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2-3.内地巡航


3月26日、江田島の幹部候補生学校を卒業、晴れて3等海尉に任官し、同時に実習幹部として練習艦隊勤務 (部隊実習) を命じられました。


卒業の行事を全て終了すると、居並ぶ海上幕僚長等の来賓や学校長を始めとする職員、在校生、父兄などの見送りを受けつつ、赤煉瓦から一列で表桟橋で待機している機動船に分乗し、前日から江田内に在泊中の練習艦隊の 「かとり」 と 「あおくも」 へ向かいます。





機動船が表桟橋を離れると、音楽隊の演奏はそれまでの 「行進曲軍艦」 から 「蛍の光」へと変わり、双方の帽振れで最後の挨拶を交わします。



帽〜振れ〜! 鮫島海幕長 (中央) と石榑候校長 (右)

私は練習艦 「かとり」 ではなく、随伴艦の護衛艦 「あおくも」 に乗艦しました。 内地巡航はこの 「あおくも」 で乗艦実習です。



当時の 「あおくも」 の勇姿

「かとり」 「あおくも」 の両艦は既に出港準備が完了しており、実習幹部がそれぞれの艦に乗り終わると直ちに 「出港用意!」 のラッパが響きます。 そして舷側に整列して登舷礼の私達と表桟橋で見送る人々との間に再度の帽振れをし、最後に長々一声の汽笛を鳴らしつつ練習艦隊は江田内を後にします。


卒業式当日は私達卒業生は候補生学校卒業と幹部任官という出来事をじっくり噛みしめる余裕もなく、直ちに練習艦隊実習幹部という再び時間に追い回される日々が訪れることになります。


もちろん、職員や来島の家族などとゆっくり語り合うなどの時間もありません。 これは旧海軍からの伝統で、新任務発令後は直ちに離任、“別れ” はサッパリと後を引かずに、というものから来ています。 


( 確か家族が卒業式のために来島する者には、卒業式前日のみ夕方以降家族と一緒の外泊が許可されたと記憶しています。 そして防大卒の中には防大卒業後この時までに既に数名結婚していた者もいました。 防大生は在学中は独身者であることが義務付けられており結婚できませんでしたので。)





3月 26日 〜 30日 倉橋島沖仮泊
31日 〜 4月4日 博 多
4月  5日 〜  8日 佐世保
 9日 〜 13日 舞 鶴
14日 〜 18日 大 湊
19日 〜 21日 館山仮泊
22日 〜 25日 阪神基地隊
25日 「あおくも」 練習艦隊と分離
26日 〜 5月30日 「あおくも」 佐世保在泊
5月 30日 「あおくも」 佐世保出港
31日 「あおくも」 練習艦隊に合同
6月  1日〜 2日 鳥 羽
 3日 紀伊大島仮泊
6月  4日 横須賀入港
17日 横須賀出港、遠洋練習航海


(注) : 以下にご紹介する写真の中にはネガからスキャンしたものを含んでいますが、ネガは長年の放置によりカビが生じてしまい、このため大変見難いものがありますことをご了承下さい。




 倉橋島仮泊


3月26日の午後江田内を出港した練習艦隊 「かとり」 「あおくも」 はその日の内に江田島の隣り、倉橋島南側の桂浜沖に30日の朝まで仮泊しました。


これはいきなり航海実習には入らずに、まず練習艦隊勤務と各艦の様子に慣れるためです。 これには当然ながら各艦の艦内配置を覚えることが含まれます。 いわゆる実習幹部としてのオリエンテーション期間です。


確かどこかの日の午後に2時間程の入湯上陸があり、皆で桂浜の浜辺にある 「シーサイド桂浜荘」 の大浴場に浸かりに行った記憶があります。 「あおくも」 はディーゼル艦であるために真水が貴重であったための措置でもありますが、候補生学校卒業前から卒業・練習艦隊配属までの慌ただしい日々の後、初めてホッと一息ついた一時でした。




 博 多


内地巡航最初の訪問地は博多でした。 30日朝倉橋島沖を出港し、関門海峡を夜間に通狭、31日朝博多港に入港し、4月4日朝まで在泊しました。


博多では、元寇の役の史跡研修、箱崎神宮 (筥崎宮) 参拝など、それに確か太宰府研修もあったと思います。 自由上陸はあったのか ・・・・?



箱崎神宮にて


 佐世保


4月4日朝博多を出港し、翌5日朝、海自の地方総監部所在地で最初に入港したのは佐世保です。



佐世保港への入口 「高後崎」

佐世保市街を望む 右の小島は 「弁天島」
正面奥が横付けした干尽岸壁
米軍基地の前にはモスボール中のLSTがずらりと (黄色のシミはネガのカビ跡です)

この佐世保に限らず、総監部所在地では昼間は地方総監の講話、基地施設の研修などがあり、夜は夜で練習艦隊歓迎レセプションなどが行われるのが常でした。 また、これに加えて輪番で停泊当直実習がありますので、数少ない実習幹部の自由上陸の機会もその総てで可能だったわけではなく、寄港地によっては全く上陸できなかったことも。




 舞 鶴


4月8日朝佐世保を出港し、翌9日朝舞鶴に入港。 舞鶴では丁度桜が満開でした。



昼の休憩時間に 背景は当時の西舞鶴市街

舞鶴在泊中には第六号潜水艇遭難で有名な艇長佐久間勉大尉の生家を訪れました。 往復の途中では三方五湖や敦賀原発などにも立ち寄っています。



佐久間艇長生家をバックに 佐久間夫妻のお墓

三方五湖 稼働したばかりの敦賀原発1号機

確か京都方面研修もこの舞鶴在泊中のことであったかと。



二条城 本丸櫓門にて 御所 紫宸殿



 大 湊


4月13日朝舞鶴を出港した練習艦隊は翌14日大湊に入港 (錨泊) しました。 ポカポカ陽気の舞鶴から一転して雪の残る大変に寒い大湊だったことが強い印象として残っています。


そしてミゾレの混じる中で原子力船 「むつ」、釜伏山の空自レーダーサイトの研修などが行われました。



当時むつ市を定係港としていた 「むつ」 展望台よりサイト方向を望む 寒そう〜



 館山仮泊


4月18日朝大湊を出港した練習艦隊は、神戸へ向かう途中、翌19日から21日朝まで館山湾に仮泊しました。 この仮泊の目的は覚えておりませんが、確か行事や研修などは特になかったような ・・・・?


その館山湾には私達より先に運輸省 (当時) 航海訓練所の練習船 「海王丸」 も錨泊しておりました。 そこで入港日には特に実習なども無かったので、指導官 (候補生学校の時の赤鬼青鬼の二人もそのまま副長付 (実習幹部指導担当) として乗り込んでいました) のところへ行き 「希望者だけでいいので海王丸を見学させて貰えないか」 と申し出しました。 こうことは私は物怖じしないというか、遠慮がないので (^_^;


指導官達は 「何でそんなものを」 という渋い顔をしていましたが、たまたま近くにいた司令部首席幕僚の佐藤1佐がこれを耳にして、「よし、それなら海王丸の船長は俺の知り合いなので頼んでみる」 と。


その結果話しはトントン拍子に進んで、希望する実習幹部は内火艇で 「海王丸」 の見学へ。 嬉しかったですね、こういう配慮は。 お陰でこの時のことは今日に至るまで良い思い出として鮮明に覚えています。



大型帆船の優雅な姿 好意により操帆ドリルの展示まで

佐藤1佐 (左) と 「海王丸」 船長 (右) 案内の士官と記念写真



 神戸 (阪神基地隊)


4月21日朝館山を出港しましたが、この航海において潮岬沖で発達中の低気圧によりとんでもない荒天に遭遇しまして、この時 「あおくも」 では片舷最大52度の動揺を記録しました。 私の30余年の現役時代、この時以上の経験はありません。 物凄かったですね。 怖い、というより興奮して却って面白かったというか (^_^;


それでも翌22日朝には無事神戸の阪神基地隊岸壁に入港。 阪基施設見学や、三菱重工の研修、湊川神社参拝などが行われました。



修理中の 「まきしお」 湊川神社にて



 佐世保


4月25日朝、阪神基地隊を出港した練習艦隊ですが、紀伊水道を出たところで 「あおくも」 は横須賀に帰る練習艦隊 「かとり」 と分離、ホームスピードで母港佐世保に向かいます。


その佐世保には翌26日に帰港。 以後約1ヶ月間、入渠・整備を含む遠洋練習航海に備えての準備を行いました。



佐世保重工 (SSK) の第5ドックに入渠しようとする 「あおくも」
ちょっとネガのカビ跡が酷いですが (^_^;

私達実習幹部は、これら準備を含む停泊実習に従事しつつ、途中で1週間の休暇が与えられました。 ところがここが私が私たる所以のところです。 東京の実家に帰るには往復でまるまる2日が無駄になるし、どのみち遠洋航海出発前は横須賀で時間があるので実家に顔を出すチャンスもあるはず。 それならゆっくりと佐世保で過ごそう、と。


「あおくも」 自体が乗員も交替で遠洋航海前の休暇を取っており非常にリラックスしたムードですので、艦側としても休暇で帰らない (帰ろうとしない) 実習幹部の私一人を構っているような余裕はありません。 お陰で、艦内にいても良いし、昼間から街に遊びに行っても良いし、あるいは先輩の下宿に泊まったり ・・・・ 久々に何の束縛もない自由な1週間を味わうことができました。


しかもご存じのとおり佐世保の夜は大変に楽しいところですから、毎晩の様に飲みに出ていました。 当時の私のお気に入りの場所は繁華街からちょっと離れたところにポツンとある、静かで雰囲気の良い喫茶兼スナックのお店。 そこで知り合った若いカップルと意気投合しまして、いつも大変に楽しい時間を持つことができました。 佐世保出港の前の晩、このカップルから記念にとプレゼントを頂きました。 これは今でも我が家のカップボードに。 懐かしい思い出の品です。 (このお二人、翌年には目出度くゴールインし、その後ずっと長崎市で幸せに暮らしているとか。)



佐世保の郷土民具 願かけ牛

もちろん遊んでばかりいたわけではありませんで、砲術長に頼んで 「あおくも」 が搭載する当時はまだ最新鋭だった国産の 「射撃指揮装置一型」 を勉強させて貰うことに。 何分冊にも別れた分厚い取扱説明書を借りだしてこれを読み、また頻繁に射撃管制室に顔を出しては射管員に教えて貰うという日々でした。 これはこれで大変に面白い時間であり、後々砲術に興味を持つ切っ掛けの一つにもなったと思っています。 



当時のノート  真面目に勉強してます (^_^)

そしていよいよ佐世保を離れる前日、私達実習幹部も含めて 「あおくも」 総員の記念撮影をしました。 乗員にとってはこれから約半年、母港を離れることになります。 (実際、遠洋練習航海から帰国して横須賀で総ての関連業務が終わったあと、練習艦隊から分離した 「あおくも」 が佐世保に戻ったのは11月24日のことでした。)



内地巡航時の 「あおくも」 実習班 (佐世保出港前日撮影)



 鳥羽 ・ 紀伊大島仮泊


5月30日の午後に佐世保を出港した 「あおくも」 は、31日洋上において横須賀から回航してきた練習艦隊 「かとり」 に合同。 そして翌6月1日鳥羽に入港 (錨泊) しました。 申し上げるまでもなく伊勢神宮参拝のためです。 (う〜ん、鳥羽での写真が出てきません ・・・・ )


鳥羽は翌2日夕刻に出港し、3日早朝紀伊大島の樫野沖に仮泊。 ここにあるトルコ軍艦 「エルトグルル号」 の遭難記念碑に参拝しました。 これは遠洋航海中のトルコ訪問に備えてのためです。



元画像 : Google Map より 「エルトグルル号」 遭難記念碑

そしてその日の内に紀伊大島沖を出港し、横須賀へ向かいます。




 横須賀


内地巡航は紀伊大島寄港を最後に終了しました。 練習艦隊は4日横須賀 (船越) に入港、6月17日の遠洋練習航海出発に備えて最後の準備を行います。


加えて 「あおくも」 で内地巡航を行った私達の実習班は交替で 「かとり」 へ移るため、これに伴う色々な雑用を急いで済まさなければません。 身の回りの荷物の移動だけでも大変です。


しかもこの間に実習幹部には各種の行事あり、日々の実習ありで慌ただしく過ぎ、残念ながら私は実家に顔を出す余裕はありませんでした。


日付は覚えておりませんが、6月17日の出港までの間に皇居参拝、遠洋航海壮行会、高松宮邸ガーデンパーティなどの公式行事が色々と行われました。



参拝後実習班ごとの記念写真、後列中央が斉藤国二郎司令官、その両側が各艦長

そして6月17日、いよいよ世界一周の遠洋練習航海へ出発です。






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最終更新 : 14/Apr/2012