎砲 常装薬 0.1047秒
45口径20糎砲 常装薬 0.0784秒
50口径14糎砲 常装薬 0.0469秒
45口径12糎砲 常装薬 0.0420秒


3.射手の見越し量
照準が正しく合致する前に発射を決意する時間 : 0.19前秒 ~ 0.14秒前
ただし個人差あり。

4.関係する速度がある場合の射弾散布量
発射瞬時に毎秒2度の関係する速度があるとすると、それによる射弾の偏倚量は次のとおりです。


砲  種 射距離 偏倚量
45口径40糎砲 25,000 11.176
45口径36糎砲 20,000 11.130
45口径20糎砲 15,000 11.198
50口径14糎砲 10,000 11.205
45口径12糎砲  6,000 11.205


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 照準発射法と艦砲射撃教範


上述のとおり、照準発射法は明治36年の『連合艦隊艦砲射撃教範』と同40年の『艦砲射撃心得』を元にして、大正2年に制定された新たな『艦砲射撃教範』の中に盛り込まれました。

そしてこの内容は、艦砲射撃の進歩に応じて大正8年及び大正12年の同教範の改訂に伴い変更・充実が図られたのです。

因みに大正12年の『艦砲射撃教範』では、第55項~第64項が照準発射法の規程に当てられており、その最後の第64項に方位盤照準発射が砲側照準と異なる点を示していました。

これは砲側照準の方が方位盤照準よりもその熟練が難しかったためであり、かつ方位盤照準発射においては砲塔での俯仰・旋回の要領の機微な点まで理解していることが必要とされていたからです。 このため、当時としてはまず砲側照準に習熟させ、その中から優秀な者を方位盤照準に当てるということがなされていたのです。

しかしながら、昭和12年の同教範の全面改定の時には、この教範とは別に『照準発射教範』が制定される予定になっていたため、同教範からこの照準発射に関する規程は全て削除されたのですが、結局この『照準発射教範』は作られないままとなってしまいました。

そこで海軍砲術学校においては、この照準発射法については講義用テキストとしてその実務を取り纏め、これによって学生や練習生に教えていました。


この海軍砲術学校で教えていた照準発射法については、項を改めて詳細に説明することにします。








 最終更新 : 22/Jul/2018